



米国における異文化コミュニケーションへの関心は、第二次世界大戦後、米国が大国となることにより留学生や移民が増加し、米国外での市場開拓や、国外への専門家の派遣に伴い、異文化摩擦が増えたことにより高まってきた(石井他1997)。Edward T. Hallが1959年に“ Silent Language ”(國広他訳“沈黙の言葉”)を著したことが一つの契機となって、そこから異文化コミュニケーション研究が始まったと言われている。
米国は、国際社会で異文化コミュニケーション研究の発祥地であると認められている。上原(1996)における米国の異文化コミュニケーションに関する研究略史によると、‘合衆国で異文化コミュニケーションという研究領域は一九七〇年代に定着した’(同文献:61)ことが分かる。この領域における主要な課題の1つはICC能力の研究であり、異文化接触のプロセスの明確化と、異なる文化的背景をもつ人々と円滑な交流ができる人間の育成のために行われている。
20世紀50年代から現在までには、ICC能力モデルが次々に現れている。そこからはICC能力という概念の重要性が現れている一方で、雑多なモデルが研究者を混乱させたという欠点も見えてくる。陈(2009∶241)は、ICC能力についての文献は筋道が通っていないだけではなく、整合性をもつ視野にも欠けていると述べている。したがって、本研究の理論的枠組みを構築することに知見を得るために、Spitzberg & Changnon(2009)のICC能力研究の分類方法
により、米国で影響力を持つ幾つかのモデルを【表2-6】にまとめて、構成要素·適応分野·研究方法·各要素の関係性から考察する。
【表2-6】米国における主流モデルの分類表
Ruben(1976∶339-344)は、行為主義理論に基づいて、ICC能力をトレーニングで実現できる実体的なものと見なしている。また、ICC能力の推測は、実際のコミュニケーション場面における人々の実際的な行為からしかできないと指摘している。具体的には、‘相手に敬意を表す(display of respect)’·‘移情(empathy)’·‘知識への適応(orientation to knowledge)’·‘相手の立場にたってものを考える(interaction posture)’·‘状況に応じて役割にふさわしい行動をする(self-oriented role behavior)’·‘対話をうまく管理する(interaction management)’·‘未知の状況に不安なく対処できる(tolerance for ambiguity)’の7つをあげている。この7つは、コミュニケーション全般に共通していて、個人の心理的発展のプロセスに必要とされる能力要素と言える。それ以降、異文化トレーニングの実践家は、このモデルに基づいて、政府·企業·教育機関が海外派遣者を選択するためにそれぞれのICC能力を評価するツールを開発している。
次に、Kim(1991)が提唱したICC能力のモデルについて、西田(1998∶88-89)を参照し、【表2-7】にまとめた。
【表2-7】Kim(1991)のモデル
注:西田(1998∶88-89)より筆者が作成
Kimはコミュニケーション学を土台として、システム理論の視点から、ICC能力モデルを構築した。人間間の真の繋がりはコミュニケーションを通して実現し、ICC能力は認知的側面·情意的側面·行動的側面という3つの側面に関わる適応能力によって示されると述べた。また、このICC能力は、人間の内在的能力であり、どの特定文化の中でも異文化コンテキストに柔軟に対応することができる能力であり、国によって特定文化に対応する能力はそれぞれであるが、すべての特定文化に対応できるコア能力もあるはずであるとも述べられている。Kimが指摘したICC能力とは、そのコア能力なのであろうと考える。このコア能力は適応能力であり、異文化コンテキストの変化に応じて、柔軟に、かつ適切に自己調整を行えるものである。
Bennett(1993∶21-71)は、ICC能力をダイナミックに発展してきたものであると見なし、‘異文化感受性発達モデル(Developmental Model of Intercultural Sensitivity DMIS)’を提出した。それ以前の研究では、トップダウン型のICC能力を構成する要素を列挙することに焦点を当てているが、BennettのDMISはICC能力を異文化適応、あるいは異文化学習のプロセスとして見なしている。DMIS(【図2-12】)では、異文化適応プロセスを6つの段階に分けて、段階別に‘否定(denial)’·‘防衛(defense)’·‘矮小化(minimization)’·‘受容(acceptance)’·‘適応(adaptation)’·‘統合(integration)’としている。否定·防御·最小化を合わせた前期の3段階では、自文化を中心とする傾向になりやすいため、‘自文化中心的段階(ethnocentric stage)’といわれている。それに対して、受容·適応·統合を合わせた後期の3段階では、異なる文化を相対的に捉えるようになるので、‘文化相対的段階(ethnorelativism)’といわれている。Bennettのモデルは、‘文化差の認識に基づいて自己の世界観を形成していくことを人間としての発達過程と見なし、その発達段階を分類している’(石井他1997∶169)。
【図2-12】異文化感受性発達モデル
石井他(2013∶170)より
1990年代の終わりまでに、研究者たちはコミュニケーション能力自体に疑問を持つようになった。それは、言語教育の視点からICC能力を捉えている研究者の一人であるKramsch(クラムシュ2007)が指摘したように、‘コミュニケーション能力が、文化、アイデンティティとイデオロギーの問題を扱うことが実際にはできなかったためである。ヨーロッパの言語教育者たちがそれに異文化(コミュニケーション)能力の概念を加えたことも含めて’、‘異文化能力という概念は、コミュニケーション能力に取って代わるものではなく、コミュニケーションに文化的·歴史的文脈を考慮に入れたものであった’(同文献:6)ということになるのである。
このような背景に基づき、Kramschは、伝統的な外国語教育学に見る‘文化注入型’という教育方法を批判し、目的言語と母語をともに重要視し、‘interaction’を形成するために‘プロセス重視の文化教育(process-oriented culture teaching)’という言語文化教育モデルを唱えた。この言語文化教育の最終的な目的は、異文化間ミュニケーションと異文化理解を達成させることにあるため、事実的文化を理解する上で、認知的側面·情意的側面·行為的側面のそれぞれの角度から目標言語文化の特徴を吟味し、感受することを学習者に習得させなければならないと主張する。
Kramschは、このプロセスを4つの段階に分けている。
(1)目標文化であるテキストに対して、どのように理解し、表現することが分かる段階。
(2)自文化でこのテキストに対して、どのように理解し、表現するかを内省する段階。
(3)このテキストに対する目標文化と自文化を理解する段階。
(4)異文化対話を行い、異文化理解を実現する段階。
