



各国におけるICC能力研究には、自国の状況の特徴が含まれている。全体的から見ると、その概念化の現状は以下の2種類のタイプに纏められる。
(1)ICC能力は、多面性を持った概念である。国内外の研究者は異なる研究視点から、異なる研究手法を通じて、異なる理論に基づいて異なるICC能力モデルを構築した。にもかかわらず、研究者間には、共通の認識がある。
即ち、①ICC能力には複雑な構成があり、総合的能力である。
②異文化コミュニケーションを成功に進めるために言語、文化、コミュニケーションなど様々な面に関わっている。
③知識·態度·技能は核心的な要素として見なされ、態度はICC能力を発展させていく基礎である。
④ICC能力の構成要素は互いに絡んで作用し合っている。
⑤どの要素も欠かせない。
(2)文化の再構築を追求することである。直接観察できない心理学的特性、コミュニケーション能力のように行動レベルの概念化から、個人の文化性を構築するといった内省レベルに関心が移っていること。
しかしながら、中国の日本語教育学におけるICC能力の研究を他の地域における研究成果と比べると、次の点で課題が残ることが分かった。また、他の国からどのような知見が得られるかについても、以下のようにまとめてみる。
(1)日本語についてのICC能力に関する理論的研究の基礎が欠如している。
中国においては異文化コミュニケーション及びそれに必要とする能力とは何かという議論が欠如しているのが現状である。日本語専攻教育では、ICC能力とは何か、何かが重要視されているかという本質的な議論を展開せず、それぞれの教育現場が勝手なイメージで解釈してきている。
(2)中国という文脈が無視されている。
中国におけるICC能力を構成する具体的要素については、主に個人の主体的要素に偏って、情意·認知·行為の3つの側面から、動機·知識·技能という3つのカテゴリーにまとめられている。これは欧米、日本のような先進的な国からの理論を借用し、自らの文脈に合わせて翻訳や改訂を行うことにより発展した結果である。ただし、欧洲の外国語教育に大きな影響を与えるByramのICC能力モデルと欧洲評議会のCEFRを中国の文脈にそのまま応用することができるだろうか。大木(2014∶65)は、欧洲評議会の言語政策が日本に対して有効であるかどうかという疑問を持っている。同様に、欧洲における言語的多様性と経済的連合体の2つの視点から扱われるモデルを中国文脈に融合するために検討する必要があると考えられる。さらに、中国では社会的ニーズと外国語教育の枠組みの転換によって、ICC能力について他国とは異なる認識があるはずである。そのため、中国人の視点から理論を再構築する研究が喫緊の課題であると思われる。
(3)教育指導者からの観点に偏り、社会的ニーズの視点が欠如している。
地域に限らず、先行研究を参考に独自に収集した項目は、教育指導者の観点を基本に作成したものが多かった。そのため、実証研究が行われても、作成された尺度項目は教員や指導者側がICC能力に求める要素に偏っている。しかし、ICC能力の育成には、教員や指導者の視点以外の要素も多分に求められると考えられる。教育側以外の視点から求められる能力要素を含んだ尺度を考える必要がある。
(4)ボトムアップ型の帰納的アプローチによる実証研究が不足している。
まず、実証研究が足りないことが目の前で改善が求められる喫緊の課題である。中国における文献の中には、個人的な意見や経験に基づきICC能力の構成要素を究明する研究が多かった。また、特定の文化や学校や企業のような場面に限定し、実践的な問題に取り組む傾向がある一方で、異文化体験者の認知的経験を重視し、トップダウン型の演繹的アプローチによる研究に偏っている。このトップダウン型の演繹的アプローチは既存のモデルを整合する作業を通じて理論モデルを構築してから、実践の中でそれを検証するべきものである(俞2012·张/杨2012)。しかしながら、このトップダウン型による結果は欧米から借用したモデルに基づいて得られたものであるため、本質的にいうと、中国の状況から離れている。
Spitzberg&Changnon(2009∶45)が述べたように、ICC能力に関する多くの研究は検証されていない。そのため、実証研究を通じて検証する必要があるか、そうであればどのように検証するかということについても検討しなければならない。したがって、ボトムアップ型帰納的アプローチによる、中国の状況に根ざした理論的モデルを構築する要求に迫られていると思われる。
(5)日米間、中米間の研究に偏っている。
