刺绣是最古老、最优秀的中国传统文化之一,养蚕业(丝的出产以及为此进行的蚕的养育)据说起源于中国。目前,国内外专家都认为最早的刺绣开始于中国。中国的刺绣深深扎根于中国文化,同时渗透进中国人民的生活,并在中国民间智慧、宗教、哲学、文化和艺术等诸多方面留下了不可磨灭的印记。
中国でもっとも古く 優秀な伝統芸術の一つとして、刺繍が挙げられる。養蚕(絹を生産すること、またそのために蚕を飼うこと)は古代中国から始まったとされ、現在、中国国内および海外の専門家は、最初の刺繍は中国から発祥したとみている。刺繍は中国の文化にしっかりと 根を下ろし、中国の人々の生活に浸透しているのみならず、中国の民間知恵、宗教、哲学、文学、芸術など様々な分野で甚大な影響を与えてきた。
刺繍は、中国において最も古く、最も 素晴らしい伝統芸術の一つです。養蚕業つまり絹を生産するために蚕を飼うことは古代中国で始まったとされ、現在、中国国内や海外の専門家は、中国が刺繍発祥の地であると考えています。刺繍は中国の文化にしっかりと根を下ろし、中国の人々の生活に浸透しているのみならず、中国の民間の知恵、宗教、哲学、文学、芸術など様々な分野に 消すことのできない痕跡を残しました。
一般に日本の社会人の会話では、「です·ます」 を使います。大学などの公開講座においても基本はかわりません。
日本語の 「優秀」 はおもに人に使われます。例えば、「優秀な人材」、「あの学生は成績優秀だ」 などです。
「発祥」 には、“最早”の意味が含まれているので、「最初」 は必要ないでしょう。意味の重複に気をつけましょう。
「甚大」 は 「甚大な被害をもたらす」 など、マイナスの意味を表すときに使われます。また、「影響を与えた」では表現が弱すぎます。原文に忠実な訳語を考えましょう。
暖场问题
自远古时代起,“锦”和“绣”两个字便一道被中国人用于描绘绚烂和精致的事物。
你能想到哪些词中带有这两个字吗?
“锦”字与“绣”字中,哪个字运用得更为广泛呢?
ウォーミングアップ
古代から、中国人は輝 かしい、または精巧だと思われる物事を描くときに、よく「錦」と「綉」という二つの漢字を一緒に用いている。
(1)こ の二つの漢字が含まれる語彙をいくつか思い出してみましょう。
(2)「錦」と「綉」、どちらがより使われているか考えてみましょう。
ウォーミングアップ
古代から、中国人は絢爛で精緻なものを描写するときに、よく「錦」と「綉」という二つの漢字を一緒に使います。
(1)こ の二つの漢字が含まれる言葉を知っていますか。
(2)「錦」と「綉」では、どちらがより使われているでしょうか。
「輝かしい」 だけでは“絢爛”の意味が正しく伝わりません。「輝かしい」は“輝煌”の訳で使われることが多いです。また、精緻も精巧も漢語です。ここは原語をそのまま使えばよいでしょう。
「~みましょう」 という表現は教科書的で先生が生徒に対してよく使う言い方です。「思い出す」 は過去の経験や忘れていたことを思い浮かべることです。ここでの“你能想到~吗?”は思い出すことではありません。
中国刺绣的历史
刺绣艺术据传最先在中国被熟知并运用。据《尚书》(写于春秋时期,即公元前770—前476)中的《益稷》篇讲,传说中的帝王舜曾命令禹制作衣服:
予欲观古人之象:日月星辰,山龙华虫,作绘宗彝,藻火粉米,黼黻絺绣,以五采彰施于五色作服。(《尚书·益稷》)
中国刺繍の歴史
刺繍芸術は最初、中国で広がり、応用されていたと言われている。『尚書』の 「益稷」 によれば、伝説の帝王舜が禹に服を作らせたということがある:
予古人の象を観、日月星辰、山龍華蟲、會を作し宗彝藻火粉米、黼黻絺繍し、五采を以て彰かに五色を施し、服を作らんと欲す。
中国刺繍の歴史
刺繍の芸術は中国で生まれ、広まっていったと言われています。『尚書』(『書経』 とも呼ばれ、春秋時代(前770~前467)に書かれた中国最古の歴史書)の 「益稷」 には、伝説上の帝王である舜が禹に命じて、服 を作らせたという話があります:
