



日本語専攻教育におけるICC能力についての研究は、この15年くらい前から始まっているため、関連した研究成果は豊かといえないであろう。そこで、日本語専攻教育だけではなく、外国語教育全般の文献研究を通じてICC能力研究の現状を明らかにし、全体の研究動向を把握しながら、日本語専攻教育におけるICC能力研究の様相を窺うこととする。
中国国内で出版されたICC能力に関する研究文献を収集して、概観した。文献検索として使用したものは、中国の研究文献を検索するデータベースの‘中国知网(中国知網)’
である。文献を収集する際には、‘中文核心刊行物’
を中心に、検索キーワードを‘跨文化交际能力(異文化コミュニケーション能力)’と‘跨文化能力(異文化能力)’とした。その結果、1996年から2017年にかけて103本の研究文献を入手した。その内1本は書評に関わる文献であるため除外し、102本の文献を研究対象とした
。
本調査では、収集した文献(計102本)を対象とし、中国においてICC能力に関する論議が、これまで何について、どのような方法を通じて、どのような指摘をしてきたのかを整理する。
調査対象とした文献102本に関して、論文数に注目し、以下4つの観点から量的分析を行った。
(1)年代別動向:論文が発表された年代ごとに分類する。それによって、研究全体の通時的動きを把握することができる。
(2)研究分野:ICC能力の研究は人類学·コミュニケーション学·心理学·社会学·教育学などのような多数の研究分野に関わっているため、学際的な特性を持っている。だが、本調査では外国語教育分野に焦点を合わせ、目標言語となる言語別に分野を分けて文献を分類し、その傾向を示す。
(3)研究内容:どのような指摘がなされてきたかを整理するために、収集した文献の課題や目的、主張などが明確に記述されているものを分析し、研究内容を中心として分類する。
(4)研究方法:収集した文献においては、どのような方法論が用いられているかを明らかにするために、研究方法を分類し、その特性を考察する。
以上の量的研究のほか、研究内容について具体的にどのような内容や指摘がなされているかを中心として文献の内容分析を加える。具体的には、以下の【2.2.3】の量的研究と【2.2.4】の文献の内容分析となる。
まず、発表年ごとの文献数を見ていく。【表2-1】に示すように、収集した文献102本の刊行年ごとの分布が明らかになった。
【表2-1】収集した文献の刊行年ごとの分布
次に、収集した文献数の推移を【図2-1】に示す。【図2-1】の横軸は年号であり、縦軸は年ごとの文献の数と割合を表し、文献数の推移を実線の折れ線グラフで示した。
【図2-1】年代により文献数の推移
調査結果により、以下の2つのことが見て取れる。
(1)1996年からICC能力をキーワードとした文献を収集することができる。推移については、増減を繰り返しているものの、分布の線形が回帰直線になっていることにより論文数も、その全体に占める割合も、共に増加傾向であることが了解される。
(2)文献数が最も多いのは、2013年の14本であり、2012年·2014年が11本、2016年が10本、2015年が8本、2017年が7本となっている。2012年から2017年までの約5年間に刊行文献数が集中していることが示されているが、特に2012年以降は計61本あり、論文数全体の59.8%を占めていることが明らかとなった。
2012年から論文数が急激に増加しているのは、“国家中長期教育改革と発展企画綱要(2010—2020)”が策定·実施された時期だからである。綱要の中に、‘大量の国際的な視野を持ち、国際的なルールに熟知し、国際的な事業や国際的な競争に携わる国際的人材を育成する’
ことが強調されている。2013年に最も多くの論文が収集されたのは、高永晨が中国国家社会科学基金のプロジュエクト“中国大学生跨文化交际能力测评体系研究(中国大学生異文化コミュニケーション能力の測定システムに関する研究-筆者訳)”を、樊蒇葳が“中国大学生跨文化能力综合评价研究(中国大学生の異文化間能力に関する総合的アセスメント研究-筆者訳)”、それぞれを担当しているからである。この2つの国家レベルのプロジュエクトを契機に、関連する文献は2013年が4本、2014年が1本、2015年が1本、2016年が3本、それぞれ刊行された。
