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中日交流の虹の橋に微力を捧げる

吳蓉婕

母校である上海外国語大学を除き、大阪経済法科大学は私にとって深い縁のある大学である。

大阪経済法科大学は1971年に設立された。百年老舗のような名門校ほど歴史は長くないが、活力に溢れる明るい大学である。大学は小高い山にあり、綺麗な池に臨み、湖岸や講義棟の周辺などには多くの桜の木が植えられていて、とても美しく魅力のあるキャンパスである。

初めて大学の構内に足を踏み入れたのは1998年の春、桜の花が満開の頃であった。薄桃色、純白色と、異なる品種の桜の花が見事に咲き誇っていた。花盛りの季節にめぐり逢い、青空のもと、華やかな雰囲気に包まれ、私の心は和んだ。

静かに桜の花に囲まれた創立者、金澤尚淑博士の銅像が大学を見守っている。「教育研究を通じた人権の伸長と国際平和への貢献」という建学の理念は、金澤尚淑博士の信念に基づくものである。

大学は、「中日関係の未来は両国の若い世代にかかっている。青少年がお互いに交流する機会を増やすことが重要だ」という根本的な認識に基づき、積極的に中日間の若者同士の交流を広げ、深めている。

私もこの教育理念、また若者同士の交流促進に大いに賛同し、大学側からの招聘を引き受け、同大学の「アジア研究所客員研究員」として関係学部などと連携しながら若者同士の友好交流事業に携わり、中日交流の虹の橋に微力を捧げることになった。

ここ二十数年間にわたって、大学側と連携して、中日両国の大学間の交流を図るため、交流のプラットフォームを築いた。日本語教育セミナー、書籍贈呈会、留学説明会、中日大学生交流会などの事前準備と開催を進め、さまざまなコミュニケーションの場を通して、双方の理解を高め、友情を深めてきた。

大阪経済法科大学は、こうした幅広い交流を通じて北京大学をはじめ復旦大学など中国各地の大学計14校と学術交流協定を結び、長期協力友好関係を構築した。

経済の急速な発展に伴い、中国の裕福層が増加し、とりわけ教育制度改革によって、大学入試科目では日本語学科が外国語科目の対象になったため、日本語を勉強する人数が増え、同時に若年化の傾向も進んでいる。また日本への留学を志願する学生数も増えている。従来、日本語学科は小規模の科目に属し、1クラスでは定員数は30人以内であったが、ここ数年、出願者の増加に伴い、1クラスの定員数は40人までに拡大された。

時の変化に応えるため、私の仕事も友好交流から「留学開拓」へと、その重点が移り、多忙な日々に追われることになった。

今や「せっかく日本語を勉強するなら、日本留学をさせたほうが将来のためになるし、成長にも役立つだろう。日本留学は欧米諸国のそれと比べてコストも安いし、日本は治安もよい。さらに距離的にも近い」と考える保護者が多くなっている。二十数年前の日本留学者数と比べて桁違い、まさに天地雲泥の差である。

日本への留学手続き援助のなかでも印象深かったのは、2014年に建橋学院の朱という学生の大阪経済法科大学への留学計画だった。彼女の父親は対日輸出アパレル貿易商で、日本語も堪能である。留学説明会で「貴校は歴史が浅いようだが、よろしければ、大阪出張のついでにキャンパス見学をさせてほしい」と求めてきた。このリクエストに対して、私は「大歓迎します。ご希望の日時を教えていただければ、当大学の責任者がご案内させていただきます」と即答した。

しばらく経って、その父親はわざわざ大阪出張に併せて大阪経済法科大学に足を運び、キャンパスを見学した。見学後、案内していたペイ先生は「長年にわたって学生募集を担当してきたが、親が子供のために自分で候補校を事前に下見するのを初めて経験した。本当に感無量である」と感慨深げに語ってくれた。

朱さんの父親はキャンパス見学後の感想を次のように話してくれた。「大学は紹介されていたより素敵で、教育施設も整っている。環境も素晴らしく、学生への配慮も行き届いており、親も安心して日本留学に行かせることができる。」

朱さんは勉学に励み、短期間に日本語を身に付け、それに英語や中国語など語学力を武器に、大学卒業後は留学生担当として大学の国際部に就職した。学生を引率して東南アジアの大学との交流に力を入れた。1年後、朱さんは名門校である神戸大学の修士課程に合格し、現在は修士号を取得した。朱さんの父親は、「娘を日本に留学させたことは、親として娘のために下した、最も重要で正しい人生の決定だった」と語ってくれた。