予古人の象を観、日月星辰、山龍華蟲、會を作し宗彝藻火粉米、黼黻絺繍し、五采を以て彰かに五色を施し、服を作らんと欲す。
「応用」 は、習った知識や理論、技術などを実際にあてはめて使うことで、いわゆる活用することです。また 「運用」 はルールに則って行われる意味が含まれます。
「帝王舜」という言い方もできますが、「舜」 は一般の日本人にはなじみが薄く、「帝王である舜」 と説明したほうが丁寧です。
「~ことがある」 は事例やものごとを紹介するときに使うことが多いです。ある物語の中のエピソードなどを紹介する場合は、「~という話があります」 という表現がよく使われます。
从此,刺绣有了装饰用途,刺绣设计也被赋予了象征性。上述十二种图像只用于帝王的服饰,因为帝王被认为是天之骄子——全天下的统治者。古代的高官则依据官位高低允许衣着上出现不同象征意味的刺绣图案,刺绣在古代因而和社会地位挂钩。随着经济的发展,刺绣才逐渐进入寻常百姓的生活。尽管最杰出而且最为光彩照人的刺绣在很长一段时间里多用于男士的装饰——其官服是重中之重——中国女性对刺绣这门艺术的发展起了十分重要的作用,针线于她们就如画笔和颜料于画家那样。从前的中国女性很小年纪就要开始学习针线活,并要负责缝制日常生活的许多东西。她们的艺术天分多体现在针线活中,因而提到中国刺绣,我们必须向中国女性致敬。
それ以来、刺繍に装飾的用途が出現してきた一方、刺繍の設計にも象徴的意味が与えられようになった。古代では、服装に用いられる 刺繍の文様は社会的地位の上下を表していた。古代の帝王は「天子」、すなわち世界を支配する人物であるため、上述の十二の文様は帝王の服装だけに使われた。また、古代の官僚の服装に使われる刺繍の文様に厳しい制限があり、その文様は地位の上下によって異なっていた。やがて経済の発展に伴い、刺繍はだんだん民間に広く普及するようになった。長い年月に渡って、刺繍というとても素晴らしい芸術は、男性の服装のみ、とりわけ彼らの官服の装飾に用いられてきた。しかし、刺繍芸術の発展において、女性の役割も大変重要であった。彼女たちにとって、針と糸は画家の絵の具のようなものであった。古来より、中国の女性は幼い頃から縫い物を学び、多くの日用品を生産してきた。彼女たちの 芸術才能は縫い物に表されているため、中国刺繍を語る際には、中国の女性に敬意を表するべきである。
これ以降、刺繍は装飾としての意味合いを持つようになるとともに、刺繍のデザインには象徴的な意味が与えられようになりました。古代の帝王は「天子」、すなわち全世界の統治者であると考えられていたため、先ほど話した12の文様は帝王の服装だけに使われました。また、古代の官僚は、その地位によって、服装に使用できる刺繍の文様も制限を受けていました。その後、経済の発展に伴い、刺繍はだんだん一般の人々の間にも広まっていきました。大変優れ、人々を魅了してきたこの刺繍は、長い間男性の装飾、とりわけ彼らの官服の装飾に用いられてきましたが、刺繍の芸術的発展においては、中国の女性も重要な役割を果たしてきました。彼女たちにとって、針と糸は画家にとっての筆と絵の具のようなものでした。古来より、中国の女性は幼い頃から裁縫を習い、多くの日用品を作ってきました。彼女たちの 芸術センスは裁縫の中に体現されているため、中国刺繍について語る際は、中国の女性に敬意を表すべきです。
学生の訳の→ 「装飾的用途が出現してきた」 は直訳です。文脈に沿った訳を考えましょう。
「上述」 は書き言葉で、論文·論説などでよく用いられる表現です。
“被认为”は 「~である」 と断定するのではなく、「~であると考えられていた」 と訳したほうが原文に即した訳になります。
「縫い物」でもかまいませんが、「裁縫」のほうが広く使われる一般的な言葉です。ほかに 「針仕事」という表現もあります。
「生産してきた」 は一般に工場での生産をイメージさせます。また、「生産」は大量生産、生産量、生産者など熟語で使うことも多いです。