収集した文献を、密接に関連する分野から見ると、英語教育分野·日本語教育分野·中国語教育分野·ドイツ語教育分野に分けることができる。
【図2-2】に示すように、最も多かったのは英語教育分野で72%(74本)、続いて日本語教育分野で21%(21本)、中国語教育分野で6%(6本)、ドイツ語教育分野で1%(1)である。
【図2-2】研究分野の内訳
英語教育分野に関わる文献が多かったのは、まず、中国において他の言語学習者より、英語学習者がより多くいるため、次に、ICC能力についての研究は欧米から始まり、今も欧米において最も盛んに行われているためである。さらに、中国において英語教育に携わっている研究者や教育実践家が高い英語力を持ち、素早く最新的な研究成果を入手することができるためでもある。最後に、国際的な進化を追いかけるために、国家レベルの英語教育政策が絶えずに発行されているのも、理由の1つである。このような刊行物には、2007年教育部高教司の“大学英語課程教学要求”、2010年教育部の“国家中長期教育改革と発展企画綱要(2010—2020)”、2015年教育部高等学校大学外国語教学指導委員会の“大学英語教学指南”などがある。これらの言語教育政策にしたがって、英語教育分野では相当する研究·改革·実践などが常時行われている。つまり、中国においてICC能力とその育成に関する研究に関しては、英語教育分野が他のどの分野よりも大きな貢献を果たしているといえる。
ICC能力研究では、どのような研究が行われてきたかを整理するために、収集した文献を研究内容の視点から集計した。具体的には、‘ICC能力の教育理念とその重要性’·‘ICC能力の本体論’·‘ICC能力の育成’·‘ICC能力の測定’·‘ICC能力に影響する要素’の計5カテゴリーに分け、集計した。結果を【図2-3】に示す。
【図2-3】研究内容の内訳
【図2-3】に示すように、研究内容から見て最も多かったのは‘ICC能力の育成’(58%、60本)、続いて‘ICC能力の本体論’(26%、27本)、‘ICC能力の教育理念とその重要性’(9%、9本)、‘ICC能力の測定’(5%、5本)、‘ICC能力に影響する要素’(2%、2本)となった。
‘ICC能力の育成’が最も多く研究されたのは、近年の外国語教育学研究においてICC能力に対する関心が高まってきたことと深く関わっていると見なすことができよう。外国語教育はICC能力を育成する重要な場であり、手段であるため、外国語教育学においていかにICC能力を育成し、高めるかということが重要な課題になっていたことが十分に考えられる。
‘ICC能力の本体論’はICC能力研究において基礎的な課題と考えられているが、本調査の結果からは、文献数全体の3割に及ばないことが明らかになった。つまり、ICC能力そのものについては、焦点が合わせられていないと言えるであろう。
さらに、‘ICC能力の測定’·‘ICC能力に影響する要素’は、‘ICC能力の育成’と同様に応用研究
に当てているが、文献数から見ると極めて少ない。ICC能力をいかに評価するかということは、外国語教育のプロセスにおいて重要な課題の一部と考えられている。科学的評価方法は、学習者のICC能力育成の効果を客観的にアセスメントすることができるだけではなく、評価結果から教育方法を見直す等、実際の教育に波及効果を与え、言わばオーケストラの指揮棒のような役目を果たすものであるだけに、この分野の研究の乏しさを示す厳しい現状が見られたと言える。
【2.2.3.2】の研究分野を考察する視点から、文献が4つの研究分野に及んでいることがわかった。これらの分野の内部で、研究内容の分布においては差異があるかどうかを【図2-4】で見ていく。
【図2-4】に示すように、英語教育分野では、5つの研究内容の全てが研究されている。日本語教育分野では、‘ICC能力の測定’に関する文献が見られない。中国語教育分野とドイツ語教育分野では研究内容に偏りがあり、前者には‘ICC能力の育成’と‘ICC能力の本体論’に関する文献のみがあり、後者には‘ICC能力の本体論’に関する文献のみが、それも1つだけある。
【図2-4】研究分野による研究内容の分布
