本研究の議論と関連のある代表的なものとして天野(1987,2002),佐藤(1994,2002,2005),彭飛(1990,2002,2004)などが挙げられる。
天野(2002)は(1)に挙げるような文を,他動詞文の形式を備えながら,主体が客体の変化を引き起こす意味を表さず,自動詞文と同じような意味を表す文であるとし,「状態変化主体の他動詞文」と名付けている。
(1)私たちは,空襲で家財道具をみんな焼いてしまった。
佐藤(2005)は(2b)のような他動詞文を取り上げ,「山田さん」が自ら手を下して 「家を建てる」という解釈と,「山田さん」が他の誰かに依頼することによって 「家を建てる」という事態を実現させたという解釈の両方の可能性があることから,「介在性の他動詞文」と名付けている。
(2)a.大工が(山田さんの)家を建てた。
b.山田さんが家を建てた。
彭飛(2004)は 「私は昨年妻をなくした」「財布を落とした」「熱を出した」「私は不注意で家を焼いた」などのような,いわゆる 「非意図的行為を示すマイナスの意味の他動詞文」を中心に,その類型と特徴を考察している。
こういった事象変化を他動詞構文の原型的形式で表現できるのは何故か,非原型的他動的事態を原型的他動詞文構造で表すことを可能にする要因は何なのか,さらにこれらの拡張的他動詞構文は,他動詞構文というカテゴリーの中にどのように位置づければいいのか,などについてはまだ明らかにされていない。
日本語の変化他動詞文のプロトタイプは,次のような規定が与えられるものである(山梨 1995,ヤコブセン1989など参照)。
(3)a.太郎が窓を壊した。
b.花子が氷を溶かした。
動作主がある手段によってある行為を行った結果,ある対象に状態変化が引き起こされるというものである。
一方,対象の位置変化が引き起こされる場合もそのプロトタイプであると考えられる。
(4)a.太郎が机を動かした。
b.花子が窓を開けた。
以上を踏まえて本論では 「変化他動詞文」を次のように規定しておきたい。
(5)動作主と対象の二者が関与し,動作主からの力により対象の状態または位置に変化をもたらすことを表す構文である。
これらの構文が反映する事態関係は第 1 章の認知モデルによって示される。
図 1 変化他動詞文の認知モデル
変化他動詞文の典型例は前節で示したように,次のようなものである。
(6)a.太郎が茶碗を割る。
b.花子がベッドを隣の部屋に移す。
上掲例から明らかなように,変化他動詞文の原型的形式は「N1がN2をVt」 であると規定することができる。
図 1の因果関係をより精密に分析すると,次のような線状化された因果連鎖のモデルで示すことができる。
(7)
(8)
(7)は参与者の性質の変化を表しており,(8)は具体的な位置の変化を表しているが,どちらも変化を経てある状態になるものであるため,「達成」(accomplishment)であると考えられる。したがって,原型的事象変化における動作主の働きかけと,その働きかけによる対象の変化の達成は共に変化他動詞の語彙的意味に含意されるということから,変化他動詞文のプロトタイプの意味構造は,次のように表すことができる。
(9)変化他動詞文の原型的意味構造:
[AGENT:ACT]+ [PATIENT:ACCOMPLISHMENT]
2.2.1で概観した状態変化主体の他動詞文,介在性の他動詞文,非意図的他動詞文といった周辺的他動詞文がどのようなプロセスを経て典型的変化他動詞文から拡張されてきたのか,典型例と周辺例との間にどのような共通性がみいだされるのかについて,統一的,体系的な視点から論じたものはまだ見当たらない。
議論の一貫性を図るために,変化他動詞文の典型例とその周辺例は次の例(10)に示すような文を取り上げる。
(10)a.太郎が庭の落ち葉を焼いた。
b.太郎が(業者に依頼して)工場のゴミを焼いた。
c.太郎が不注意から家の倉庫を焼いた。
d.太郎が空襲で家財道具を焼いた。
「N-がN-をV-する」という同一の他動詞文構造を用いながら,主語名詞句と,動詞述語によって表される事象の変化との係わり合いは異なっている。つまり,述語の表す事象構造が規定される因果連鎖の中で,主語名詞句の果たしている意味役割が異なっているのである。
(10a)の太郎は自ら意志をもって,落ち葉を焼こうとして,そして,実際「焼く」という行為を行って,その結果「落ち葉」に完全な影響を与えたということから,プロト動作主(Agent)であるといえる。
(10b)では 「工場のゴミを焼く」という実際の動作は太郎ではなく,このような専門的技術を要する専門職の人や業者にやってもらうことが必要である。太郎はあくまで 「ゴミが焼けた」という変化に対して命令や指示を出して,あるいは責任をもつという立場にあるだけであることから,「経験者」(Experiencer)であるといえる。
(10c)になると,「不注意から」という副詞句によって示されているように,「倉庫が焼けた」という変化の結果は,太郎が意図的に引き起こしたものではなく,意図しないのにそうなってしまったということを表している。動作行為はあっても,意志をもって行ったわけではないということから,「太郎」は 「実行者」(Effector)であるといえる。
そして,(10d)になると,「家財道具が焼けた」という変化に太郎が意志をもって係わっていないし,また結果的には太郎によってそういう事象変化が引き起こされたわけでもない。それだけでなく,太郎は意識をもって,そういう出来事の発生に指示を出した使役者の立場でもない。結局,太郎は 「家財道具が焼けた」という出来事と独立に存在する者であるにすぎず,自分の所有物である 「家財道具」が焼けたという変化の結果を不本意ながら所有している 「所有者」にすぎない 4) 。
