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3.中国における村上春樹文学の受容

中国における村上春樹文学の研究と受容については、本論の先行研究の重要な一部になるので、この節では、中国での翻 状況、中国の研究者による批評、一般 者の みという順でまとめる。中国では、1980年代末から現在に至るまでの間にほとんどの村上春樹の作品が中国語に翻 され、「村上春樹ブーム」を引き起こした。その後も、とりわけ、中国の若者の間では「村上春樹熱」が いている。たとえば、2010年に第5回「中国作家富豪ランキング」の「外国人作家富豪ランキング」が『華西都市報』により発表されたが、村上春樹は過去10年間に1250万元( 2億円)の印税収入で、4位にランクインした。翌2011年の第6回ランキングでも、過去1年間に620万元( 9900万円)の印税収入で、同じく4位となっている。ブームのもう一つの例として、ピアニストの宋思衡は、2013年3月16日に北京音楽庁で『ノルウェイの森——村上春樹を探して 宋思衡マルチメディア·ピアノ·コンサート』(中国語原題:《挪威的森林——寻找村上春树 宋思衡多媒体钢琴音乐会》)というタイトルのコンサートを開催し、村上文学に登場するビートルズの歌やジャズを演奏した。村上文学は中国ではファッションのような流行になっている。

藤井省三は、中国語圏での村上ブームについて、「台湾を起点に香港→上海→北京と十年かけて時計回りで展開し、シンガポールにも伝わった村上ブームは、各地における高度 済成長と深い関わりがあります。新たに登場した中産階级が、 済成長の踊り場に差しかかると自らが弃ててきた過去をじっくりと回想し始めるのです」と指摘している。 [9]

本節では、中国大陸における村上春樹文学の受容状況について、翻 の概観、研究の現状、一般 者の受容という三つの方面から分析する。

3.1 中国における村上春樹文学翻 の概観

村上春樹の作品は、世界40カ国近くで翻 出版されている。 [10] 藤井省三によれば、中国語圏で村上春樹作品が最初に翻 されたのは、1985年に台湾の雑 『新書月刊』8月号で頼明珠が村上小特集を組んで短编小説を绍介したときである。これは村上文学の世界最初の外国語 でもある。翌年には中国大陆の雑 がこの小特集をそのまま借用して掲載したという。 ただし、藤井はその雑 名を明言していない。1988年、『世界文学』6月号は水洛 「貧乏な叔母さんの話」(《穷伯母的故事》)、黄鳳英 「象の消滅」(《大象失踪》)を掲載した。 これは村上文学の中国大陸での最初の翻 と見なされている。村上春樹の作品は、中国では、1989年から現在までの 30年間に、30点以上の作品が翻 ·出版されてきた。

中国で早くから翻 され、ブームになった『ノルウェイの森』が初めて绍介されたのは、日本での刊行から2年後の1989年であった。当時曁南大学日本語系の教師をしていた林少華が翻 を担当し、桂林の漓江出版社から刊行された。これは『ノルウェイの森』の中国語簡体字 の最初のバージョンである。そして、1990年に北方文芸出版社により、鐘宏傑、馬述禎 の《挪威的森林——告别处女世界》(日本語に直 すれば『ノルウェイの森——処女の世界にさよなら』となる)が出版された。これは『ノルウェイの森』中国語簡体字 のもう一つのバージョンであるが、林少華 と比べると影響力はそれほど大きくはなかった。1992年に漓江出版社から《好风长吟》というタイトルで『風の歌を聴け』の中国語簡体字 が刊行されたが、その表纸は通俗小説のイメージを強く感じさせる。

中国では、1991年6月に「中華人民共和国著作権法」が施行され、また1992年10月に中国は文学的および美術的著作物の保護に関する「ベルヌ条 」に加盟した。しかし、1989年の『ノルウェイの森』の中国語 (簡体字版)には版権に関する表示がないため、この最初の翻 単行本は海賊版の可能性が高い。1990年代に入って、著作権法の整備が進む中で、村上文学の翻 も盛んに展開された。