英語教育分野と日本語教育分野においては、‘ICC能力の育成’に関する文献がそれぞれの分野で最も大きい割合を占めていることがわかった。これらの‘ICC能力の育成’に関する文献は、さらに‘ICC能力の育成現状’と‘ICC能力の育成方法’に分けることができる。‘ICC能力の育成現状’は、学習者が持っているICC能力の現状についての研究である。‘ICC能力の育成方法’は、現場でどのように能力を養うかについての研究である。その結果を【図2-5】に示す。これを見ると、英語教育分野と日本語教育分野においては、‘ICC能力の育成’、特に‘ICC能力の育成方法’に関する研究に注目が集まっていることが明らかになる。
【図2-5】‘ICC能力の育成’の内容の内訳
ここでは、理論的研究·実証研究·文献研究に分けて文献を分類する。理論的研究は、研究者の内省的思考を中心にICC能力とはどのようなものであるか、どのように育成するべきかなどを理論的に述べた文献を指す。実証研究は、調査協力者を対象に、実際に調査を行うものである。この実証研究を、さらに、アンケート調査法などを用いた量的研究、インタビュー調査法や自由記述法などを用いた質的研究、量的研究方法と質的研究方法を併用した研究の3つに分けることができる。文献研究は、先行研究における文献を対象に調査·分析を行ったものを指す。
ICC能力の研究においては、具体的にどのようなタイプの研究が行われているかを見ていき、研究方法の分類により集計した結果を【図2-6】に示す。
【図2-6】研究方法の内訳
【図2-6】に示すように、ICC能力に関する研究で最も多かったのは理論的研究(70%、71本)であり、次に実証研究(28%、29本)、文献研究(2%、2本)と続く。
次に、この3つの研究方法をさらに研究内容によって分析する。【図2-7】に示すように、‘ICC能力の本体論’は他のカテゴリーと比べると、理論的研究が使われている割合が最も多い。一方、‘ICC能力の測定’は他のカテゴリーと比べると、実証研究が使われる割合が最も多い。さらに、‘ICC能力の育成’は理論的研究が主流を占めており、‘ICC能力の教育理念とその重要性’も理論的研究に基づいて行われている。
【図2-7】研究内容により研究方法の量的分布
続いて、研究分野により研究方法の使用に差異があるかどうかを見ていく。【図2-8】に示すように、英語教育分野と中国語教育分野においては実証研究がほぼ同じの割合で使われているのに対して、日本語教育分野においては実証研究が使われている割合はかなり少ないことが明らかになった。ドイツ語教育分野における唯一の文献は、実証研究である。そのため、その割合は100%となった。
【図2-8】研究分野により研究方法の量的分布
さらに、実証研究を質的研究·量的研究·質的研究と量的研究の併用に3分類した。【図2-9】から実証研究においては、アンケート調査法を主とする量的研究が75%(21本)と最も多く使われているのに対して、インタビュー調査法を主とする質的研究は18%(5本)であることが明らかになった。両者の併用による研究は、最も少なく、わずか7%(2本)にすぎない。
【図2-9】実証研究の内訳
以上、中国におけるICC能力に関する文献の全体を把握するために、年代別動向·研究分野·研究内容·研究方法の観点から調査対象とした文献を量的に分析した。その中、27本の‘ICC能力の本体論研究’に関するものを収集したが、これらの文献から、どのような考え方や認識が見えてくるのか。この問いに答えるために、どのような研究が行われているかを明確にしたい。
まず、‘ICC能力の本体論’が、研究分野別によりどのように分布しているかを【図2-10】に示す。最も多く研究されているのは、英語教育分野で、全体の70%(19本)である。続いて、中国語教育分野で15%(4本)、日本語教育分野で11%(3本)、ドイツ語教育分野で4%(1本)となった。
【図2-10】研究分野による‘ICC能力の本体論’研究の内訳
文献の内容からみると、【表2-2】が示すように、4つのカテゴリーにまとめることができる。
【表2-2】‘ICC能力の本体論’の内訳
(1)‘ICC能力に関する研究のレビュー’は、欧米や中国におけるICC能力に関する研究をレビューしたものである。黄(2013)では、欧米と中国におけるICC能力に関するモデルを紹介し、対照分析を行った。その上で、中国においてICC能力について残された課題を述べた。张(2016)では、中国における中国の大学生が持っているICC能力の現状を中心として、実証研究を行った文献を対象に、方法論の視点からどのような研究方法で行われているかを帰納的に纏めた。
