本書は、序章と 章を除き、全5章で構成されている。各章の内容は以下のように考えている。
第一章 村上春樹文学における「記忆」の系譜
第一章では、村上春樹の作品群に見られる战争や植民地の記忆を概観し、とりわけ中国にかかわる作品に注目し、村上文学における中国記忆の系譜を辿る。具体的には、『羊をめぐる冒険』「中国行きのスロウ·ボート」、「トニー滝谷」、『アフターダーク』、『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』を対象として取り上げ、記忆研究という観点でさらに深く検討できる可能性を提示する。
第二章 『ねじまき鳥クロニクル』における「ノモンハン」と「新京の動物園」の記忆
第二章と第三章では、村上の長编小説『ねじまき鳥クロニクル』を分析の対象とする。『ねじまき鳥クロニクル』 は、「満州国」に関わる歴史的な逸話が短くない幅で挿入されている。「間宮中尉の長い話·1」、「間宮中尉の長い話·2」 、「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」、「ねじまき鳥クロニクル#8(あるいは二度目の要領の悪い虐殺)」 はそれぞれ「満洲国」に関わる歴史を原型としている。第二章においては、『ねじまき鳥クロニクル』における「ノモンハン」と「新京の動物園」に焦点をあて、「記忆」はどのように表象されたかについて考察する。ノモンハン事件についての歴史研究の成果を踏まえた上で、『ねじまき鳥』の第1部の巻末に挙げられている『ノモンハン美談録』(忠霊顕彰会、満洲図書株式会社、1942年)、『ノモンハン战 人間の記録』(御田重宝、現代史出版会、1977年)、『静かなノモンハン』(伊藤桂一、講談社文庫、1986年)などの文献を分析する。とくに、村上が参考した資料のうちにある『静かなノモンハン』 という小説を、比較する対象として取り上げる。
そして、「新京の動物園」の歴史的な時代背景を参照しながら、植民地造園史における「新京動植物園」の歴史的意義を明らかにさせる。「新京の動物園」という「想起の場所」の設定の意味を分析する。「新京の動物園」というエピソードでの「満洲引揚げ」、「満洲国士官学校」などについての歴史の实像を把握するため、関連する证言や歴史研究の論述を取り調べる。その上、どこが「純粋な」フィクションか、どこが歴史の原型に基づいたかを確認する。そして、児童文学における動物園での野獣処分の例を取り出して、「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」と比較して、語られる「記忆」の异同に注目する。
さらに、遅子建の小説『伪满洲国』(日本語 『満洲国物語』)を取り上げて、両作品における暴力の描写、歴史記述の异同を分析する。日中における二人の战争の未 験世代の作家が描いた「記忆」を通して、「文化的記忆」の現場に接近する。
第三章 『ねじまき鳥クロニクル』におけるコミュニケーションの切断と「記忆」の回復
第三章では、まず、「ねじまき鳥」と「井戸」のメタファーとしての意味を解釈する。作品の深層構造での「記忆」の位置づけを考察する。そして、前章で行った表象面の考察を踏まえて、『ねじまき鳥クロニクル』に遍在する暴力性について具体的に解釈する。作品に描かれる暴力には他者の身体に対する物理的な破壊力という一般的意味の暴力のみではなく、精神的暴力、さらには政治的な暴力も見られる。「皮剝ぎ」の意味について検討をさらに深める。
さらに、コミュニケーションの切断と回復という物語の筋で論を展開させる。「僕」とクミコとの関係の切断と回復、笠原メイが物語で果たす役割を解明する。そして、コミュニケーションの回復のプロセスのなかでなされる、「記忆」の獲得の仕方に注目する。「動物園襲撃」の物語は最初ナツメグが語り、シナモンがそれを聴き取り、二人で共有する記忆なのである。このように獣医(祖父)——ナツメグ(母親)——シナモン(息子)という三世代にわたる「記忆」の伝承の葛藤ぶりを検討する。第1部と第2部をさらに展開させた第3部の特徴を考察する。