その核心となるのは、文化的コンテキストの異なりのため、我々が異なる方法や視点から外国語で世界を捉えていることにある。詳しく言うと、このプロセスの中で異文化理解を実現するために、我々がまず目標文化と自文化を理解し、その上で両者の相違点について内省し、文化滞在者と文化移動者という2つの身分で文化現象を捉えなければならない。したがって、このプロセスにおいて異文化の視点から文化を見ることが重要な要素である(Kramsch1993∶231)。
Kramschの研究では、ICC能力の具体的な意味と構成要素については明確に明示されていないが、言語文化教育学が目指す異文化コミュニケーションと異文化理解を育成するためのプロスセとそれに要求される要素を明らかにした。既存のICC能力モデルを構成する3つの次元である認知的側面·情意的側面·行為的側面に重なっている部分も多い。したがって、Kramschは、いかに言語文化教育を行うべきかを中心として議論を展開し、外国語教育学における言語文化教育研究の拡大に貢献した。言い換えれば、Kramschの研究は、ICC能力研究に対して不可欠な影響を与えて、学習者のICC能力を高めるために実用性がある方法を開発することの可能性を示唆したのである。
ICC能力の研究が盛んになるのに呼応して、Chen & Starosta(2000)は、既存の研究成果を統合する形で、より体系的なICC能力の理論的モデルを提出した。このモデルには認知的側面·情意的側面·行為的側面という3つの次元が含まれている。認知的側面は、本国文化と目標文化に関する知識、規則などへの個体の理解を意味している(Chen & Starosta1998)。情意的側面は、‘異文化敏感度(intercultural sensitivity)’として理解することもできる。これは個体が文化差異に対してこれを積極的に理解し、受け入れる願望であり、個体の異文化コミュニケーション行為をより有効に、適当に促進する機能がある(Chen& Starosta1997)。行為的側面は、実際の異文化コミュニケーションにおいて具体的なコミュニケーションの目的を完成するための能力を指す(Chen&Starosta2000∶3)。Chen(2007)では、それを‘異文化有効性(intercultural effectiveness)’という意味で使用している。通常的には、異文化技能、異文化スキルとも言われる。その中には、‘適切に言語と非言語コミュニケーションストラテジーを使う能力’などが含まれている。
Fantini(2000)が取り上げたICC能力のモデルでは、ICC能力の特徴を4つの側面に纏めている。【図2-13】に示すように、これらはそれぞれ、‘文化意識(Awareness)’·‘態度(Attitude)’·‘技能(Skil1)’·‘知識(Knowledge)’である。Fantini(2000)は、Kramschと同様に、ICC能力を外国語教育学の枠組みの中で捉えている。それだけではなく、4つの要素の関係性も論述した。【図2-14】は、その要素間の関係を示す。‘A+’は文化意識を示し、4つの要素の中の核心として、他の3つの要素の基礎であると述べている。言語教育に携わっているFantini(2000)のモデルは、外国語教育におけるICC能力の育成と異文化トレーニングに有益な知見を与えるだけではなく、ICC能力を段階に分けて考察していたことにその特徴がある。
【図2-13】Fantini のICC能力モデル図
Fantini(2006∶28)より
【図2-14】Fantiniモデルの内部関係図
Fantini(2000∶28)より
Deardorff(2004)は、異文化(交流)能力(Intercultural Competence)の特質と、それをどのように測定するかを追究するために、アメリカの大学に勤めている管理者と異文化コミュニケーション研究に携わっている学者を対象に調査を行った。被調査者にとって一番受け入れやすい定義とは、‘個人の異文化知識、技能、態度に基づいて、異文化接触場面で効果的、かつ適切にコミュニケーションできる能力’
(筆者訳)であることが明らかになった。その後、Deardorff(2006)は、この定義に基づいて、ピラミッド型のICC能力のモデルを構築した【図2-15】。
【図2-15】DeardorffのICC能力モデル図
Deardorff(2006∶254)より
このピラミッドの一番下にあるものは、異文化コミュニケーションに必要とされる態度であり、これによって尊敬·開放性·好奇心·発見する意欲を具体化することができるのである。具体的にいうと、それぞれ、他文化や文化の多様性を大切にすること(valuing other cultures·cultural diversity)、異文化学習と異なる文化を持つ人に対する判断保留(to intercultural learning and to people from other cultures·with holding judgment)、曖昧さと不確定性を許容すること(tolerating ambiguity and uncertainty)となる。
下から二番目のレベルでは、知識·理解と技能との相互作用の関係が表されている。表層的文化と深層的文化への理解を深くすればするほど、異文化技能をプラス方面へ促進することができる。同時に、異文化接触の場面で、優れた技能を身に付けたら、効果的なコミュニケーションができる。その結果、コミュニケーションを通して、新たな情報を見つけ、自分で他者との関係調整を有利に運ぶこともでき、結果的に自他文化への再認識が促されるのである。
Deardorff(2006)は、態度·知識·技能という3つの側面に含まれる各要素の作用から生まれたICC能力を、理想的な外的·内的成果という形で示している。つまり、ICC能力を、パーフォマンスできるコミュニケーション能力と個人の中で受容した心理適応能力に分けて捉えているのである。また、外的成果としたコミュニケーション能力は、内的成果の受容した適応性·柔軟性·文化相対観·共感の影響を受けてから、その役割を果たしていることも分かった。Deardorff(2006)は、異文化能力とICC能力を、同一の概念として捉えているが、このピラミッドのモデルに明確に示されているように、個人が内的に受容したものに基づいてコミュニケーションを達成する外的パーフォマンスを最終的に追究すべきだと考え、異文化接触場面におけるコミュニケーション能力を分析した。
以上に取り上げた米国におけるICC能力モデルの特徴は、次の3点にまとめられる。
(1)能力の伝統的な3分法とその下位項目の拡大化。
ICC能力を認知(知識)·情意(情緒)·行為(スキル)の3つの側面を通じて分析したものである。異なる文化で有効に、適切にコミュニケーションができるように、この3つの側面に関わる要素がともに発展する。
Spitzberg & Changnon(2009)は、先行研究で取り上げられたICC能力に関する要素は、300余りの異なった要素に分けられると明言したように、その下位能力の要素を幅広い領域から集めてきた。このような心理面を追究する研究のおかげで、個人の潜在的な素質と技能を抽出することを基礎としたICC能力のモデルを構築することができるようになった。しかしながら、ICC能力の評価基準を作ることは容易なことではなく、研究が進むにつれて有能なコミュニケーターに備えられるすべての特質をICC能力として羅列する研究方法は無限にICC能力のカテゴリーを拡張させ、要素間の関係が曖昧のままになってしまうという問題も出てきている。