(2)‘ICC能力の内包的意味’には、ICC能力という概念を個人の経験により議論したものがあり、欧米における先進的な研究成果についての紹介もある。
(3)‘ICC能力の一部分についての分析’は、ICC能力の、ある一部分に焦点を合わせた分析である。具体的には、情意面の移情能力(高2005)と異文化意識(李2017)、言語面の運用能力(高/王2007)、母語文化力(兰2010·黄2015)、日本語教育における語用能力(刘/韩2014)となっている。
(4)‘ICC能力の全体の構成要素についての分析’は、ICC能力の全体を対象として、どのような内容が含まれているかという、構成要素についての本格的な分析である。これらの文献は、具体的にICC能力の構成モデルを開発することに取り組んでいる。
ICC能力の構成モデルの研究全体像を明らかにするために、Spitzberg & Changnon(2009)で使われている分析モデル
を参考に、中国におけるICC能力のモデルを‘リスト型’·‘漸進型’·‘システム型’に分けて検討してみる。また、‘ICC能力の育成’に関する文献である、刘(2003)·卫(2012)·孔/栾(2012)·许/孙(2013)は育成に焦点を合わせているが、ICC能力の構成要素に関する研究が基礎的部分として扱われているため、ここでは分析対象とした。
‘リスト型’は、ICC能力を複数の要素からなるものとして捉えているが、それらの要素が相互に連携し合うかどうか、または相互に連携するのであれば、それぞれの関わりはどのようなものであるかは明確にされていない。漸進型は、構成する各要素が順を追って徐々にICC能力を達成するという型である。システム型は、構成要因を列記するのみならず、それぞれの要素がどのように相互作用をするかを重要視している。分析の結果を【表2-3】に示す。
【表2-3】中国におけるICC能力の構成要素の研究成果(N=出現頻度)
続表
続表
研究成果の類型から見ると、‘リスト型’でICC能力の構成要素を捉える研究が最も多く、8本があり、56%に達している。ただし、これらの研究は、ただ必要とされる要素を列挙し、各要素間の関係に言及していない。提示した要素の内容から見ると、欧米の成果と中国人学者が主張した構成要素を絡めた研究が多い。たとえば、祖(2003)はByram(1997)とFantini(2000)が取り上げた構成要素を包括するように、異文化知識·異文化技能·異文化態度からICC能力の内容を構築した。また、孔/栾(2012)と刘(2012)では、当時までの国内外におけるモデルを参考にした上で、自らのモデルを帰納的にまとめた。
‘漸進型’では、構成要素を議論する上で、ICC能力を自ら発展するものとみなしている。このようなモデルは、どの段階でどの要素が必要とするかを明確することができるため、教育実践に手がかりを与えている。たとえば、张/杨(2012)と许/孙(2013)では、ICC能力を、知識面·意識面·行為面から構築した上で、知識から意識を経て行為面までという順で育成していくことが強調されている。
‘システム型’では、潘(2008)は、多元的文化意識·自文化と他文化への理解·コミュニケーション行為力という‘三面一体’のICC能力モデルを提案した。陈(2012)では、異文化意識を土台として、異文化コミュニケーションのプロセスに言語と文化知識·言語能力·語用能力·方略能力を融合させることを通じてICC能力のシステムを構成している。高(2014)は、知識が実際の行為を生み出し、行為が逆に間違った知識を修正しながら知識蓄積を豊富にするという両者の相互作用を強調し、その上で、異文化コミュニケーション場面における認知的レベルと行為的レベルの根本的な関係から‘知·行’システムを提出した。顾(2017)では、異文化コミュニケーションのプロセスにおける参加者同士の対話関係に焦点を合わせ、‘ICC能力のインターアクションモデル’を構築した。顾(2017)のモデルは、国内外においてICC能力の構成について達成された統一的な認識を踏まえて、態度·知識·技能といったカテゴリー同士の関わりを強調した。