1996年から、漓江出版社から《村上春树精品集》というシリーズが出され、『ノルウェイの森』(《挪威的森林》1996年)、『羊をめぐる冒険』(《寻羊历险记》1997年)、『ダンス·ダンス·ダンス』(《舞!舞!舞!》1996年)、『世界の りとハードボイルド·ワンダーランド』(《世界尽头和冷酷仙境》1996年)、短编小説集『象の消滅』(《象的失踪》1997年)が出版された。この『精品集』の翻 はすべて林少華によるものである。この新装版の装幀や表纸のデザインは、以前の版よりも品質が明らかに良くなってきている。この『精品集』により、村上文学の中国語 における林少華の重要な位置が確立され、中国における本格的な村上ブームが始まった。また、1997年には 林出版社から林少華 『ねじまき鳥クロニクル』(《奇鸟行状录》)が刊行された。その後も『ねじまき鳥クロニクル』は版を重ねることになるが、ここでは各版の表纸を例として取り上げる。

表纸の変遷から村上文学受容のイメージの変化が窺える。1997年版の表纸には小さい「雀」、黒猫、着物を着る日本人男性が配置され、暗い背景に若い女性の大きな笑顔が見える。この作品は、1984年の東京の、着物など着そうにもない「僕」が主人公であるにもかかわらず、着物を着た一昔前の男性像が描かれているのは、当時の中国における日本人イメージを反映したものと言えよう。また、この表纸の は通俗恋愛小説、或いはミステリ小説のような印象を 者に与える。2001年に、外国文学の輸入を主に取り扱う大手出版社である上海 文出版社は、これまでに刊行された中国語 の『挪威的森林』(『ノルウェイの森』)の各版が多くの 者の間に人気があることを察知し、村上春樹と作品の翻 出版に関して独占契 んだ。その後、上海 文出版社により、『村上春樹文集』という形で村上作品は途切れることなく刊行された。長い間、林少華が村上の作品を独占的に翻 し、合計32の作品を出版してきたが、2010年の『1Q84』から施小煒が翻 者の競争に加わるようになった。

2006年の時点で、中国における村上文学の出版状況について、林少華は次のように述べている。

上海 文出版社の場合、出版された版だけ見ても、『ノルウェイの森』が2001年以来、23刷、百万部を越えた。『海辺のカフカ』はこの三年間に29万部。最新作『アフター·ダーク』は一年足らずの間に6刷·13万部。上海 文出版社は、これまで31作、 部数250万部以上を刊行した。2001年以前の漓江出版社による刊行部数を加えれば、 部数はすでに300万部を越えた。これは、中国の出版業界では奇迹的な印刷部数と言える。村上春樹と彼の『ノルウェイの森』は、すでにある種の文化的符号、ある種の流行、ある種の品位と格調となったと言っても差し支えない。 [11]

上の引用は2006年の時点の記述である。それから8年が 過した2019年現在、村上作品の中国語 は各出版社により、新作の刊行はもちろん、再版も重ねられている。ゆえに、現在までの村上文学の 販売部数を正確に把握するのは、簡単ではない。特に『1Q84』の版権は、中国本土で激しい競争の末、2009年に100万ドルで落札され、2010年に南海出版公司から出版されることに決まった。『1Q84 BOOK1』中国語簡体字版の初版の発行部数は120万部で、200万部販売が目標とされた。『1Q84 BOOK2』の初刷は60万部だと報道された。2011年に発行された『1Q84 BOOK3』も売れ行きが良かった。本章の冒頭で挙げたに、村上春樹は『1Q84』の売り上げの勢いで中国での「外国人作家富豪ランキング」の上位にランクインした。 いて、2013年には南海出版公司から施小煒 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(『没有色彩的多崎作和他的巡礼之年』、2013年10月)が刊行された。

2012年から、『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』などの代表的な長编10作品の中国語版が全面的に改訂され、上海 文出版社から刊行された。今回の全面改訂は、上海 文出版社が林少華に特に依頼して实現したという。 文の語彙や文章などを改めて添削し、誤 の修正、 し漏れの加筆をし、より みやすく、時代の変化に合わせた翻 作品となるようグレードアップさせたと言われる。