他動詞文構造は(10d)まで適用されていることはどのような類比に基づいて拡張されているだろうか。次は実例を挙げながら拡張の仕方や動機づけを分析していく。
(11)私はすぐ カモテ·カホイ(木の芋)の直立した茎の一 本を倒した。 (大岡昇平「野火」)
(11)は森の中で食べられるものを捜している 「私」がカモテ·カホイと呼ばれる木の芋をみつけ,その茎を食べようとして,意図的に 「倒す」という行為を行ったものである。
一方,事象変化の達成は主語名詞句の意図するものであるが,(特に専門の技術を必要とする仕事である場合)実際の行為の実現は業者にやってもらい,ただ指示や依頼を出すだけであることが表されるのは 「介在性の他動詞文」である。
(12)その向いの河田は三年ほど前に火事で焼けて,前よりも 大きな家を建てた。 (石川達三「青春の蹉跌」)
(12)では,実際「建てる」という行為を行ったのは 「河田」ではなく,業者(例えば,「工務店の人たち」)であると思われるが,あたかも主語名詞句によって行われたように表され,形式的には他動詞文構造が用いられている。実際,事態を引き起こした実行者の存在が含意されない形式で,実行者による事象変化の達成という状況を表しているのである。このように,通常意図的な、直接的な行為を行う動作主を指示する表現が,行為の 「実行者」に命令を出し,その実現した結果に責任を持つという 「実行者」と密接な関係を持つ 「使役主体」を指示するのに用いられている。このことから,(11)のプロトタイプ構文から換喩的な意味の転移によって拡張されていると考えられる 5) 。
(13)…そして赤く塗った女の短いスキイは一本しかなかった。おそらく 女は過って片足のスキイを谷に流してし まい, 吹雪のなかから脱出することが出来なくなったのだ。(石川達三「青春の蹉跌」)
「片足のスキイ」が意図的に谷に流されたわけではなく,「女の過ち」によって流されてしまった。非意図的な事態の発生を意図的な行為が規定される他動詞文構造を用いて表現することによって,主語名詞句がこのような不測の事態の生起に 「責任」を持つと捉えられている。このように,事態の変化(非意図的である場合はあるが)に対する責任は行為者に帰せられるという意味の共通性によって動機付けられ,拡張構文にプロトタイプ構文の表現形式が適用され,換喩的な意味転移が行われていると思われる。
(14)その週の半ばに 僕は手のひらをガラスの先で深く切っ てしまった。 レコード棚のガラスの仕切りが割れていることに気がつかなかったのだ。(村上春樹「ノルウェイの森」)
(14)は主語名詞句が自分の体の一部や所有物に生じた変化を不本意ながら所有するという状態変化主体の他動詞文である。
主語名詞句が問題の事態の生起を(ガラスの先を見つけて修理するなど)未然に防ぐことが可能な立場にあったのに,自分の不注意が(間接的ではあるが)原因となって,自分の体の一部が負傷するという事態を招いてしまったのである。このため,主語名詞句が事態の生起に自ら責任を問われるものと捉えられている。主語名詞句が被害を受けているという 「受身」相当の意味を持っているのに,能動的な他動詞文構造によって表されている。このタイプの構文も前述したように,「行為者が意図的な行為の結果に責任を持つ」という解釈が適用され,プロトタイプ構文の表現形式が用いられているのである。このような意味的近接性から,換喩に基づく拡張によって関連づけられていると考えられる。
以上の分析を踏まえて本論では換喩的意味転移という認知プロセスを経て拡張してきた三つの周辺的他動詞構文を 「非原型的動作主の拡張変化他動詞文」であると規定する。
原型的動作主が機能しているプロトタイプ的変化他動詞文と,非原型的動作主の拡張変化他動詞文とでは,主語名詞句の果たす意味役割は異なってはいるものの,共に二つの参与者が係わる因果性のある事象変化を表していると考えられる。そして事象変化の結果に責任を問われるという意味的共通性から,プロトタイプ的変化他動詞文と拡張変化他動詞文を統括する一般的なスキーマは次のように規定することができる。
(15)変化他動詞文のスキーマ:
<責任> に動機付けられる二つの参与者間の因果関係的事象変化
変化他動詞文のカテゴリー化に係わる認知プロセスは,次の図 2のように示される。
図 2 変化他動詞文の拡張ネットワーク
A:典型事例:太郎が庭の落ち葉を焼いた。
B:拡張事例:太郎が(業者に依頼して)工場のゴミを焼いた。
C:変化他動詞構文のスキーマ
D:拡張事例:太郎が不注意から家の倉庫を焼いた。
E:拡張事例:太郎が空襲で家財道具を焼いた。
破線の矢印( )はプロトタイプとしての原型的変化他動詞文から拡張変化他動詞文への認知プロセスを示しており,拡張構文は換喩的意味転移によってプロトタイプ構文から拡張されている。AとBとの間は結果状態の発生は主語名詞句にとって意図していることであるという点において共通しているが,そのような事態の生起が実際に主語名詞句によって行われるものかどうかが異なっている。
一方,事態の生起は主語名詞句にとって意図しない結果である場合はプロタイプ事例のAからDとEへと拡張され,非意図的である点で互いに異なっている。拡張事例はプロトタイプ事例における行為を意図的に遂行し,その行為の結果に責任を持つという捉え方を適用している。つまりDとEの拡張はBと同じく <行為者> が <対象> に実際に生じた <変化の結果> に対して責任を持つという意味の共通性によって動機付けられていると考えられる。
このように,プロトタイプ的構文と拡張構文に共通するスキーマを抽出し,日本語の変化他動詞文を特徴づける基本的な要因を明らかにした。