第四章 『1Q84』における「満洲」体験
第四章では、『1Q84』における父子関係による「記忆」の葛藤を巡って論じる。まず、登場人物の青豆とタマルに される「満鉄」と「樺太」について、「記忆」の表象研究を行う。特に他者としての在日朝鮮人のタマルにかかわる「記忆」の叙述に注目する。登場人物が背負う「記忆」から、作者のスタンスが垣間見える。そして、父親の「満洲」体験に注目し、他の「記忆」の記述——開拓民の证言、中国の農民の体験者の证言を参照し、語られた父の「満蒙開拓」の記忆がどこが集合的記忆と重なるか、どこが集合的記忆を逸脱したか、という問題意識を抱えながら考察する。その際、中国語小説『満洲国物語』で描かれた「満洲記忆」をも比較の対象として取り扱う。
さらに、物語において、主に天吾父子間にわたる「記忆」の继承の 相を明らかにする。前世代から次世代への記忆の伝承という問題に注目する。そのため、本章では、父親の「満洲体験」を分析した上、子供世代のトラウマ(NHKの集金活動と母親の不在による身の上の謎)はいかに親世代のトラウマ(植民地体験や战争体験)と関連づけられるかを分析する。
第五章 「魂のソフト·ランディング」はありうるか——『1Q84』論
本章では、テクストに散在する「ずれ」と意識された記忆の手がかりを取り出して、記忆、ひいては战争の記忆がいかに「ずれ」の世界=「1Q84」の世界と関連しているかを解釈する。リトル·ピープルのメタファーとしての意味を解 する。天吾と青豆をめぐって展開する二つの物語がいかに関連していかに合流するかを具体的に分析する。入れ子構造の小説『空気さなぎ』の役割と意味を検討する。『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』との继 性と変化を明らかにする。「記忆」の語り方の変化の意味と原因を分析する。最後に作者のインタビューを引用しつつ、作者が希求する「魂のソフト·ランディング」のリアリティーについて議論する。
[1] 成田龍一『「战争 験」の战後史——語られた体験/证言/記忆』岩波書店、2010年、pp.254-255。
[2] アライタ·アスマン著、安川晴基 『想起の空間——文化的記忆の形態と変遷』水声社、2007年12月、p.440。
[3] 川村湊「“新世界”の わりとハート·ブレイク·ワンダーランド」『村上春樹スタディーズ02』若草書房、1999年、pp.251-254。
[4] 小森陽一『村上春樹論『海辺のカフカ』を精 する』平凡社、2006年、pp.267-268。
[5] 栗原裕一郎「村上春樹論の 焉」『ユリイカ 1月特別増刊号 特集 村上春樹』2010年12月、pp.197-212。
[6] 古処誠二、川村湊、成田龍一他「付章 战争を知らない世代の战争文学を む」『战争文学を む』朝日文庫、2008年、p.314。
[7] 成田龍一『「战争 験」の战後史——語られた体験/证言/記忆』岩波書店、2010年。
[8] 坂部晶子『「満洲」 験の社会学——植民地の記忆のかたち』世界思想社、2008年。
[9] 柴田元幸、沼野充義、藤井省三、四方田犬彦编『世界は村上春樹をどう むか』文春文庫、2009年6月、p.4。
[10] 柴田元幸、沼野充義、藤井省三、四方田犬彦编「村上春樹 翻 世界地図」『世界は村上春樹をどう むか』文春文庫、2009年6月、p.28。