2014年10月に、林少華は、自らのブログ上で、上海 文出版社が全十巻の村上小説のハードカバー版を刊行する予定であることを記した。以前の 文を改めて校閲することをも依頼されたという。 中国で今後も村上ブームはまだまだ く見込みである。

新聞や雑 による村上春樹作品の绍介は1980年代の末から始まったが、2000年以後、村上作品の社会性にも関心が向けられるようになってきた。2006年には、中国の週刊纸『南方週末』に掲載された「〈文化〉村上春樹:私は卵側に立っている」 [12] というインタビュー記事が注目を集めた。

記者:中国では、「小資情調」のベストセラー作家と見なされていますが、ご自身はどう思われますか。

村上:私はただ自分の好みで好きな物語を書いているにすぎません。何かの目的を持って書くのではありません。高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立っています。

記者:村上さんは阪神·淡路大震災から、日本の社会問題に関心を寄せ始めて、その後地下鉄サリン事件についてインタビューしました。『神の子どもたちはみな踊る』から『海辺のカフカ』に至って、物語の主役の個人的な体験も、社会と密接に関わるようになってきました、。このようなご自分の作風の変化をどうみていますか。

村上:私は多 な手法で 々な人物を描いています。 者がそこからなにを み取るか、なにを見るか、それは 者自身に任されています。もちろん私にも私なりの世界観、歴史観と政治認識があるけれど、時には直接に物語と接点があったりもするし、なかったりもします。物語は、すべての制限を破る、完全に自由なものですこれは私の強烈な信念です。物語を語ることは小猫の散歩と同じで、好きなところに行って、好きなことをすればよいと思います。

上のインタビューからわかるように、『南方週末』という週刊纸は、作者の方向転換や作者の発言に鋭敏に対応し、時代の変化とともに変わっていく村上文学を中国の 者に绍介している。

3.2 中国における村上春樹文学研究——視点と成果

本節では、中国における村上春樹文学研究の全体像と変化を呈示し、中国の研究者が村上春樹の文学をいかに解 しているのか、とりわけ、本書が注目する「記忆」の問題をいかに受け止めているのかについて考察する。

中国の日本文学研究者田建新は「中国の村上春樹——“新鮮血液”」という研究論文において、次のように語っている。

最近の中国では西側最先端の文学を学ぶ一環として若い作家や評論家たちが、日本の現代作家とその作品の研究に力を注いでいる。それは政府政策が緩んだからこそ可能になったことで、一方、“日本を通じて世界を見る”というこれまで歩いてきた道筋からも日本現代文学を研究することによって何が今の中国の文壇に役に立つかを探求できるからである。頻繁な翻 ·評論文のなか、毎年のように村上春樹の作品と評論が绍介され、それによって、“恋愛小説”“青春小説”“都市小説”などといった概念が中国の文壇にも吹き込まれた。その反響としては、これまでの「傷痕」文学や「現实批判」文学に飽きた 者側にも、また中国当代文学の新しい方向を模索する作者側にも“新鮮血液”をもたらしたとともに、中国の 者たちの村上春樹ブームによる日本現代文学に対する興味が日増しに高まっていることがあげられよう。

この引用からもわかるように、中国の文学研究者は、村上春樹文学の中国文壇への影響を早くから敏感に意識し、高い関心を示していた。中国における村上文学研究のうち、書籍として出版されたものには、主として以下のものがある。

岑朗天『村上春树与后虚无年代』(新星出版社、2006年)

林少华『村上春树和他的作品』(宁夏人民出版社、2005年)

雷世文编『相约挪威的森林——村上春树的世界』(华夏出版社、2005年)

その他、翻 書としては以下のものがある。

小森陽一著、秦剛 『村上春树论——精读『海边的卡夫卡』』(新星出版社、2007年、原題:小森陽一『村上春樹論——『海辺のカフカ』を精 する』平凡社、2006年5月)

杰·鲁宾著、馮濤 『倾听村上春树——村上春树的艺术世界』(上海译文出版社、2006年、原題:Jay Rubin, Haruki Murakami and the Music of Words , Harvill Press, 2002.日本語 :ジェイ·ルービン著、畔柳和代 『ハルキ·ムラカミと言葉の音楽』新潮社、2006年9月)

