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私の日中交流
—上海白玉蘭会創設の想い出—

星屋秀幸

日中国交正常化と北京留学

今年は日中国交正常化50周年という重要な年だ。この国交回復という歴史的出来事が、私にとっても40年余にわたり中国と深く関わるきっかけになった。50年前の1972年9月というと、私はまだ名古屋大学工学部3年生で、そろそろ卒業後の就職先を考えていた。元来中国文化や歴史に興味があったせいか、いつしか中国の人々と触れ合う仕事がしたいという思いが募っていた。当時、日本と中国には正式な国交がなく中国は遠い存在だったが、日中国交正常化の大ニュースを北京からのテレビ中継で見たときは、将来中国と親しく交流できる時代が来るのではとわくわくしたことを今も鮮明に憶えている。中国に関わる仕事をしたいと大学の指導教官に相談すると、「総合商社」ならチャンスが多いのではと言われ、専攻は土木工学であったが三井物産を就職先に選んだ。

1974年入社後、鉄鋼部門に配属され新日鉄の鋼材を扱う国内営業だった。時が経ち1978年に新日鉄稲山嘉寛会長が訪日した鄧小平氏から中国鉄鋼業の近代化要請を受け、上海宝山製鉄所の建設に全面協力することを知った。三井物産も新日鉄の対中戦略を支援すべく中国語要員の育成拡充を決定した。私は三井物産の初の中国留学生募集に迷わず手を挙げた。翌年1979年9月から1年間北京語言学院で中国語を学ぶ傍ら中国各地を訪問し見聞を広めた。当時の中国は経済が停滞していて、生活物資も不足し不便な留学生活に戸惑った。学生食堂を利用するには配給券の「糧票」、北京を離れて旅行するには「国内旅行証」、買物するには「外貨券」が必要だった。しかし「住めば都」とはよく言ったもので、中国社会にも慣れ、杭州、南京、青島、大連、広州、昆明など各地を訪ね庶民の生活から悠久の歴史や文化に触れることができた。留学中、何よりも嬉しかったのは中国の友人ができたことだ。上海出身の学生、徐静波氏との交遊は43年経った今でも続いている。彼は復旦大学の教授を務め日本文化研究に深い造詣を持っている。彼と会うといつも「生涯の友情」に乾杯している。

大平正芳総理の北京講演

北京留学中に意外なことがあった。1979年12月7日中国人民政治協商会議礼堂で中国訪問中の大平正芳総理の講演会があり日本人留学生も招待された。「新世紀をめざす日中関係、深さと広がりを求めて」が演題で、日本政府はこれから広範な領域で中国と友好協力を推進する。中国の交通・発電などインフラ事業や基幹産業に円借款など資金を供与し、経済建設に全面協力をしてゆく。また人材育成、留学生の受け入れにも格段の支援を行う、と述べた。更に、21世紀を迎えても日中は幾多の荒波に遭遇するだろうが、日中の2000年の友好往来の歴史に立てば互いに手を取り合って乗り越えることができると結んだ。大平総理の肉声を聞いた私は大いに勇気づけられ、いつしか中国との交流が私のライフワークとするよう背中を押されたような気持になった。

三井物産天津事務所初代駐在員

初めての中国駐在は華北の流通拠点である中央政府直轄都市の天津だった。天津と言えば「天津甘栗」「天津絨毯」くらいで殆ど予備知識もなく、1981年春、新婚早々に妻を帯同し三井物産天津事務所の初代駐在員として赴任した。当時の天津には日本人駐在者は30人足らずで家族帯同は私だけであった。不便な生活を強いられたが、妻の忍耐と協力で何とか乗り切れた。妻には心から感謝している。

二度の上海駐在

1984年秋、本社に帰任し東京本社では鉄鋼部門で中国市場開拓を任され、陸上油田向けに新日鉄の開発した高級石油鋼管の輸出を担当した。各油田との技術交流や商談の為、大慶・四川・遼河・宝鶏・新疆タリム等を何度も訪問し、中国の広大さを実感した。その後、1991年三井物産は上海の宝山製鉄と戦略提携「総合合作協議書」を日本企業として初めて締結し、貿易拡大・合弁事業設立・人材交流・幹部交流などを推進するため毎月のように上海に出張していた。中国市場経済の深化に伴いモータリゼーションの到来を予見しトヨタ生産方式を紹介した。三井物産の提案で宝鋼と第一汽車・東風汽車の調達部門幹部20名を引率し2週間にわたりトヨタやフォードなど日米関係企業を訪問、日本方式と米国方式の自動車用鋼板流通システムを考察し交流した。

1995年夏のある日突然、社長のトップダウンで45歳にして三井物産上海総経理を命ぜられ、二人の小学生と妻を帯同して中国最大の国際都市上海に赴任した。駐在は1995年から2003年までの8年間にわたり、総経理を務めた。丁度上海経済の高度成長の時期に重なり、千客万来、業務は多忙を極めた。宝鋼集団との戦略提携の推進のみならず、上海GMとの自動車用鋼板の供給ロジスティクスの構築、浦東開発、石化事業などの大型ビジネスで上海三井物産の責任者として必死に取り組んだ。始まったばかりの浦東開発の将来性を確信し、日系企業の先陣を切ってオフィスを浦西から浦東新区に移転させた。また地域社会貢献として上海日本商工倶楽部や上海日本人学校の運営活動にも地道に取り組んだ。多忙で家族と一緒に過ごす時間が殆どとれなかったが、妻は上海生活が気に入り中国語もできるようになった。二人の子供も上海日本人学校にすぐに慣れてくれたことが何よりだった。