文献が発表された年代から見ると(【図2-11】)、‘リスト型’の研究は現在まで続いているが、研究視点の国際的変遷にしたがって、‘リスト型’と‘漸進型’の知見を踏まえて、ICC能力をシステムとして研究することが注目を浴びてきているといえるであろう。
【図2-11】文献の発表された年代による分布
以上の分析を通じて、中国におけるICC能力の構成要素についての研究は、全体的に欧米の先進的な研究視点(認知的側面·情意的側面·行為的側面といった3つのカテゴリー)を踏襲しつつ、中国の特性に合った要素を補足することに取り組んでいることが窺えた。
しかし、コミュニケーションが依存する媒介語の異なりにより、そこに必要とされる能力とその要素が違うはずである。そこで、日本語を媒介語とする場合の能力論を一般的な文脈における異文化コミュニケーションに関する能力論の枠組みで捉えることは、問題であると言える。また、分類した‘漸進型’と‘システム’の研究においては、ICC能力を構成する要素同士の関係性を強調したが、帰納的な論述に留まっている。実際にどのような関係性があるかについては不明である。
続いて、これらのモデルに使われた研究方法を見ていく。対象とした文献のうち、国内外の先行研究を踏まえ、中国の文脈に合わせるモデルを提出するのが一般である。【表2-4】に示すように、理論的研究と文献研究に偏っており、実証研究の不足という問題が見られる。実証研究を使った张/杨(2012)と潘(2008)は、中国の大学生向けの一般的なICC能力の研究に貢献を果たしたが、不足点も見られる。张/杨(2012)は、アンケート調査による統計的方法で仮説を立ててICC能力モデルを検証したものの、その仮説をどの根拠によって設定したかについて不明である。そのため、依然として理論性に欠けている。潘(2008)は、長年にわたって中国とドイツの異文化コミュニケーションに携わっている20名の専門家を対象にインタビュー調査を行った。その結果、ICC能力が‘自民族中心主義から多元文化主義まで’·‘自文化と単文化の表層的認識から自文化と単文化の深層的認識まで’·‘主動性がなく適切性がない異文化行為から主動的有効的な異文化行為まで’という3つの側面で発展しているものであると強調した。質的研究を使用したことは評価できるが、その結果、実際のドイツ語で交流する中国人のコミュニケーターのICC能力は具体化できたものの、評価できる尺度表が得られなかった。つまり、実用的なICC能力のモデルを提出することはできていない。
【表2-4】ICC能力のモデルに関する文献に対して研究方法による統計
さらに、モデルが適応する分野から見て、1つの重要な点に注目したい。これらのモデルを構築するための研究は、いずれも日本語教育学から出発したものではない(【表2-5】)ということである。つまり、日本語教育学の視点からは、ICC能力とその構成要素についての学術的研究が見られないのである。
【表2-5】‘ICC能力の本体論’に関する文献に対して研究分野による統計
前節では、日本語教育分野におけるICC能力そのものと構成要素についての研究が現状では得られないということが分かったが、中国の日本語教育は異文化コミュニケーション研究を重視していないわけではない。中国の日本語教育分野における異文化コミュニケーション研究は、日本語教育における文化的側面の研究をめぐる議論から始め、本節では(1)日本語教育に文化要素を導入する、(2)日本語教育におけるICC能力育成を重視する、(3)ICC能力を育成する方法を開発するという3つの方向で纏めることができる。
(1)日本語教育に文化要素を導入する。
20世紀の90年代から、海外では言語教育理論と言語文化教育学が日々に重視されてきた。この影響により、中国においても言語と文化の関係について活発な議論が行われていた。80年代から90年代まで多くの教師は‘大平班’の研修教師として日本へ留学するチャンスに恵まれた。これを契機にして、日本人とのコミュニケーションと日本の風俗を体験するうちに、現実の日本語は中国の教室で教わった日本語とは相当な差異があることに気づいた。だが、この差異は文法·語彙知識の多寡から生じたのではない。日中間の文化背景の違い、中国の教室で教わった日本語の理解上·表現上の偏った見解などから生じたものである。特に、教育現場において日本社会や日本人や日本文化についての紹介が欠如しているという問題が指摘された。