(2)アメリカ社会に適応する一般的なモデルの偏り。
アメリカにいる滞在者や移民者の異文化適応問題を解決するための研究であり、これらの滞在者·移住者の一般的な文脈に適用できるモデルの開発に焦点化している。異文化コミュニケーション論に携わっている研究者は、最も多くのがアメリカ研究者である。彼らがアメリカにいる滞在者や移民者をアメリカの社会文化に適応させようと努力し、来米者であればどの国の人にも適用できる一般的な能力モデルを開発することに取り組んでいる。つまり、アメリカ以外の世界中の人々を同一視し、どのようにアメリカに適応させるかという視点から、ICC能力を捉えているといえる。
(3)言語問題についての不関心。
(1)と(2)で述べたように、コミュニケーション学と心理学から、文化ショックの問題を解消するために、ICC能力の研究は、異文化コミュニケーションに上達したエリートたちが備えている特質を抽出し、米国文化に適応させるために、それらの特質を外国人のコミュニケーターに獲得させるものである。したがって、言語能力の問題は、異文化コミュニケーションの課題として語られることが少ない。‘言語’そのものの重要性と役割を無視する傾向が見て取れる。
欧洲におけるICC能力の研究は、欧洲連合を中心として行われている。欧洲連合は28つの成員国からなり、24種の正式な公用語が定められているため、その大きな特徴は国際的社会で多民族、多言語と多元文化を持つ最も大きい地域一体化組織だということである。しかしながら、言語問題や多元文化に関わる衝突問題が欧洲の一体化を阻害する大きな原因であると認められ、‘一体化と多元化’の矛盾を解決するために、欧洲連合とその成員各国の相互理解に基づいて、異なる言語と文化を身につけて、国家間の交流と協力を促進しようとするグローバルな市民を育成する教育の重要性が提唱されている。つまり、社会的問題を教育上の課題として考え、現在最も積極的に取り組んでいるのが欧洲であるといえよう。そのため、異文化コミュニケーションやそれに必要となる能力についての長年にわたる研究成果や実践の蓄積があり、それを言語教育と結び付けた実証的な研究も徐々に増加してきている。
その中では、ByramのICC能力のモデル·Common European Framework of Reference for Languages(以下、‘CEFR’と略称)·A Framework of Reference for Pluralistic Approaches to Language and Cultures(以下、‘FREPA’と略称)という3つの大きな成果が挙げられる(【表2-8】)。
【表2-8】欧洲地域における主流モデルの分類表
Byramは、彼のチームメンバーとともに、20世紀90年代に欧洲諸国の言語文化教育の現状について調査した上で、欧洲地域における社会的ニーズに合わせて言語と文化を統合する総合的な教育モデルを開発した。1996年に‘欧洲市民の言語習得’(Language Learning for European Citizenship)という言語プランが6年の歳月をかけて完成した(Byram·Zarate1997)。この研究はいかに学習者の社会文化能力とICC能力を高めるかという視点から行われた。
1997年に出版された“ Sociocultural competence in language learning and teaching : studies towards a common European framework of reference for language learning and teaching ”は、1989年から1996年にかけての欧洲地域における文化教育の全面的な成果を纏めている。この研究では、外国語教育学における社会文化能力育成の重要性が強調され、‘異文化人間’を養成することは外国語教育学と文化教育学が目指している根本的な目的であると述べている。
このような背景下において、Byramは1997年に“ Teaching and Assessing Intercultural communicative competence ”を出版したが、この本は、ICC能力の教育方法に関する研究における重要な著作であると認められている。
この著作で、Byramは、外国語教育学理論を使ってICC能力及びその構成概念の分析を行っている。【図2-16】に示すように、ICC能力には‘コミュニケーション能力’と‘異文化間能力’という2つの側面がある。‘コミュニケーション能力’には‘言語能力’·‘社会言語能力’·‘談話能力’が含まれ、ICC能力の形成に重要な影響を及ぼす要因であるとByramは強調している。‘異文化間能力’には、‘知識’·‘態度’·‘解釈と関連付けの技術’·‘発見とインタラクションの技術’·‘批判的文化意識’という5つの要素が含まれる。四宮(2009∶262)·野畑(2012∶43)は、5つの要素を態度·知識·技能に纏め得ると論じたが、‘態度’·‘知識’·‘技能’·‘意識’に分類·整理することができると考える。‘意識’を単独の要素として分類した理由として、Byram(1997·2008)は、批判的文化意識(critical cultural awareness)
が異文化間能力の中核に位置するものであり、ほかの要素に影響を与える(Byram1997∶57-63)ものだからであると述べている。
【図2-16】ByramのICC能力の構成概念図
松浦他(2012∶92)より
異文化間能力の構成要素の具体的な内容は、以下の【表2-9】に示すとおりである。
【表2-9】ByramのICC能力の構成要素の詳細
注:野畑(2012∶43)·松浦他(2012∶94)に基づいて加筆したもの
‘態度’とは、好奇心と受容性(openness)を持ち、他人を重視し、異文化を自文化と同様に受け入れる。また、これは、客観的に自国の価値観、信仰などを捉え、唯一の正当なものだと考えず、異なる価値観·信仰の視点にたって、自国の文化を改めて見る姿勢を持つことでもある。
‘知識’には、母国と他国に関係している習慣·法律·宗教などの幅広い知識、一般的な対人コミュニケーションプロセスに必要とされる知識が含まれる。
‘技能’はさらに発現技能と解釈技能に分けられる。発現技能とは、他文化及び習慣の新たな知識を獲得する能力であり、実際のやりとりの中に、知識、態度と技能を使う能力である。それに対して、解釈技能とは、他文化に関係する知識と事柄を解釈する上で自文化に関係する知識と事柄と関連付ける能力である。
‘批判的文化意識’については、松本(2013∶52)が‘この意識を持つということは、対象を批判的、分析的に評価する際に、多様な文化の基準、観点、実践、事物などを偏見なく比較、対照、検証し、そこから自分が拠って立つ判断の規範を導くと同時に、自分の考え方と違うものを受容し、そこに矛盾や軋轢が生じた時には解決に向かって客観的かつ冷静な交渉ができることである’と説明している。