[11] 林少華「村上春树在中国——全球化和本土化进程中的村上春树」『外国文学评论』(2006年03期)、中国社会科学院外国文学研究所、2006年8月、p.39。馮英華 。原文:「《挪威的森林》仅在上海译文出版社自2001年以来便已印行23次,逾百万册;《海边的卡夫卡》近三年来已印行29万册;而最新作品《天黑以后》不到一年也已印行六次达13万册。上海迄今刊行村上作品共31种,印数超过250万册。若加上2001年前漓江出版社的印行册数,总印数已逾300万册。这在中国出版界堪称传奇性印数。不妨说,村上春树和他的《挪威的森林》已成为一种文化符号,一种时髦,一种品位和格调。」
[12] 王寅「〈文化〉村上春树:我站在鸡蛋一边」『南方週末』2006年9月7日1178期、http://www.southcn.com/weekend/culture/200609070030.htm、2014年10月20日確認。馮英華 。「小資」は日本語には対応する適切な 語がない。原文:「记者:在中国,你被定位为“小资情调”的畅销作家,你自己希望如何被定位?村上:我只是按自己喜欢的方式写自己喜欢的故事罢了,并不是抱着什么目的去写的。不过,基本上我非常重视和尊重个人的自由。就像是有一堵结实的高墙,如果有撞上高墙而破碎的鸡蛋,我往往是站在鸡蛋一边的。记者:你从阪神地震开始关注日本社会问题,随后又采访沙林毒气事件等。从《神的孩子都在跳舞》到《海边的卡夫卡》,故事的主角,个人的处境也开始跟社会议题息息相关。你如何解读和看待自己在创作历程方面的转变?村上:我以多种写法,描写多种人物。读者从中读到什么,看到什么,是读者各自的问题。我当然有我自己的世界观、历史观和政治见解等,但是这些有时跟我的故事有直接的结合点,有时却并没有。所谓故事,应该突破所有制约,完全自由,这是我强烈的信念。讲故事和小猫散步是一样的,去喜欢的地方,做喜欢的事就好。」
[13] 林少華『总序 村上春树的小说世界及其艺术魅力』『奇鸟行状录』上海译文出版社、2002年。馮英華 。
[14] 林少華「译者序:追问暴力:从“小资”到斗士」『奇鸟行状录』、上海译文出版社、2009年。馮英華 。原文:「如果问我村上作品中最佩服哪一部,我会毫不犹豫地举出《奇鸟行状录》(直译应为“拧发条鸟年代记(编年史)”,以下简称《鸟》)。这是一部真正的鸿篇巨制,日文为上中下厚厚三大卷,译成中文都有五十万言,达650页。时间跨越半个世纪,空间远至蒙古沙漠和西伯利亚荒原。出场人物众多,纷至沓来而各具面目;情节多头推进,山重水复,雾锁云笼。更重要的是,在这部作品中,村上完全走出寂寞而温馨的心灵花园,开始闯入波谲云诡的广阔沙场,由孤独的“小资”或都市隐居者成长为孤高的斗士。在这点上,我很赞同我几次提及的哈佛大学教授杰·鲁宾(Jay Rubin)的见解:《鸟》“很明显是村上创作的转折点,也许是他创作生涯中最伟大的作品”。」
[15] 林少華著、明田川聡士 「闘士としての村上春樹——東アジアで充分に重要視されていない村上文学の東アジアの視点」、藤井省三编『東アジアが む村上春樹:東京大学文学部中国文学科国際共同研究』若草書房、2009年6月、p.363。
[16] 符夏鹭「论村上春树的『奇鸟行状录』——对日本暴力及侵华战争的反思」『林区教学』哈尔滨理工大学、2012年第12期总第189期、p.58。引用文は馮英華 。原文:「村上春树通过《奇鸟行状录》这部长篇巨著,揭露了日本发动侵华战争的暴力罪行,探索了当今日本暴力的传承脉络,明示出对战争责任的深层思考和追究。《奇鸟行状录》是村上春树文学创作上的一个重要里程碑,标志着村上春树由一名自由主义作家转变为具有高度历史责任感和社会责任感的勇士。」
[17] 李国磊「涉舟远行——论村上春树作品中的中国因素与历史追究意识」『德州学院学报』第28卷第3期、2012年6月。引用文は馮英華 。原文:「村上借对当下日本的追问,表达了对于日本现状与未来走向的担忧。这也是他进行历史追究的另一层意义之所在。“去中国的小船”引出了“我”的“原罪”意识,正是乘着这条小船,村上追溯了过往那段似曾遥远的历史,“编年史”似地追究着那段历史的罪恶根源,针砭深藏于日本整个国家的暴力倾向与体制,直面仍大行其道的罪恶意志,我想这一切在很大程度上源于村上自身和他所触及到的中国因素,来源于他对中国和中国人怀有的愧疚与“原罪”意识。」