黒古一夫著、秦剛·王海藍 『村上春树:转换中的迷失』(中国广播电视出版社、2008年10月、原題:黒古一夫『村上春樹——「喪失」の物語から「転換」の物語へ』勉誠出版、2007年10月)

内田樹著、杨伟·蒋葳 『当心村上春树』(重庆出版社、2009年、原題:内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング、2007年10月)

侯为·魏大海 『村上春树〈1Q84〉纵横谈』(山东文艺出版社、2012年6月、原題:河出書房新社编集部编『村上春樹『1Q84』をどう むか』河出書房新社、2009年7月)

2000年以後、中国では、日本の村上研究の翻 書がしだいに増えてきた。その背景には、研究界での日中の交流が徐々に盛んになってきたという事情がある。

中国における村上文学の研究論文にも変遷が見られる。李徳純が1989年に発表した『物 世界中的异化——日本“都市文学”剖析』(『世界博览』1989年第4期)は、現時点で確認できる限りでは、中国における村上文学研究の最初の学術論文である。1994年の王向遠『日本后现代主义与村上春树』(『北京师范大学学报』社会科学版 第5期)は、ポストモダンの視点から村上文学を解 する論文である。村上ブームの隆興と共に、2000年以後、村上文学に関する論文の数も大幅に増加してきた。張敏生は、この30年間の日中における村上研究を 括した論文『近三十余年日本、中国内地村上春树研究述评』をまとめている。 その論述を参照しつつ、中国語研究論文を調査した 果によれば、中国における村上文学研究は、主に以下の観点からなされていると把握できる。すなわち、ポストモダン、文体、フェミニズム批評、比較文学、物語批評、村上文学が起こした社会現象である。博士論文も何篇か書かれている。例えば、李晓娜の博士論文『村上春树与美国现代文学』(吉林大学、2013年)は、比較文学研究の観点から、モダンアメリカ文学の精神と村上文学の影響関係を論じるものである。杨炳菁の博士論文『后现代语境中的村上春树』(吉林大学、2009年)は、ポストモダンの文脈のもとで、村上文学の思想面と芸術面のポストモダン的な特徴を分析するものである。その他、雑 に掲載された論文や修士論文の本数も年々増えている。特に、村上文学が起こした社会現象についての論述が数多く見られる。具体的には、中国の 者層、 者が村上文学を好む原因を分析する論文が数多く存在する。記忆研究という観点からの論文は、2009年以降になってようやく登場してきた。

者による論述も見てみよう。林少華は長い間村上文学の翻 を独占し、作品について論文や批評も多く書いており、 者の受容に少なからず影響を与えてきたと言える。2002年に上海 文出版社により刊行された『村上春树作品集 奇鸟行状录』(『ねじまき鳥クロニクル』)には、 者の林少華が書いた『村上春樹作品集』の「 序 村上春樹の小説の世界と芸術の魅力」 [13] が掲載されている。この2002年版序文は、日本における村上文学の位置、そして世界各地での村上ブームを全体的に绍介するものである。また、林少華は『奇鸟行状录』(『ねじまき鳥クロニクル』)2009年版の 者序文「暴力を問い詰めて——〈小資〉から闘士へ」で、『ねじまき鳥クロニクル』のモチーフ、創作の 緯についてかなり詳しく绍介し、村上の作風の転換を高く評価している。

もしもっとも敬服する村上作品がどれかと聞かれたら、私はまったくためらわずに『ねじまき鳥クロニクル』と答える。(中略)もっと重要なのは、この作品の中で、村上は完全に寂しくて心暖まる庭園を出て、変幻する広い战場に突入し、孤独な「プチブル」や都市隠遁者から孤高の闘士になったことである。 [14]