Byramは、コミュニケーション学に初めて外国語教育学の視点を取り入れ、ICC能力を扱っている。つまり、モデルにあるコミュニケーション能力というのは、狭義の言語運用能力であり、異文化コミュニケーションを検討する際に、無視できないのである。
さらに、文化アイデンティティの再構築に焦点を当てている。これは、詳しく言うと、自文化と他文化への気づきにより、自文化中心主義とステレオタイプを捨てる中立的な‘第三の場所’を見つけようとすることである。
コミュニケーション能力と異文化間能力から構成するICC能力研究は、欧洲地域において国境を超えた移動と就職機会の提供·獲得に必要となる公正さと効率性の差し迫った要求に対処するものである。そのため、ICC能力の研究は、多言語多文化を背景とした外国語教育·学習に新たな展望を開いただけではなく、新しい時代に相応しい目標に対する新たな解釈を付与したとも言える。
Byramとその一連の研究から生まれた巨大な影響としては、外国語教育学分野でICC能力の定義が幅広く引用されているということだけではなく、富盛(2014)が指摘したように、欧洲地域における言語政策を作り出す機関である‘欧洲評議会(Council of Europe)’がヨーロッパ共通参照枠を設定することにも大いに貢献したということが挙げられる。
欧洲地域では、言語能力に関する研究が言語政策や言語教育政策分野で推進されてきた。その中心機関となったのは、欧洲評議会の言語政策部門(Language Policy Division)である。この言語政策部門が出版した文章には、グローバル化時代に準ずる能力に関する記述が散見される。たとえば、2001年に欧洲評議会より発行された“ Common European Framework of Reference for Languages ”(“外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠”CEFR)では、第五章‘言語使用者/学習者の能力’において、‘人間の全ての能力は、言語使用者がコミュニケーションを行う力に何らかの形で寄与する’と述べられている。具体的には、‘一般的能力’と‘コミュニケーション言語能力’から構成されている。【図2-17】に示すように、その中には7つの次元と22つの具体的な要素が含まれている。
【図2-17】CEFRにおける言語能力の構成図
吉島(2004∶107-144)より
CEFRは、複言語·複文化の理念に立ち、7つの次元と22の具体的な要素から言語使用者の言語能力を記述している。そこでは、言語能力を一般的能力とコミュニケーション言語能力に分類し、その構成要素を論じているが、異文化間能力に関連深いと思われる能力は、‘一般的能力’に分類されている。‘一般的能力’は‘異文化間技能(intercultural skills)’として‘自文化と多文化を関係づけることができる力’·‘自分自身の文化と外国文化との仲介役を務めることができる力量’·‘異文化間の誤解や衝突に対して効果的な解決できること’などが目標として明記されている(Council of Europe2001、吉島訳2004∶104-105)。Council of Europe(2001吉島訳2004∶154)が指摘したように、なぜ言語学習者に一般的能力を求めるかの大きな理由として、‘コミュニケーション言語能力’のみを向上させても、社会への参加は困難であり、知識、技能、態度など広範な分野と言語との‘結びつきを考える必要性がある’ということがある。
しかしながら、CEFRが適応する文化文脈の特徴とそのそもそも言語教育向けの目的といった点からみると、欧洲以外の地域に応用する際に考えなければならない受容問題が顕著である。富盛·ソ(2015∶144)は‘相対的に言えば均質的な社会·文化的土壤で形成されたCEFR自体が、世界各言語地域の言語·社会·文化の実情に合わせて変容する可能性をもつかどうか、という点である’を指摘した。さらに、現段階でCEFRが応用された成果からみると、コミュニケーション言語能力に焦点を合わせているが、‘一般的能力’が重視されているとは言えない状況であろう。
したがって、CEFRは言語そのものを育成するために多く応用されているが、異文化に関する能力の重要性のほうは、認識されてはいるものの、分析に依存する可視化の記述文がほとんど見られないと指摘されることが多い。
そこで、CEFRにおける文化·異文化に関する側面の欠如を補うために、また具体的な実践を行うために、2007年より、‘ヨーロッパ現代言語センター’などの機関で、“ A Framework of Reference for Pluralistic Approaches to Language and Cultures ”(“言語と文化の複元的アプローチのための参照枠”)の開発に取り組み、2012年にこれを出版した。このフレームワークは、‘多元的アプローチによって伸ばすことができる能力とリソースの参照枠’(和泉/岩坂2015∶136)として開発され、現在、FREPAという略語で使われている。松本(2016∶45)が述べたように、‘ヨーロッパ各地で実践されている複文化·複言語的アプローチについて、様々な関連機関や学会を訪問することにより、言語教育の中で異文化理解教育を行うための指標作成と教育モデル構築を行うことができた’と認識されている。
FREPAでは、外国語学習の目的と異文化間に必要となる能力育成の目的を達成するための詳細な能力記述文が知識·技能·態度から作成されている。CEFRにおける‘異文化’に関わる構成要素の可視化の試みが言われているのである。
FREPAは、外国語教育分野にもたらす示唆についての多面的な考察を試みようとするものである。そこにリストアップされた能力やリソースを参照することによって、‘異文化間能力の育成を目指すカリキュラムや教材を開発する上で示唆に富む、有益なツールとしても用いることが期待されている’(FREPA2012∶9·中山2015∶44·原2017∶40)。そこで、実際の教育現場での指導案を作成する基準や評価ツールとして活発に用いられるようになった。FREPAにおける記述文は、‘知識(Knowledge):K’·‘態度(Attitude):A’·‘スキル(Skill):S’といった3大項目に分けられている。知識(K)には15のセクションがあり、言語(Language)と文化(Culture)といった2つの部分に分けられている。態度(A)には6つのセクションがあり、スキル(S)には7つのセクションがある。各セクションの内部では、上位項目と下位項目が分かるように記されていて、533項目でFREPAを構成している。
FREPAは、ICC能力の核となる異文化間能力の開発などに焦点を合わせているが、異文化間能力に言語能力やコミュニケーション能力が加えられた能力を、本研究が意図しているICC能力とし、両者を区別する。だが、FREPAを参照することにより、外国語教育におけるICC能力、特に異文化間能力の部分を検討することが可能だと考える。