「芸術才能」 は単なる置き換えに近いです。通常、名詞と名詞の間には「の」 が必要で、「芸術の才能」 とは言えます。また、「芸術センス」 は語の結びつきが強く、一語とみなすことが可能です。もちろん 「芸術のセンス」 とも言えます。
中国刺绣的发展
一直到汉代(公元前202—公元220),刺绣在技巧和艺术形式上才发展成熟。魏(220—265)、晋(265—420)、隋(581—618)、唐(618—907)年间,来自佛教、带有宗教意味图像的引入丰富了刺绣的发展。到宋代(960—1279),刺绣的功能有了区分:用于日常生活的艺术以及用于艺术的艺术,后者融合了书法和绘画艺术。明代(1368—1644)资本主义的兴起使得刺绣得以广泛的传播,各个阶层的人们都开始使用刺绣。到了清代(1636—1912),随着国门打开,日本元素甚至于西方艺术都得以融入刺绣,同时刺绣在中国不同地区得到了发展,使其形式更加多样化。
中国刺繍の発展
漢の時代(紀元前202~後220)に入り、刺繍は技術と芸術形式においての成熟期を迎えた。魏(220~265)、晋(265~420)、隋(581~618)、唐(618~907)の間、仏教を来源して、宗教的意味が含まれる文様の導入が大々的に刺繍芸術を豊かにした。宋の時代(960~1279)に入ると、刺繍は、日用品に使われる芸術と芸術品に用いられる芸術という二つに分かれた。ちなみに、後者は書道と絵画芸術とを融合したものである。明の時代(1368~1644)には、資本主義の台頭が刺繍の拡大を促し、各社会階級の人々が刺繍を使うようになった。清の時代(1636~1912)になると、開国に伴って、日本の芸術要素ひいては西洋芸術が刺繍に融合され、刺繍は中国の様々な地域で発展を遂げ、その形式を多様なものにした。
中国刺繍の発展
漢代(前202~後220)に入ると、刺繍の技術や芸術性は成熟期を迎えました。そして、魏(220~265)、晋(265~420)、隋(581~618)、唐(618~907)の時代に仏教が中国社会に広まって、刺繍でも宗教的意味合いが含まれる文様が作られるようになり、その芸術性はより豊かさを増しました。宋の時代(960~1279)に入ると、刺繍は日常生活で用いられる芸術と、芸術品に用いられる芸術という二つに分化しました。芸術品に用いられる刺繍は、書道と絵画を融合したものです。明の時代(1368~1644)には、資本主義の出現によって刺繍が更に広く広まり、社会のあらゆる階層の人々が刺繍を使うようになりました。清の時代(1636~1912)になると、開国に伴って、日本の芸術的要素、更には西洋芸術が刺繍に融合され、刺繍は中国の各地で発展を遂げ、その形式が多様化していきました。
“刺绣在技巧和艺术形式上~”は、「刺繍は技術と芸術形式においての~」 と 「刺繍の技術や芸術性は~」 という2つの訳が考えられますが、後者のように連体修飾語にして主語をまとめるとすっきりした訳になります。
学生の訳文では、原文の“才”のニュアンスが出ていないので、「~(する)と、~した」 というように処理しました。
学生の訳の 「~台頭が~拡大を促し」 は、間違いではありませんが、直訳に近いです。参考訳の 「~の出現によって~広く広まり」 のように原因と結果がわかるように訳すとなめらかな日本語になります。同様に 「~導入が~を豊かにした」 も、「~ようになり~豊かさを増しました」 と訳すとよいでしょう。
「芸術要素」のように四字の熟語として定着していない場合は、間に 「の」または 「的」が必要です。なので 「芸術の要素」あるいは 「芸術的要素」と表現したほうが自然な日本語になります。
「(~が)その形式を多様なものにした」 という訳文より、「その形式が多様化していきました」 のように 「形式」 を主語にしたほうが、何が多様化したのかがはっきりします。また、中国人は基本的に 「する」 の視点であるのに対して、日本人は 「なる」 の視点であるので、この誤訳はこの視点の相違から来たものだと推測されます。