そこで、“教学大綱”(基礎段階)では、初めて‘文化知識’を1つの教育目標として唱え、より重要な教育内容として再認識することとなった。また、1996年8月に大連外国語学院と中国日本語教育学会の主催で‘日本語教育と日本文化’という国際的なシンポジュウムが開かれ、会議の参加者が日本語教育に日本文化を取り入れるべきであることの認識を共有した。この会議を契機に、‘ほとんどの大学では日本語学科
は文化知識の充実化に重点を置くことに同じ考えを持っている’(李2007∶213)、間もなくふさわしい教材の開発が開始されるようになった。このような情勢に基づき、中国の日本語教育は‘日本文化を導入する’という新たな段階に入った。
この時期においては、日本語教育分野で日本文化が重視され始めつつあり、数多くの研究者がなぜ中国の日本語教育に文化要素を取り入れるべきなのか、文化教育の重要性について強力に唱えている。それに加えて、どのような内容を導入すべきかについてもいろいろな意見が次々と出て来たのである。
(2)日本語教育におけるICC能力育成を重視する。
日本語の文法能力を重視する伝統的な教育観は、中国では長い間に重視されていた。そこでは、学習者が日本語の字面上の意味のみを習得していたため、言語の裏にある意味まで理解することは難しかった。さらに、実際の日中コミュニケーションの中でコミュニケーションを阻害する大きな要因は、日本人の考え方と行動様式·日本の社会·風俗習慣·礼節規範などの文化的側面に対する認識の不十分さにあると指摘されていた。これらの問題点を改善するために、日本語教育に文化教育を導入する重要性が幅広く唱えられている(陈1997·若/长1997·李2005)。21世紀に入ってから、文化教育研究の影響に加えて、教育のグローバル化が顕著になってくる。その潮流の中で、2001年版の“教学大綱”(基礎段階)では、ICC能力の獲得を初めて最終的な目標として改定した。その以降、ICC能力を見据える研究が一層増加してきた。
(3)ICC能力を育成する方法を開発する。
前節で説明したように、日本語教育分野においてはICC能力とその構成についての研究が見当たらなかったが、ICC能力を持つ日本語人材育成の重要性を唱え、このような人材をどのように育成するかという教育実践についての研究は少なくない。
王(2005)は、ICC能力を持つ人材の要請に対応し、日本語専攻においてより高いICC能力を持つ日本語人材を育成することの重要性を唱えた。さらに、教育の現状から見ると、日本語教師自身にも、異文化意識·異文化能力などの異文化コミュニケーション研究で重要視される要素が欠けていることは深刻であると指摘された。また、教材と教育方法から見ると、その教材編成、及び教授方法が新たな時代の要求に立ち遅れているとも述べた。
ICC能力を育成するために、郭(2003)は共同学習理論を我が国に紹介し、ICC能力を育成する可能性について個人の意見を述べた。孙/孙(2015)は日本語教室でICC能力育成を5つの段階に分けて進めていくことを提言した。この5つ段階は①異文化接触(Contact)、②自己を否定すること(Disintegration)、③自己を調整すること(Reintegration)、④自己をコントロールすること(Autonomy)、⑤独立すること(Independence)になっている。崔ら(2016)では国内外におけるマルティメディア外国語教育理論と異文化コミュニケーション理論に基づいて、N2レベル向けの異文化コミュニケーション教育の不足点を考察し分析した。その上で、教育実践を通じてマルティメディアによる異文化コミュニケーションのための‘基礎日本語’の授業デザインを提言した。さらに、日本語の映画やテレビにおけるコンテキストを利用し、実証研究アプローチにより日本語教育学研究·語用論研究·異文化コミュニケーション研究に自然的なデータを与えるために、刘(2014)は、‘日本語ビデオコーパス’であるJV Finderを開発した。しかしながら、刘(2014)は他の研究者と違って、ICC能力を言語能力と語用能力から構成されていると考えた。つまり、ICC能力を言語コミュニケーション能力と同じように捉えていたのである。刘(2008)では、学習者のICC能力を高めるために、日本語専攻向けの海外異文化実践プロジェクトを開発することが有意義であると、理論面から指摘した。この海外実践を通じて、カリキュラム設計、日本教師資質の向上、教育システムの改革にも強い影響を与えることが予測できると刘(2008)は述べている。