欧洲地域におけるICC能力研究は、外国語教育学、言語文化教育学の枠組みの中で研究を行っている。文化と言語を統一的なカリキュラムと課程システムの中で融合し、理論的研究と実践的研究を強く結びつけている。この教育理念が目指しているICC能力の研究については実り多い成果をあげているが、限界も見える。それは、即ち、その研究対象が主に欧洲大陸と英国の文化教育に焦点を当て、一部分はアメリカの言語と文化を研究対象としているが、国際社会における他の地域の言語と文化には触れていないという点である。欧洲地域の経済、文化、連合面に関わる一体化を促進するためには、世界各地域に適用できる一般性のある基準が要請される。
日本におけるICC能力の研究を概観する前に、その土台となる異文化コミュニケーション研究に目を移す必要があると思われる。20世紀70年代から大規模な異文化コミュニケーション研究会
の開催に伴って、日本における異文化コミュニケーション研究が開始され、普及してきて、研究ばかりでなく、教育に関しても広がりを見せてきた。最初は日米間のコミュニケーションに焦点を当てて、アメリカの異文化コミュニケーション理論の影響を受け、異文化適応などの研究に着手しながら‘甘え’·‘たて社会’などの日本人のコミュニケーションスタイルの特徴を日米対比の視点から明らかにしてきた。だが、これは本当の異文化コミュニケーション研究ではなく、文化比較研究であった。久米(2011∶56)によると、日本における異文化コミュニケーション研究が実質的に広がりを見せ始めたのは1980年代の後半である。
また、異文化コミュニケーション研究に関連する主たる研究分野については、久米(2011∶57)が‘人の移動にともなって引き起こされるほとんどあらゆる問題がカバーされている’と指摘したような多様性が現出した。そこで、その1つの課題としてのICC能力の研究も、多分野にわたったものとなった。では、日本における異文化コミュニケーション研究の時代的変遷を背景に、‘ICC能力’という用語についてこれまでにどのような文脈で研究され、どのような問題があるのか、その動向を、異文化接触の心理的適応の視点·コミュニケーション学の視点·日本語教育学の視点のそれぞれから、具体的に概観する。
異文化コミュニケーション活動には様々な側面から影響を受けているが、コミュニケーション活動の主体である人間の内面的心理はコミュニケーションを深化させるためにより重要ではないかと考える立場からも、ICC能力を追究する研究が始められた。さらに、異文化接触の1つ特徴は、接触する当事者相互に影響を与えるだけではなく、何かの心理的変化をもたらすことである。したがって、特に、異文化コミュニケーション分野において、日本の研究者は、異文化接触に影響する様々な個人レベルの要素について研究を行っている。
倉地(1997)は、異文化コミュニケーションを表層構造と深層構造に分け、‘異文化での対人相互交渉における人間の精神活動や心的過程’を深層構造と名付け、‘言葉の形の正確さと意味のやりとりのなめらかさ’を表層構造と名付けている(同文献:69)。倉地(1997∶68)は、‘異文化コミュニケーションでは、まず初めに相互理解や自発的なコミュニケーションへの動機付けを進めることが大前提となるはずである’と強調し、このように、動機づけられた‘自己表現’が拡大されてから、‘言語能力’と‘社会言語能力’というコミュニケーションの技術面や表層構造が‘発話’として機能されると論じ、この深層構造に着目することは真のICC能力の開発を助けると指摘した。かくして、倉地は、異文化コミュニケーションにおける学習者の心理面に着目し、目的文化との接触機会を拡大するだけではなく、接触の深化も必要であると考え、ICC能力の開発を試みた【図2-18】。
【図2-18】倉地のICC能力モデル図
倉地(1997)により筆者が作成
また、心理的アプローチから捉えているICC能力に関連して、‘異文化リテラシー’の開発も進められている。山岸(1997)は、異文化リテラシーの枠組みを発表して、次の【図2-19】のように説明し、その枠組みを3つの部分に分けている。‘カルチャラル·アウェアネス’は自分の行動や考え方が自分の属する文化に規定されていることへの気づきであり、同時に、異なる文化や人々に対する関心の強さとも考えることができる。‘自己調整力’は、異質的な物に対してどの程度自己を調整して対処できるかの度合いである。具体的に‘寛容性’·‘柔軟性’·‘オープンネス’を取り上げている。‘状況調整能力’は、個人を取り巻く状況に対処する一般的能力である。‘感受性’は、以上の3つの領域のいずれとも関連する次元であり、枠組みの中で中心的位置を占めている。だが、加藤(2009)が山岸のモデルを評価したように、‘ある特定の文化ではなく文化一般に対応する能力としてとらえ’(同文献:13)ている。
【図2-19】山岸の‘異文化リテラシー’モデル図
山岸みどり(1997∶126)より
また、マツモト(1999)は、社会心理学のアプローチから日本人がアメリカ社会に適応するために不可欠な心理要素を具体化にし、その上でどのように測れるかのツールも開発した。これらの心理要素から国際適応力を構成するとマツモトが主張した【図2-20】が、異なる文化を持つ人とともに暮らしている異文化社会に早く適応できるようになるための必要な要素としても認められている。この意味において、マツモト(1999)は、ICC能力研究と相似性があり、その後の研究に有益な影響を与えている。たとえば、山本(2004)ではマツモトのモデルに基づいて、ICC能力の一部として感情面の‘共感力’の重要性を述べながら、‘文化の差、複数の現実が存在するという文化相対性を理解した上で、自分のこころ、自分が“感じること”を信頼して、“共鳴”感覚を大切にする’(同文献:115)という内包的意味を論述した。
【図2-20】マツモトの国際適応力モデル図
マツモト(1999)より筆者が作成
以上の研究に共通しているのは、ICC能力を個別文化ではなく、文化一般に対処する能力として扱われていることである。これらの研究は日本人、あるいは日本の滞在者を異文化間環境に適応させるように提言することを目的として行われている。ただし、外国語教育学との関連性は高くない。このように、ICC能力に関する研究を言語教育学の枠組みに入れていないため、言語学習から得られる影響も考慮されていない。
そこで、八島(2004)では、異文化コミュニケーション研究において第二言語学習についての要素が欠けている問題を指摘し、‘異文化間能力や異文化対応力という技能や資質の総体系のようなものを仮定した場合、第二言語コミュニカティブ·コンピテンスをどう位置づけるかということ’(同文献:142)を考えなければならないと強く主張し、心理学的アプローチから第二言語による異文化コミュニケーション行動へのプロセスを【図2-21】に示した。
【図2-21】に示すように、第二言語コミュニカティブ·コンピテンスでは‘文法能力’·‘方略能力’·‘社会言語学的能力’·‘談話能力’を構成するコミュニケーション能力に目標文化社会の‘文化文法’を加えている。この‘文化文法’は、特定文化コンテキストにおける対人関係樹立に役に立てるコミュニケーション·スタイルとして考えてもいい。それに、第二言語コミュニカティブ·コンピテンスのほか、異文化適応するための感情の面、性格の面、非言語コミュニケーションの面に必要とする心理的な要因が含まれている。
