この周氏兄弟共訳の『現代日本小説集』は、中国における日本文学の紹介翻訳に大きな役割を果たした。2006年、魯迅没後70年記念事業の一環として、新星出版社から『現代日本小説集』が改めて編集·出版された。これは歴史的な意味を持つといっても過言ではない。「謹んで以て『新星·魯迅書系』
魯迅没後70年記念に」 [7] と示されているように、再刊行の『現代日本小説集』は、魯迅文庫のシリーズの一つになっている。
序文で「この本はもう長い間绝版となっていた」「今元の完全な様式で改めて刊行することにより、読者は周氏兄弟がかつて持っていた共同の追求を体得することができる」 [8] と編集者の止庵は強調している。また、周氏兄弟は『現代日本小説集』が刊行された1923年に、実生活および文業において原因不明で一切绝交してしまうので、この翻訳集の翻訳は二人で行った文学活動の最後のものであるという点も重視すべきである。
こうした〈作家翻訳〉の背後に「翻訳者の地平」が存在していた。「翻訳者の地平」という用語は、フッサールやハイデガーからH·G·ガダマー、ポール·リクール、そして文学解釈のハンス·ロバート·ヤウスがその名を連らねる現代解釈学からの借用である。「ざっと定義するならば、地平とは、翻訳者の感じ方、行動、そして考え方を「決定「づける」言語、文学、文化、歴史の各要素の集合である」。
以後、本書の第二章から第六章においては、『現代日本小説集』のいくつかの收録作品を取り上げ、周氏兄弟の「翻訳者の地平」を重要視し、訳者の作品選択基準の問題を解明していく。そして、日本と中国のコンテクストのなかで、日本の明治·大正時代の小説の内容と精神がどのように翻訳者に受け入れられたのか、また翻訳者自身の創作によってどのように表現されたのかを明らかにしたい。また、日本近代小説の移入過程が、中国文学の近代化問題とどのように関わるのかについても触れていく。
注
[1] 『魯迅全集 第12巻』学習研究社、1985年、215頁。
[2]
序文の中国語原文は次の通りである。
我們編譯這部小集,本可以無需什麼解説。日本的小説在二十世
成就了可驚異的發達,不僅是國民的文學的精華,許多有名的著作兼有世界的價値,可以與歐洲現代的文藝相比。只是因了文字的關係,歐洲人要翻譯他頗不容易,所以不甚為世間所知。中國與日本因有種種的關係,我們有知道他的需要,也就兼有知道他的便利:現在能夠編成這部創始的,——雖然是不完善的小集,也無非只是利用我們生在東亞人的一個機會罷了。
我們現在所要略加説明的,是小説的選擇的標準。我們的目的是在介紹現代日本的小説,所以這集裏的十五個著者之中,除了國木田與夏目以外,都是現存的小説家。至於從文壇全體中選出這十五個人,從他們著作裏選出這三十篇,是用什麼標準,我不得不聲明這是大半以個人的趣味爲主。但是我們雖然以為
客觀的批評是不可能的,却也不肯以小主觀去妄加取捨;我們的方法是就已有定評的人和著作中,擇取自己所能理解感受者,收入集内,所以我們所選的範圍或者未免稍狹;但是在這狹的範圍以內的人及其作品却都有永久的價值的。
還有一件事,似乎也要順便説明,便是這部集裏並沒有收入自然派的作品。日本文學上的自然主義運動,在二十世
的「初十」盛極一時,著作很多,若要介紹,幾乎非出專集不可,所以現在不會將他選入。其次,這部小集原以現代爲限,日本的現代文學裏固然含有不少的自然派的精神,但是那以決定論為本的悲觀的物質主義的文學可以説已經是文藝史上的陳迹了,——因此田山花袋的棉被(Futon)等雖然也會愛讀,但沒有將他收到這集裏去。
這裏邊夏目森有島江口菊池芥川等五人的作品,是魯迅君翻譯,其餘是我所譯的。我們編這部集的時候,承幾個日本的朋友的幫助,
説一句以誌感謝。
一九二二年五月二十日,於北京,周作人。
[3] 小川利康「中国語訳·有島武郎「四つの事」をめぐって——『現代日本小説集』所載訳文を中心に」『大東文化大学 要人文科学』(通号30号、1992)と西原大輔『中国における新しい人間像の模索——魯迅·周作人共訳『現代日本小説集』を手がかりに』(東京大学 合文化研究科1991年度修士学位論文)である。
[5] 芥川龍之介『鼻』春陽堂、1918年、18頁。
[7] 止庵編、魯迅·周作人訳『現代日本小説集』新星出版社、2006年。