日本では日米間の研究に焦点を合わせ、中国では中米間の研究に関心を寄せているのが現状である。これらの研究は、英語専攻とする学生や一般的な大学生を対象に行われるものが多い。そのため、これらの先行研究で得られた知見がそのまま、日本語を専攻とする学習者に当てはまるかについては、検討の余地がある。八島(2004)が述べたように、異文化接触は具体的な場面で具体的な他者と相互作用を行うことにほかならない。そのため、当該文化における問題解決的なアプローチ、即ち、個別状況的アプローチが必要であると指摘された。さらに、中国における文献研究の結果から見ると、中国で日本語教育の視点からICC能力を研究したものは極めて稀であり、理論性が高い研究はあまり見られない。久米(2011∶60)が指摘したように、‘アジア地域の人びとと日本人の関わりを中心とした異文化コミュニケーション研究を進展させることが急務である’。日本側と同じように、中国の日本語教育分野においても、中国の文脈に根ざした、中国人と日本人とのコミュニケーションに必要となるICC能力についての研究は決して十分とは言えない。しかしながら、今後中国人とアジア諸国の人びと、特に日本人との関係が益々重要性を帯び、関係性も益々緊密化することは必至であり、その意味で中国に住む人びとと日本人との関係性の構築に資することができるような研究上の知見を出していくことがICC能力研究に携わっている研究者に強く求められていると思われる。
(6)日本人との接触を行う中国人日本語話者の視点が欠如している。
日本人と中国人が接触する場合には、双方が同じように相手に合わせてコミュニケーションを進めるわけである。中国人は日本語を使い、積極的に異文化コミュニケーションを達成するために調整する。この意味で、中国人の視点からICC能力育成に必要となる内容を浮き彫りにする必要があると思われる。
日本語専攻教育のICC能力に関する研究の歴史はまだ浅く、調査事例も多くない。とは言っても、先行研究の多い一般的な異文化コミュニケーション論からの理論を応用すること、妥当であろうかどうかの検討が必要であろう。また、日本において日本語教育を中心とするICC能力とその育成についての研究は、主に‘第二言語としての日本語教育(Teaching Japanese as a Second Language:TJSL)’
に根ざして行われている。だが、これらの理論や成果を外国語としての日本語専攻教育(Teaching Japanese as a Foreign Language:TJFL)に応用すれば、‘JFL教育の存在、およびその特質についての、半ば意図的な忘却があるのではないだろうか’と平畑(2014∶53)が危惧する問題に直面する。
細川(2012)では言語文化教育の視点から、言語の教育はICC能力を育成するための教育内容に限定されるものではなく、‘学習者が日本の文化·社会の中で生きていく際の考え方の視点からをどのように提供するかという教育方法論’(同文献:8)が問われると強調した。その具体的な教育の目標を、以下のように指摘した。
主体的、表現に力点、個別的、多様化、双方向的状況重視、日常生活の視点、自らの文化論の構築シラバスの崩壊、多様化と個別化、反学校化
細川(2012∶8)
その核心とするのは、教育内容が定められておらず、‘学習者自身に考えさせる方法’の能力育成という理念である。これは、‘考え方のための能力育成の学習’と名付けられており、‘日本事情’教育の改善を目的として初めて提唱されたものである。しかしながら、この理念が依存する文脈とはTJSLであり、TJFLに適合するかどうか疑問があると考える。
本研究では、中国の日本語専攻においては‘シラバスの固定化·ガイドラインの設定·学校化’が必要とされ、‘主体的学習·表現力開発重視·個別化·多様化·双方向化·状況重視·日常生活の視点の導入·自らの文化論の構築’を追及するあり方が捉えられるべきであると考える。
細川(2012)が強調したことは日本における日常生活に対応するための体験である。この体験式学習を通じて、日本の暮らしや社会を‘生きた形で、いかに学習者自身の中にフィードバックさせるかということである’(細川2012∶8)。そこでは、教室より、第二言語の環境の社会という大きな実践の場に考えさせられる機会が多くあり、学習者の問題意識や発見を引き出することがよく起こるため、教育内容やカリキュラム、シラバスを確立する必要がないのではないか。