【図2-21】八島の異文化間コミュニカティブ·コンピテンス概念図
八島(2004∶146)より
八島(2004)が取り上げたモデルは、アメリカに滞在する日本人高校生を対象とする実証研究を通じて、異文化適応の問題を外国語教育学と結びつけたもので、異文化の相手とのコミュニケーションを目的とする外国語教育学に‘外国語運用能力を指すコミュニカティブ·コンピテンスを内包し、異文化接触·異文化理解の視点を強くいれる“異文化間コミュニカティブ·コンピテンス”’(同文献:148)を提案したことは評価できる。しかしながら、実際の接触は特定文化コンテキストで行われ、‘相手の言語を用いて相互作用をすることで、その文化における対人的意味空間を体験する’(同文献:143)。そのため、八島のモデルは、ただ日米間コミュニケーションに必要とする能力の研究に限られるという限界が残されている。
コミュニケーション学の視点から、西田(1998∶87)は、‘言語及び非言語の意思伝達手段を用いて行われる文化背景の異なる人との人間関係の形成、維持、終焉のためのコミュニケーション行為·行動’としてICC能力を定義した。このようにコミュニケーション行為に注目し、かかる行為·行動に必要とする能力についての研究はコミュニケーション学の視点から扱われるものとして纏める。
このアプローチでは、欧米の理論を日本の文脈で実証研究を通して検証し、日本に相応しい理論の構築が求められるように研究することが多い。
石田他(1997)は異文化コミュニケーション論の視点から、ICC能力に欠かせない基本的な要素である‘効果性’と‘適切性’を提示した上で、‘異文化で自分の期待に沿って目的を達成すると同時に、そのための行動が、異文化の人々から、おおむね適切であると知覚されること’(同文献:17)をICC能力の定義とした。この能力を構成する具体的な要素を、行動面·技能面·態度·性格·その他の要素に分けている。その中の‘公式の場で論理的な自己表現ができること’·‘集団に依拠しない自己を確立すること’·‘異なる意見をもつ人に対して感情的にならずに対応すること’を日本人に必要な能力として記述したほかに、一般的なICC能力の視点から行動面と技能面に関わる要素を第一義的な構成要素として強調し、態度には認知と情緒の2つの側面があることに注目した【表2-10】。
【表2-10】石田他(1997)が提示したICC能力の枠組み
注:石井他(1997)より筆者が作成
その後、石井(2001a:110)は、‘最近の異文化間コミュニケーション能力モデルは、従来の主流文化適応型から対人関係確立型へ移行している’という状況を背景として、英語教育関係者に新たな視点を提供するために、双方向の交信型ICC能力育成の重要性を述べた。その結果、‘異文化間コミュニケーション能力の構造と構成要素のモデル’を作り上げた【図2-22】能力モデル①詳細は [表2-11]に示す。これは、コミュニケーション学からの視点を外国語教育学に取り入れた成果であると言える。
【図2-22】石井のICC能力のモデル図
石井(2001a:119)より
【表2-11】石井のICC能力モデルの詳細
注:石井(2001a:112)より筆者が作成
石井モデルの特徴として、①‘対人関係を確立及び維持すること’を重視すること、②個人の批判的文化意識だけを強調するではなく、コミュニケーションの特性を示す‘相互作用’に焦点を置き、‘相互作用意識’·‘相互作用メカニズム’を重視すること、③コミュニケーションを話し手、聞き手及びコンテキストの相互依存による協働作業とみなしていて、コミュニケーションの流動性及び双方性を明らかに示していること、④異文化間接触での言語コミュニケーション能力に含まれる具体的な内容を詳しく提示していること、の4点が挙げられる。
なお、もう一人の研究者である西田(1998)は、Kim(1991)·Gudykunst(1991)の枠組みに基づいて、日本文脈での一般的なICC能力を測定するために、3つのカテゴリーと13個の構成要素からなるICC能力を提示した(【表2-12】を参照に)。
【表2-12】西田(1998)のICC能力モデルの詳細
注:西田(1998)より筆者が作成
平高(2006)によると、ある言語教育の理念と目的、及び能力を追究するときには、背後にある言語観·言語教育観を明らかにすることが第一の任務である。グローバル化時代の進化に伴って、外国語教育を含む言語教育の言語と意義は巨大な変化をもたらした。したがって、外国語教育という文脈においてICC能力を扱おうとすれば、教育理念、あるいは言語やリテラシーの能力観とその変遷を明らかにする必要がある。
日本語教育分野では、ICC能力という用語が今も定着していないが、1980年代から、日本語による接触場面を異文化場面と見なし、そこに必要となる能力を‘インターアクション能力’·‘異文化間能力’·‘文化リテラシー能力’·‘社会構成能力’などの周辺概念として使ってきている。そこで、本節では、細川(2011)·葛茜(2012)·佐藤/熊谷(2013)がまとめた教育理念、言語能力観の変遷に基づいて、日本語教育分野におけるICC能力とその周辺概念を概観していく。
この35年間以上の日本語教育分野における能力観の推移を概観すると、およそ‘第1期 ことばの文化の理解力観’·‘第2期 インターアクション能力観’·‘第3期 文化リテラシー能力観’·‘第4期 社会参加のための能力観’の区分が可能であると考える。
第1期 ことばの文化の理解力観(60年代から80年代前半にかけて)
この時期における能力観は‘能力主義’の考え方と‘ことばと文化の関係論’に基づいて生まれてきた。熊谷/佐藤(2013∶72)によると、この時代の文脈では‘学習/習得とは、個人が内的に何かを獲得することと同義に捉えられ、それは知識や情報を頭の中に蓄積するという考え方に典型的に現れている’。そこで、能力を知識として覚えることと捉えるのがこの時代の特徴である。また、言語と文化の関係が問題視されるようになったため、日本語教育における‘文化とは何’という課題を解決するために、‘日本語·日本文化特殊論’(細川2000∶105)を重視することが顕著となった。
このような背景に基づいて、日本語教育の‘日本事情’が日本文化を獲得するために位置づけられる傾向があった。さらに、日本文化を特異なものとして強調するために比較文化論も盛んに行われてきた。
第2期 インターアクション能力観(80年代中期から90年代後期まで)
1980年代後半から、日本語教育学においてコミュニカティブ·アプローチが一般化され、教育目標がコミュニケーション能力の育成として位置付けられるようになる時代になった。言語と文化が切り離せないものとして捉えられるように、言語と文化が一般化され、規範化される傾向にあった。つまり、日本語教育の中で、日本語そのものだけではなく、社会文脈の中の行動規範のようなものを捉えることが重要なポイントとして現れてきた。
このように、日本人と外国人はそれぞれ異なる文化的規範(行動様式)に従って行動を行うため、ネウストプニー(1989)は、日本人と日本語でコミュニケーションする際に、日本文化の規範に則った行動をしなければならないと強調している。同論考では、人の相互作用に焦点を当て、コミュニケーションがうまくいくかどうかというのは異なる文化における社会的規範の運用状況と、参与する者同士間の相互作用に関わっていると考えている。
