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序にかえて
—世世代代友好であれ、共に未来へ向かわん—

今年で中日国交正常化が実現して50周年となります。この五十年の間、特に中国の改革開放が始まって以来、中日民間友好交流が堰を切った流れのごとくどっと盛んになりだしました。進んで交流に取り組み、参加された人々の多さ、交流分野の広さ、注がれた情熱の高さ、いずれも未曽有でした。これはこれまで抑制されてつもりたまった中日民間交流の願いが解放されたからでしょう。いわゆる友好交流とは、相互に行き交い、相互に見学し合い、相互に学び合い、相互に助け合い、相互に協力し合い、相互に尊重し合うことだと思います。交流の中でのさまざまな感動させられる場面を記録に残すため、この文集には中日各界の29名の方が執筆された記念文が収められています。記念文は執筆者にとっては良き友好の過去であり、また人生における忘れがたい思い出でしょう。読者にとっては感動にたえず、中日両国の民衆が親しくしあって心を通じあい、文化において相通じあうという心の絆があること、みな世世代代友好の強い願いを抱いていることを深く感じ取るに違いありません。

記念文集が出版できたことは喜ばしい限りです。これも中日民間友好交流の成果と言えるでしょう。苦労を辞さず編集を担当された各位に敬意を表します。

私も長年中日民間友好交流に携わってきました。中日民間友好交流に従事したのは私の運命ではないかとよく思います。私には日本と切っても切れない縁がありますが、その縁は先天的のと後天的の二通りなのです。私の父母は日本にいた華僑ですが、今は日本の横浜にある華僑墓地に永眠しています。私は生まれも育ちも東京ですが、16歳の時に中国の経済建設に加わるんだという大きな夢を抱いて単身勇んで祖国に帰ってきました。この経歴が日本と結んだ先天的な縁となったのです。後天的な縁は中日国交正常化の実現および我が国の改革開放の歴史的二大事が私にもたらしてくれたものですが、先天的な縁が引き出したものとも言えましょう。私が大学で学んだ専門は哲学でした。大学卒業後、上海外国語学院(上海外国語大学の前身)のマルクスレーニン主義教研組に配属されて哲学教員となりました。2年後、先天的な縁が役に立ったというか、国が日本語のできる人材を必要とするために、私は鞍替えを命じられて日本語を教えることになってしまいました。それで上海外国語学院で日本語教育に20年たずさわりました。そのあと、上海市が改革開放で日本語のできる外事幹部が必要となって、私はまたも鞍替えを命じられて、こんどは上海市人民政府外事弁公室で16年間勤務することになりました。仕事は日本と関係するのが少なからず、先天的な縁がたいへん役に立ったことは言うまでもありません。定年退職後、中日友好の志向により日本の長崎のある大学の要請に応じて教鞭をとることになりました。中国事情という科目とゼミを担当して、内容は中國概況、改革開放、社会主義近代化、中国の特色のある社会主義、などなどでした。そのほか中国語も教えました。私は日本の若い人に中国を知ってもらい、中日民間友好交流促進につながればと願ったのです。長崎に9年間滞在して楽しい有意義な日々を過ごさせてもらいました。70歳で二回目の定年退職を迎えて上海に戻り、静かに晩年を送ることになりました。しかし、中日友好の志向はのんびりとはさせてくれません。日本を紹介する文章を書きだしてしまったのです。今度はわが同胞に日本を知ってもらい、中日民間友好交流を推進する力になってもらおうと願ったのです。のちに書いた文章を集めて一冊にして『日本を知る日本語を知る』というタイトルで出版しました。妻は生前よく私にこう言っていました。「あなたはいつも忙しくして休まないわね。中日友好の仕事は一生したことになるわよ。」私が毎日忙しいわけは、何をするのもみな中途からその道に入ったため、知識や能力に先天的な不足があって、人一倍奮闘努力しなけば駄目だという自覚があったのです。私は今はすでに老耄となり、来た道を振り返れば、祖国の必要によって私の先天的な縁と後天的な縁とが合わさって、私の日本との切っても切れない縁となったのでしょう。

私に曽て出会った出来事でいまだ忘れられない感動の場面があります。何年か前、仲間たちとシルクロード日本の拠点長崎の見学訪問に出かけました。観光地雲仙の旅館「富貴屋」に泊まった時、みんな大広間に会して夕食をとった際、余興で私は杜甫の詩『春望』を暗唱しました。翌朝、旅館を出る際、中年の係が訪ねてきて私に一枚の紙を差し出してこう言ったのです。「夕べ私がお客さんに食事を運んでいたとき、あなた様はちょうど杜甫の詩『春望』を暗唱されていました。私はそれを聞いてとても感動させられました。この詩は高校時代に習ったことがあります。私の大好きな詩です。これは私が書き写した『春望』ですが、どうかサインをお願いします。記念に残しておきたいのです。」見てみると、たいへん丁寧な漢字で書き写されていました。私はすぐにサインをしました。彼はありがとうございますと言ってお辞儀しました。私は深く感動しました。ごく普通の日本の人がこれほど中国文化を愛いしていたのが意外だったのです。中日両国が文化の面でこれほど相通じていたのかと心に思い、これは中日世世代代友好にとってたいへん大切な心の絆なのだ、私たちは大切に守っていかなければいけないと強く思いました。

現在、世界はこの百年間なかった空前の大変化に直面していますが、中国は著しい発展を遂げ、日本にも大きな変化が起こりました。中日関係はまさに新しい時代を迎えつつあります。両国は新しい時代の要請にかなう中日関係を模索しながら構築中です。中日民間友好交流は過去を受け継ぎ未来を切り開き、良き伝統をさらに輝かせて、絶えず前へと進むべきことでしょう。中日両国は地理的に近く、交流が久しく、文化が相通じています。これは中日民間友好交流の確かな基礎と言えるでしょう。今の中日民間の人員往来は今昔の感ありで、新型コロナウイルス感染症の発生の前では、中国側の日本への観光人数が大幅に増えて、2019年はすでに900万人を超えました。おかげでわが同胞の対日認識が大きく改善されました。中日民間友好交流に携わる人たちにとってはうれしい限りです。しかし、残念なことは日本側の中国への観光人数がだんだんと減ってきています。目で見たものは確実だというように人員往来は相互認識の増進、相互理解の増進、相互信頼の増進、互いの感情の増進にとっては欠かせないルートであり、媒体です。前世紀の80年代90年代日本側からは大勢の民衆が中国を訪問し交流されて、推し進められていた中国の改革開放を目の当たりに見聞して対中認識を高められました。これが両国の友好共存に資したことは明らかと言えるでしょう。科学技術がどんなに発達しても、人と人との交流に替えられるものではないと思います。中日民間友好交流は過去においても重要であり、現在と将来においてもやはりたいへん重要であると思われます。私たちはこれまでのように中日民間友好交流を続けていき、日本の民衆に客観的に、全面的に、如実に中国の平和的発展を知ってもらい、新しい時代に順応し、世世代代の友好を忘れず、共に未来へ向かおうではありませんか。

2022年3月20日
兪彭年 zfs5LC5bWkz+fuNKZtOFUZXFWZC8y9Zz8mUdwjo/mbMdbPuKg6c1Yo5SgW0hjAQZ

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