親たちは、子供が日本に留学した後、アルバイトなど社会活動への参加を通して、自立性や、問題解決能力を身に着け、さらに苦労と感謝の気持ちも覚えてきたと、我が子である留学生を評価する。

もう一つ、印象深かったのは、知り合いの紹介で李という若者が父親に付き添われて日本留学関連事項を尋ねてきたことである。その父親は「息子は前々から日本料理づくりに興味があり、独学で日本語をも勉強し、日本留学という夢を持っている。だが、それほど経済力に余裕がないため、ぜひ、息子の留学の夢を叶えるため、呉先生の知恵を借りたい」と助言を求められた。

李さんとの会話から、彼は忍耐力があり、思いやりのある若者であるというイメージを持った。「日本留学ではコストはさほど高くはない。初期経費として1学期の学費を工面すれば済む。およそ人民元6万元相当だが、日本に行ってからアルバイトで自力で生計を立てる必要がある」とアドバイスした。李さんの父親には「留学手続きなどに不慣れで、すべて呉先生にお願いする」と頼まれた。

李さんの親子二人を見送ってから、李さんの夢を実現させるため、できるだけ費用削減のために、資料翻訳料など間接経費の免除手続きを代行した。また、李さんの日本語習得のため、日本語能力検定試験の要領を無料で指導した。今、李さんは日本語能力検定試験N2に合格し、これから日本での就職を計画している。李さんの父親から「呉先生の手助けがなければ、息子の今日はない。呉先生は本当に恩人である」という感謝の言葉を聞いて、私は達成感と誇りを感じた。

それ以外に印象に残っているのは、上海工商外国語学院と大阪経済法科大学との交流会を自ら準備・開催したことである。当日、会場は満員だった。学生たちの間では各々興味と関心のあることについての質疑応答が飛び交い、とても活発的な雰囲気だった。中国の学生たちからの質問は、主として、例えば大阪での一人暮らしのひと月の生活費、アルバイトの可否、卒業後の日本での就職の難易度等々日本留学に関するものに集中していた。

中でも一番面白かったのは「関西弁は難しいか」との質問に対して、復旦大学に在学中の大阪経済法科大学の交換留学生の柱野卓也さんは、その場で黒板を利用して、関西弁の日頃の言葉使いや発音の特徴などを説明した。学生は教科書に書かれていないことを学んだ。双方の学生たちからは、今後もこのような交流活働をもっとたくさんやってほしい、お互いの理解を深めるだけでなく、会話の向上にも繋がる、という声も上がった。

統計によると、大阪経済法科大学の留学生の多くは中国出身で、中国人の卒業生は累計3000人を超えている。大学では中国に同窓会を設立し、社会人になった先輩たちが後輩を応援している。中国人の留学生は勤勉で努力家なので、成績も特別優秀である。2003年から毎年中国人留学生が学長賞(毎年学部ごとに1名)、学部長賞(毎年学部ごとに3~4名)を受賞している。優秀な留学生が多く誕生したことで、学校全体の学習ムードも高まり、それに伴って経法大の名も広く知られるようになった。

日本には800以上の大学があり、2017年の「THE世界大学ランキング日本版」では、経法大の国際化感度は「国際性で2位」と評価された。また2020年「週刊東洋経済」が掲載した「本当に強い大学」ランキングでは35位。留学生と大学が共に成長していることも広く知られている。

これも当大学の客員研究員としての私が中国人留学生の当大学への進学に協力を尽くした収穫、成果でもあると誇りを感じている。

中日両国の青年の友好交流を促進するために、より多くの若者の留学の夢を実現させるために、引き続き微力ながら、中日交流の虹の橋に寄与する。これは一貫して私の人生の楽しみと変わらぬ目標である。

2022年3月10日

呉蓉婕

1964年生まれ。1986年上海外国語学院卒業。上海市人民政府外事弁公室、在大阪中国総領事館、中日合弁上海松下電工住宅有限公司に勤務。現在、上海山井国際貿易有限公司総経理、上海市外事翻訳者協会理事、大阪経済法科大学アジア研究所客員研究員。 TwLFRdaM71Qd+jV3KAHCovkpr61jjaZ1WhGa9UGsP8GUPwKIBIcG07NXLsObJ5Nm

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