この行動規範は、‘文化行動’として重要視されている。ネウストプニー(1983·1989)は文化·言語·コミュニケーションという3者の関係を考察し、コミュニケーション行動の立場から、Hymesの理論をもとに‘文化行動’を構築し、それが‘言語行動’·具体的な日常生活の実質行動である‘社会文化行動’·文法以外のコミュニケーション行動である‘社会言語行動’から構成されていると主張した。
ネウストプニーの理念では、情報を伝達したり、情報を交換したりするコミュニケーション自体が言語の主たる目的ではなく、情報伝達·交換の結果として、社会と関わるように様々な社会行動を行うことが究極的な目的である。このように、言語能力を社会的文脈の中で捉える必要性が叫ばれるとともに、社会文化を重視するアプローチが生まれるようになった。
‘社会文化行動’は、文法·語彙という言語能力、コミュニケーション能力、文化の運用能力からさらに広がり、社会活動を行うために必要な知識、能力をも含むようになる。その上、ネウストプニーは日本語教育が単なる文法教育ではなく、インターアクション教育を目指すべきであると主張し、最終的な目標となるのは、‘社会·文化·経済的なインターアクションのための能力’(ネウストプニー1991)であると説いた。そこに加えて、‘社会文化行動’に対応する‘社会文化能力’を取り上げるとともに、‘インターアクション能力’観【図2-23】を提唱した。
【図2-23】ネウストプニーの‘インターアクション能力’モデル図
ネウストプニー(1999)より筆者が作成
佐々木(2002)は、日本語教育で重視される文化概念の視点から、この時期において‘文化的背景の異なる人々の直接的接触の中で、自己と他者の価値観や認識、行動様式の差異に気づくことを重視します’(同文献:227)と言い、この文化概念を‘他者との相互作用に介在する文化’と特徴づけた。
しかしながら、この‘他者との相互作用に介在する文化’は、その時期の日本語教育文脈においては、日本人の価値観や認識、行動様式のみに関わっていた。つまり、学習者が事前に日本社会的なコンテキストの特定する要素を集めれば、日本人との共有や理解を達成しやすくなるという考え方である。要するに、相互作用や社会性を日本や日本人の社会的要素の学習を通じて実現することが期待されているのである。そこから、学習者主体性や学習者の個人アイデンティティという大きな問題点が生まれる。
一方、岡崎(1988∶28)は、学習者の母国文化の自覚·日本文化の認識·異文化経験上の思考形式と対処仕方という3つの方面から、日本語教育学が文化的背景を重視する特徴を纏めた。岡崎(1988)の考えに基づき、日本語教育学の立場から文化をどう捉えたらよいのか、具体的にどのような文化要素を日本語教育に取り入れるべきかという問題に関して‘文化とは何か’を問い直し始めた。この文化と言語の関係についての捉え方がその時期に現れてくる自文化の第一文化と他文化の第二文化を理解し、他者との相互作用の中に第三文化を内省し、構築する考えに共通している。これが第3期にある‘文化リテラシー’に大きな影響を与えている。
第3期 文化リテラシー(90年代末から10年代前半まで)
この時期に、研究者や教育実践家の視線が教師中心主義から学習者中心主義に移ったのは学習者の主体性に焦点を合わせた結果である。この背景に基づいて、従来の固定的で静的な文化の知識を持つことや、日本語を‘正しく’、‘ネイティブのように’使うことに対して批判的に捉える研究が盛んになっている。
その中で、齋藤(1999)は、ネウストプニーの行動論に基づいたインターアクション能力観に個人の内面的な発達を伴う人間形成を見る視点が欠けている点を批判し、社会心理学からの示唆を合わせて、【図2-24】に示すような‘日本語の学習を通じて学習者自身が人間形成を行ってゆくプロセスとして捉えるべき流動的な能力観’(同文献:69)を提唱した。
【図2-24】齋藤(1999)のICC能力の構成図
齋藤(1999)より筆者が作成
ネウストプニーのインターアクション能力観は、言語と文化の関係に焦点を当て、日本語教育学における文化的側面が重視されるようになることに大きな影響を与えたが、川上(1999)は、ネウストプニーの社会文化観に含まれる‘固定的な文化’観·‘同化主義観’を批判している。細川(2006)も、この社会文化能力について、‘情報’としての‘日本文化’であると大いに批判をした。‘人間関係のルールはそう簡単に記述化できるものではないはずなのに、それをできることにして論をすすめたところに“社会文化能力”論の最大の問題があったといえよう’(同文献:135)。
文化を、多様性があり、ダイミックスなものとして考えるようになった、細川を代表とする一連の研究者は、‘文化リテラシー’を取り上げ、‘参加者一人一人が日本語による様々な活動の中で、的確な自己表現力を身につけ、限られた期間にその目標を達成することによって、それぞれの問題を発見し解決する力をつける’ことを日本語教育の文化能力育成の目的としている。この意味から見ると、日本語教育学では、静的、固定的、均質的な言語や文化に対する知識、価値観などをコミュニケーション能力の習得に必要であるだけではなく、学習者が積極的に文化再構築に関わる批判的視野、分析する力や主体的に個々の思考や表現を活性化するための活動が重要視されるようになっている。これは、欧洲におけるICC能力の育成の理念から大きな影響を受けた結果である。
細川(2007∶41)は、‘文化リテラシー’について以下のように述べている。
他者の文化を認識し、自らの文化との相違や接点を模索していく作業それ自体であり、それぞれの持つ固有の文化、すなわち‘個の文化’を相互に開陳し交流しあうことができる能力が、ここでの‘文化リテラシーliteracy of interpersonal culture’と称すべきものであり、(以下略)。
また、欧洲における理念に共通しているところも述べた(細川2009∶161)。
私自身が定義·構築した‘個の文化’とのかかわりから、inter-personal literacyというコンセプトを考えていた。‘社会文化能力’(ネウストプニー、1991)という考え方に対抗する意味もあった。むしろ現在、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)で使われているinter-cultural competenceに近い概念と考えている。
細川と一連の研究者たちの研究は、日本語教育学における文化的教育·学習をめぐる言語文化教育の重要性を唱え、その教育パラダイムの転換を意味する‘文化リテラシー’を打ち出した点できわめて斬新であるといえよう。
塩澤他(2015∶68)によると、‘文化リテラシー’には3つの意味が含まれる。1つ目は、‘文化の中で形成された、認知·情動の動きを柔軟にし、それに囚われないことで、自分の文化の常識を疑ってみることが含まれる’。2つ目は‘感情に流されず冷静な判断をすることで、相手の主張に押し流されず、また相手の視点からものを見ることで、ときに有効な反論にもつながる’。3つ目は‘多様な視点や物の見方を獲得することは、自文化、他文化を超えて第三の視点から俯瞰的に両者を見ること’である。