2003年夏に帰任したが、11年後二度目の上海駐在の機会に恵まれた。2014年から2年半、今度は64歳の時に上海森ビルの総経理として赴任した。実は東京に帰任後、森ビルの森稔会長から誘われ2008年三井物産から森ビルに転職し特別顧問に就任した。森ビルは浦東新区で上海森茂国際大廈と上海環球金融中心の二つの超高層ビルの建設と管理運営という大きな事業に挑戦していた。しかし1997年にアジア金融危機、2001年にNY911テロ、2008年にリーマンショック等による経営上のリスクに直面した。私の任期中にも多くの経営課題が存在したが、上海には常に老朋友がいて助言や協力を頂いた。経営環境が厳しい時期なのに増収増益を果たし帰任することができた。上海の老朋友には心から感謝したい。

「上海白玉蘭会」の創設

私は1999年に白玉蘭紀念奨を、2003年には白玉蘭栄誉奨を上海市政府から受賞した。白玉蘭奨とは上海に貢献のあった外国人を上海市政府が称える1989年から始まった制度でこれまで日本人が一番多く受賞している。受賞者は経済人、文化人、慈善家、学者など多岐にわたる。

2013年夏、中国に長く世話になった一日本人として何とかしたいという思いに駆られ、上海市人民対外友好協会汪小澍常務副会長を訪ねたところ温かく迎えて頂いた。忌憚のない率直な議論ができ日中民間交流の重要性を確認できた。白玉蘭賞日本人受賞者を中心とした日中友好草の根交流のプラットフォームの創設を打診したところ全面的な賛意を得た。この会を「上海白玉蘭会」と称して早急に立ち上げることで合意した。発起人として2012年白玉蘭奨受賞の日比谷松本楼社長の小坂文乃さんにも加わって頂いた。上海で活躍した日本人受賞者が年に一度集い、上海での縁と友情を深める機会でもある。

第1回は2014年2月六本木ヒルズクラブで開催し日中の関係者60余名が参加した。上海市人民対外友好協会の汪小澍常務副会長一行が会の創設を祝って駆けつけてくれた。第2回には尊敬する元文化部副大臣の劉徳有先生夫妻に北京からわざわざご参加頂いた。上海では日本国上海総領事夫妻が毎回参加されている。東京では参加者一同が駐日中華人民共和国全権大使を、上海では市政府副市長を表敬することが恒例になった。2019年の第6回まで毎年春に東京と上海で交互に開催した。

2017年の第4回では日中国交正常化45周年特別ゲストとしてノーベル物理学賞天野浩名古屋大学教授を上海に迎え「世界を照らすLED」をテーマに講演頂き、基礎研究の重要性と将来の夢を強調された。この講演会には上海の著名大学の基礎研究に関わる理系大学生が多数参加、真剣に聴取した。年々盛会となり白玉蘭会の交流の輪が広がったが、2020年はコロナ感染拡大の為、第7回の東京開催は中止に追い込まれた。2021年の第8回上海開催は上海市人民対外友好協会の強力な支持の下、オンラインとハイブリッド方式で開催に漕ぎつけた。特別ゲストとしてソニー集団元CEO・会長の出井伸之氏に「発展するアジアの日中関係」について講演頂き好評を博した。

私は第1回から代表幹事を務めているが、会の継続性を考え、現在は5人体制で会の幹事業務をこなしている。昨年からは上海白玉蘭会のホームページも立ち上げ、業務の充実化を図った。また、嬉しいことに毎年日本人受賞者が誕生している。彼らには本会の活動に理解と協力を頂いているので、この会はきっと永続してゆくと思う。特に今年はコロナ禍を乗り越えオンラインではなく対面で第9回を秋に東京で開催し、日中国交正常化50周年を祝いたい。

「中国との絆・我が人生の旅」を中国語で出版

2017年日中国交正常化45周年を節目に上海人民出版社から拙著「中国との絆、我が人生の旅」を上梓した。6月6日上海環球金融中心のパークハイアットホテルで出版記念のパーティーを開催した。片山和之上海総領事や復旦大学の徐静波教授らたくさんの友人が駆けつけて出版を祝福して頂いた。時間がたつのは本当に早い。北京留学以来、43年になる。この間中国は想像もつかないほど変化し発展を遂げた。上海の現代の若者は日本人である私がかつて中国で体験したことを話しても不思議そうに聞いている。だからこそ私に確かな記憶があるうちに中国で体験したことを記録に残すことに意味があると思う。日中は一衣帯水の隣国だが、常に意見の相違や摩擦があるのは当然なこと。信頼関係を大切にして話し合えば必ずどんな問題も平和的に解決できると信じている。双方が理解し譲歩し、和解すれば輝かしい日中の未来が見えてくるに違いない。私は2017年に中華人民共和国公安部から「外国人永久居留身分証」を頂いた。これまで私が長年やってきた中国との細やかな民間交流が評価されたことを誇りに思う。

2022年2月

星屋秀幸

1950年生、元上海三井物産総経理、元上海森ビル総経理。1999年上海市白玉蘭紀念奨、2003年上海市白玉蘭栄誉奨授賞。上海白玉蘭会代表幹事、森ビル顧問、名古屋大学参与。 4+juNGc/1MDeLMUF8Kc6g3pS06+YqLDmHyOFAVtxjUDOmleQsGg51H3scXsI5HeN

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