高度日本語人材の育成の方法論に関する研究のほか、刘/曾(2014)は教材研究の視点からICC能力の育成現状を把握するために、吉林大学が編成した“日語精読”の1-3冊における社会文化の部分を対象に分析した。その結果、3冊にわたる72課において社会文化に関するトピックの占める比率は60%以上に至っているが、内容からみると主に日本の風俗習慣、地理歴史、伝統的文化に関する静態的な文化知識の紹介に限られていることが報告された。
以上の分析から、今日の社会のあり方を背景にして、日本語教育においては、日本語能力とその運用力を高めることを中心とする人材育成とともに、ICC能力を高めることも工夫されていることが明らかになった。
以上の文献研究を通じて、ICC能力の研究の動向をある程度明らかにした。
量的分析から、1996年から2017年にかけてICC能力についての研究には年代の推移に伴って、その量が増えていく傾向が見られた。このような研究の文献は、2012年~2015年に集中している。
研究分野から見ると、英語教育分野を中心として行われていることがわかった。英語教育分野においては研究文献の数が比較的多く、基礎が堅固で内容が深いと言えよう。これは中国におけるICC能力の研究の特徴だと言える。胡(2005)が指摘したように、我が国において異文化コミュニケーション研究に携わっている研究者の出身は、ほとんど英語教育分野だと見られ、その研究内容も主に英語教育に密接に関わっている。
研究内容から見ると、‘ICC能力の教育理念とその重要性’·‘ICC能力の本体論’·‘ICC能力の育成’·‘ICC能力の測定’·‘ICC能力に影響する要素’のカテゴリーに分けられる。‘ICC能力の育成’に重点を置く研究が多い一方、‘ICC能力の本体論’や‘ICC能力の測定’についてはそれほど重視されておらず、研究内容に偏りがあることが分かった。
研究方法から見ると、理論的研究と文献研究に集中している傾向が強いことが明らかになった。実証研究は少なくはあるが、その割合から見ると、胡(2005)と彭(2008)が指摘した科学的研究の厳しい欠如と比べ、改善されるようになってきた。
日本語教育分野における研究については、文献量が少なく、全体の21%(21本)を占めている。さらに、その21本のうち、本格的にICC能力とその構成について書かれた本体論研究は見られなかった。だが、郭(2003)を初め、2010年代に入ってから、ICC能力を持つ日本語人材育成の重要性を唱え、このような人材をどのように育成するかについての教育実践研究は少なくない。
この15年間で、異文化コミュニケーションについての研究に対する必要性の認識の高まりとともに、ICC能力の研究は徐々に進展してきている。しかし、本調査の分析結果からはいくつかの不足点や疑問点が見られる。ここでこれらを次の2点に纏める。
(1)ICC能力とその構成についての研究を拡大する必要がある。特に、媒介とする言語が異なるため、一般性を追究する研究だけではなく、言語別にコミュニケーションに必要とする能力をより深く探る必要がある。日本語教育分野におけるICC能力の研究については、ICC能力を育成するために教育内容を構築することは最も重要なことであるが、現在の学術界においてはもっぱらどのように育成するかの課題に取り組んでいると言えよう。
(2)実証研究を拡大する余地があると思われる。量的研究だけではなく、質的研究や量的·質的併用の研究をより多く使うべきである。姚(2017)が同様の問題点を指摘しているが、それによれば、‘英語教育分野と比べ、国内日本語を専攻とする分野ではICC能力を育成するためには、量的研究と質的研究がまだ少ない。さらに、単にICC能力を育成する重要性を強調するばかりで、それに関わる膨大なデータを収集することや現場の調査などは、本格的に始まってはいない状況である’
ということである。
以上、中国におけるICC能力に関する研究のあり方を考察し、そこから現れる特徴と不足点を纏めてみた。これを踏まえて、次節以降では、中国以外の国·地域のICC能力研究に関して、主要な研究成果と対照しながら、本研究の位置付けを明確にしたい。