同論考は、外国人学習者がステレオタイプ化された異なる文化の規範や文化型のような静態的な知識を一方向的に文化として学習するのではなく、‘個の言語活動主体として社会とどう関わるか’、‘他者と対等な対話や議論ができる自己の形成でもあり、行為者一人ひとりが、一個の言語活動主体として、それぞれの社会をどのように構成できるのか’という課題と向き合って、‘第三の文化’という新しい文化アイデンティティを形成させることを重視している。
ここで特に強調されているのは、文化教育を、一方的にどちらかの利益のみを達成目標とするのではなく、お互いを尊重して行うという点である。つまり、相手か自分、どちらかの文化に従うという同化教育ではなく、新たな価値観や文化を相互に構築していくという姿勢が必要であると考えるということなのである。
第4期 社会参加のための能力観(10年代前半から以降)
第4時期では、他者との相互作用を通じて、異なる文化(アイデンティティ)を統合する‘第三’の文化(アイデンティティ)を見つけ、構築するということが重要視されている。つまり、他者との関わりがこの‘第三’の文化(アイデンティティ)を構築する文脈や源といえるであろう。そこで、日本語教育においては、言語と文化の問題のみを検討するだけではなく、‘他者’·‘対話’·‘協働’というキーワードを中心として、‘ことば-他者-社会(文化)’の関係に目が向けられてきている。細川(2007)の文化リテラシーと相互文化能力のほか、佐藤/熊谷(2013)の‘超文化コミュニケーション力’、福島(2012)の‘社会構成能力’がその代表的な研究概念である。
佐藤/熊谷(2013∶91)は、文化の再構築を目指す‘人と人がそれぞれの文化を超えてやりとりを行う時、そこに生まれる新しい文化という考え’で‘超文化コミュニケーション力’という概念を提案した。コミュニケーションにおいては、自文化と他文化の間に明確な境界線はない。さらに個々の文化は固定的、静的ではなく、恣意的で文脈によって変化している。したがって、文化を単位ごとに分けて学ぶこと自体はさほど大切な問題ではない。文化と文化、言語と言語の間に新しく作られる空間を作り出すことが大切なのである。
超文化コミュニケーションとは、異なる社会文化的背景を持つ者同士が、ある共通の目的の下に、情報交換を行うだけでなく、様々なやりとりを通して協働的に意味作りを行うことである。そして、それは、それぞれの社会文化的な背景や文脈と多様性を重要視するとともに、社会における不平等な権力関係を問題視し、より公平な社会へと改革をめざすためのプロセスである。このようなコミュニケーションがうまくいくかどうかは、個々人の中に内在する力によってだけ決められるものではない。個人が社会/他者との関係の中で、何をもって‘コミュニケーションがうまくいく’と言えるのかを一緒に考えていく機会を持ち、ともにその基準を決め、お互いに評価し合っていくことも必要である。このように関係性の中から現れる能力をも含んだICC能力を超文化コミュニケーション力と定義する。佐藤/熊谷(2013∶91)
この‘超文化コミュニケーション能力’についての考え方は、欧米の複文化·複言語主義の根底にある教育理念と共通する部分が多い。この考え方に基づいてICC能力を捉える際には、‘異文化’‘コミュニケーション’に焦点を合わせることはせず、個人の認知面と心理面までを追究することも中心としていない。その代わりに、社会的平等の視点から、ICC能力を再定義し、社会と他者の関わりの中にコミュニケーションを取る相手と繋がる新しい文化を構築することに必要となる能力が重要だと考えられているのである。
また、福島(2012)は、欧洲評議会の活動モデルを‘共に生きる人’の規範的モデルとして、これに基づき、日本語教育を取り巻く環境という文脈の特殊性や日本語教育と‘人-ことば-社会’との関係を考慮しながら、‘社会構成能力’を構築した。この能力は、‘国籍、母語などの属性に関わらず必要となる’(同文献:68)ため、日本語教育の全ての対象に求められると考えられている。福島(2012)は、日本語教育の対象を【図2-25】に示すように、日本語母語話者と非母語話者、居住地が日本国内か国外かの区別により、4つのグループとして取り上げたが、‘社会構成能力’は4つの象限にあるすべての個人に求められるものであると強調した。
【図2-25】日本語教育の対象の四象限
福島(2012∶69)により
そこで、福島(2012)では‘社会参加のための言語教育’の視点から日本語教育を捉え、【図2-26】に示すように、‘社会構成能力’とその構造を開発した。
【図2-26】福島の社会構成能力の概念図
福島(2012∶75)により
‘社会構成能力’とはどのようなものであるかは、以下のように説明されている。
‘社会構成能力’は‘人-ことば-社会’の生成過程において、認知的判断、行動選択、自己実現を支える能力であり、‘批判的認知能力’‘生活遂行能力’‘アイデンティティ管理能力’が‘批判的能力’‘コミュニケーション言語能力’により統合された能力である。福島(2012∶75)
上述の4区分の変遷から見ると、日本語教育分野において、異文化コミュニケーション課題に関心を寄せ、そこに必要とされる言語能力観を検討することは文化問題についての議論から展開されている。だが、時代の変化とともに、議論が依存する立場や理念が日本語教育分野から、もっと大きな枠組みである一般的な人間形成教育分野に転換してきているといえる。つまり、現在の日本の日本語教育分野では、異文化コミュニケーションの立場を前提として、言語能力や問題について一般的な教育学·学習論の視点から議論することが一般的である。
異なる言語や文化を持っている人間との接触が日常上起こるのが今の社会的な現実である。このような接触が増加していくと、‘社会再構成’の動きが生じて、‘人-ことば-社会’の関係についての再検討が促されている。日本においても、言語問題が意識化され、言語教育を社会的文脈や、言語政策のより大きな枠組みの中で捉える傾向が見て取れる。
佐藤/熊谷(2013)では、社会文化的アプローチにより、他者との対話及び関わりに焦点が置かれている。細川の一連の研究、福島(2012)は、欧洲評議会の複言語·複文化理念に関連し、言語教育をシティズンシップ教育と統合し、アイデンティティの形成を注目をしている。
これらの研究は、それぞれの視点を強調したが、グローバル時代を背景として、能力観を構築するところが共通している。具体的に言うと、母語文化(アイデンティティ)と他文化(アイデンティティ)を統合することを通じて、自己実現の達成が目標とされていることである。学習者は、社会性を持っている行為主体と見なされ、多元的な社会で生きるために言語を意思伝達の手段として、個人のアイデンティティを管理するとともに、相手との人間関係、社会関係を築くことが最終的な目的だと考えられている。
さらに、これらの能力を育成する対象に非母語話者だけではなく、日本人という母語話者も含まれることについては、一致している。つまり、これらの研究は異文化適応の同化主義から脱却し、異なる文化を持つ人間同士が共にいきる‘共生社会’を目指している。