[18] 谢端平「村上春树的轻率」『文学报』2014年5月8日、第023版、新批评。引用は馮英華 。原文:「我很认同日本中央大学教授宇佐美毅的观点,村上春树小说最大的缺陷是缺乏强烈的主题及目的性。《海边的卡夫卡》自始至终没有交代父亲的罪孽,父亲的形象暧昧、模糊、不确定。卡夫卡在无意识中杀了父亲后,一步步勾引母亲,他单刀直入地说:“佐伯女士,和我睡觉好么?”佐伯答:“即使我在你的假说中是你的母亲?”卡夫卡说:“在我眼里,一切都处于移动之中,一切都具有双重意味。”他借模糊的“双重意味”,成就了一段乱伦故事。」
[19] 尚一鴎「村上春树的伪满题材创作与历史诉求」『国外社会科学』(Social Sciences Abroad)中国社会科学院文献情报中心、2010年7月、p.61。馮英華 。原文:或许山本一行4人在哈拉哈河畔的出现,可以理解为日本挑起事端,导致战争发生的一种并不明确的交代。无论是就细节表现,还是与题旨关联的意义而言,人们都找不到丝毫的理由认为,《发条鸟年代记》的活扒人皮比大冈升平的《野火》中人吃人的残忍格调更高。原因就在于,这两部作品所反映的都是战争带给日本军人或者说日本人的伤害。村上的发条鸟最多只是飞抵了《野火》中的菲律宾的山谷,并未显示出超越的身姿。
[20] 王海藍「中国における「村上春樹熱」とは何であったのか——2008年·3000人の中国人学生への調査から」『図書館情報メディア研究』第6巻第2号、2009年3月、pp.51-61。王海藍は2008年5月から6月までの1ヶ月間に、北京·長沙·西安·包頭(内モンゴル)など中国大陸の11都市にある22校の大学においてアンケート調査を行った。有効回答者2618人のうち、2365名、すなわち90%が「村上春樹の名前を聞いたことがある」と答え、1475名、すなわち56%が「村上春樹の作品を んだことがある」と答えた。2005年のある調査によれば、中国の5つの大学の346名の大学生のうち、村上春樹を知っている者は92%、作品を んだことがある者は66%であった。
[21] 陆扬『大众文化理论』复旦大学出版社、2008年、p.123、馮英華 。原文:「首先是生活的品位和文化的情趣;其次是向往浪漫,这是一种都市化的浪漫;最后既然是一种情调,一种意境,体现的是文化品位,进而也可以与金钱无关,上则中资、大资,下则平头百姓,都可以包括进来。」
[22] 林少華「放談ざっくばらん 村上春樹は中国でなぜ まれるのか」『人民中国』(2001年10月号)http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/fangtan/200110.htm、2014年10月20日確認。
[23] 劉研「“小资"村上与中国大众文化语境」『中国文学研究』2012年第1期、p.17。馮英華 。原文:「浸淫“小资”村上的读者们,不仅会忽略村上文学的丰富性,也很难自觉意识到村上文学的复杂性。」
[24]
アライダ·アスマン著、安川晴基
『想起の空間 文化的記忆の形態と変遷』水声社、2007年、p.26。
Aleida Assmann.
Erinnerungsräume. Formen und Wandlungen des kulturellen Gedächtnisses.
München: C.H. Beck,1999.
[25] アライダ·アスマン著、安川晴基 『想起の空間 文化的記忆の形態と変遷』水声社、2007年、p.28。
[26] 遅子建『伪满洲国』作家出版社、2000年;日本語 :孫秀萍 『満洲国物語』河出書房新社、2003年7月。