しかしながら、外国語環境においては、日本語の教室活動が重要な日本語学習や日本文化を異文化とする人たちを教育する重要な場であるということは否定され難い事実であろう。学習者にとって、教室における日本語教材と日本人教師などは、異文化コミュニケーションの接触の主たる源だといえる。つまり、中国では教室を活動場としてICC能力の育成を認識しなければならないのである。
そこで、JSL現場と同様に、異文化コミュニケーションの内容を無限にしてしまうと、4年間の教育期間が定められるJFL現場では学習効果が得られるのかを考えなくてはならないであろう。この意味では教育内容のためのカリキュラムやシラバスが中国の日本語専攻教育に不可欠であると考える。
また、先行研究を概観したように、異文化コミュニケーション分野で扱っているICC能力は、言語·外国語教育分野の能力観に密接に結びつくようになっている。さらに、能力観の中心も、個人の心理的な資質からそこに社会とのかかわりを考える新たな能力が加えられるようになってきている。つまり、教育と社会とのかかわりの視点から能力や資質を扱うことが重要であると認識されている。
金田(2017)では、研究そのものが社会性を持つと強調している。どの分野においても、社会的課題を解決するために、‘社会を念頭に置かない研究はないはずだ’(同文献:16)。
日本語教育学会(2017)は、2015~2019年度事業計画において取り組む課題について、以下のように示している。
〔社会的研究課題〕
課題1日本語教育学の‘学問的専門分野’としての体系的枠組みの構築
課題2日本語人材·複言語人材育成のための日本語教師養成·研修の理念と枠組みの再構築
課題3多様なキャリア形成のための日本語教育内容の体系的再編成
公益社団法人日本語教育学会(2017∶26)
‘社会的研究課題’とは、日本語が関わる社会、あるいは日本語教育に関わる人々を取り巻く社会における諸課題の解決に資する研究課題、つまり社会的意義があると認められ、学会として取り組むべき研究課題を指している。そこに含まれる課題1~3の‘社会性’について以下のように説明している。
常に‘社会的’環境の中から多様な知見を吸収し、多様なニーズを汲み上げ、多様な要請に応じようとすることで成り立っています。その多様な研究·実践活動の成果は研究や教育の現場に、そして流動的な‘社会’に還元されて、研究·実践のさらなる推進や改革や創出の糧になるというように循環します。そして、‘多言語·多文化を背景とする人々をつなぎ、多元的な共生社会を創っていく’動因ともなるのです。このような意味で‘社会的研究課題’の‘社会性’を位置づけています。
公益社団法人日本語教育学会(2017∶30)
社会的ニーズから教育問題の研究については、専門別研究において重要視されているが、日本語教育学会(2017)は、日本語教育全般では教育研究·実践を‘社会的’環境·多様なニーズ·多様な要請に結びつけるべきであると主張している。つまり、教育問題を研究する際に、社会を考え、社会的環境に根ざして研究する意識の重要性がより増し、社会的ニーズ研究がその重要な一翼を担うものと考えられるようになりつつあることが理解できる。日本語教育に関わるいかなる問題を、学校教育の立場と一般社会的な立場から捉えることは、不可分かつ不可欠となっている。
中国における日本語専攻教育の大きな役割として、社会要請に応じる日本語人材を育成することがある。そこで、教育現場で実施されている教育活動を対象に取り組んでいる特徴や効果といった現状を調査·分析することは必要であるが、大学の教育に対する社会側が抱えるニーズを把握分析し、社会のニーズに応える人材要請に応えることを目的とした教育プログラムの開発も需要である。社会という現実を考慮しないと、教育の本質が見えなくなり、最後には、社会のニーズからも乖離していく。
ただし、中国人が実際に直面する異文化コミュニケーション場面について体系的にニーズ分析を行った研究は少ない。ニーズ分析を行った研究があるとしても、学習者側の学習ニーズ、教師側の学習ニーズ、JSP分野別のニーズなどに集中している。
そこで、ICC能力の育成のために、社会的ニーズに求められる能力を教育内容として現場に取り入れることには意義がある。だが、注意しておきたいことは、異文化コミュニケーションの場合には、参加者の互いの文化が異なることを前提としている。そのため、異文化コミュニケーションに必要とする能力が文化の差異を認める上で、どのように対処すればいいかということになる。
以上で述べたように、文脈におけるICC能力の特徴を理解するために、ICC能力についてどのように認識され、扱われているかを知ることは重要だと考える。そこで、日本語専攻教育におけるICC能力の教育内容を取り巻く文脈を社会と教育現場に分け、それぞれに調査と考察を行う。