暴力はこの長编小説の中心点である。二つの がこの中心点で交差している。 は歴史 (時間軸)、あるいは年代記(クロニクル)であり、その主軸はノモンハン战争である。横 は現实 、現在進行中の時間であり、その主軸は一人の男が行方不明の妻をあちこち探し回ることである。二つの とも暴力に満ちている。あるいは、暴力という中心点の延長ともいえる。暴力を充分に表現する際、二つのラインは同時に同じ標的を射る:“Violence,the key to Japan”(暴力、日本を開くための鍵)!これは村上が語った言葉であり、前に引用したジェイ·ルービンの『ハルキ·ムラカミと言葉の音楽』からの引用である。間違いなくそれはこの偉大なる作品のテーマである。

この序文は2002年版の再録ではなく、2009年版のために林少華が改めて執筆したものである。この序文で、林少華は、 者に『ねじまき鳥クロニクル』におけるクロニクルや暴力の意味についてのヒントを与え、創作時間が四年半もかかったこの作品の重要さを绍介している。具体的な販売部数は把握できないが、『ノルウェイの森』と比べ、中国では『ねじまき鳥クロニクル』の売れ行きがそれほど多くなかったのは周知の事实である。中国の 者がこの難解な作品を解 するのに助けになるようにと、林少華は力を入れたと言える。

暴力についてのみならず、林少華は、「闘士としての村上春樹——東アジアで充分に重要視されていない村上文学の東アジアの視点」において、東アジアの視点から、战う村上春樹の面を析出し、次のように指摘している。

村上文学の中で最も 東アジアに関わっている歴史的要素 が、東アジアではこれに正比例する反響を引き起こしているわけではない点は興味深い。(下 は筆者、以下同

そして最後に、村上が描く暴力について、次のように 論づけている。

つまり、村上春樹が追及し非難する対象は、战争という形式で現れる「国家暴力」に限定されず、個々の人の内部に潜む残忍さや暴力をも含め、その 果外部から内部へと深い反省の念が芽生えてくるということを言っているのだ。そして、これはある種の大きな愛情から生まれるものだと考えてもかまわないだろう。この日本人作家は、恐らく次のようなことを考えているのだ——このような反省の念を持ってこそ、日本は真の意味でアジアと和解ができ、アジア全体が調和するし、日本の明るい未来が望めるのだ。 [15]

この言い方からわかるように、林少華は村上春樹の翻 作業を通じて、村上文学に潜んでいる暴力や战争の問題を真剣に考えており、社会関心に富んだ村上文学像を中国の 者に提示しているのである。

2000年以後、中国での村上文学についての研究は、爆発的に量が増えてきた。2014年9月29日の時点で、中国の論文検索サイトCNKIで、「村上春树」をキーワードとして検索した 果によれば、2000年以降に研究 に発表された論文の数は784本に及んでおり、修士論文と博士論文を合せて206本、新聞に掲載された記事は464本である。それとは対照的に、1989年から1999年までの間、村上文学に関する論文の数は20本にも満たない。また2000年以前の中国での村上文学についての研究論文では、战争や植民地の記忆の問題は重要視されていなかったが、近年では『ねじまき鳥クロニクル』における「記忆」の問題が意識され始めており、最近3、4年間に、関係する論文が少しずつ現れてきた。本書の視点と多少関連する中国語博士論文には、主として尚一鸥『村上春树小说艺术研究』(博士论文、东北师范大学、2009年)と杨炳菁『后现代语境中的村上春树』(吉林大学、2009年)の2本がある。次に、その受容の 相、とりわけ歴史記述が見られる作品の評論に注目したい。

多くの中国人研究者は、村上文学における「中国」や战争の記忆に共鳴し、村上文学における歴史認識を高く評価している。たとえば、符夏鷺は『论村上春树的〈奇鸟行状录〉——对日本暴力及侵华战争的反思』(「『ねじまき鳥クロニクル』論——日本による暴力的な侵華战争に対するリフレクション」)で、「村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』という傑作を通して、日本が起こした侵略战争の暴力的な罪悪を暴露し、現在の日本社会における暴力との関連性を探索し、战争責任に対する深い思考と追求を明らかに示した。『ねじまき鳥クロニクル』は村上春樹の文学創作の上での一つの重要な里程標であり、村上春樹がリベラルな作家から、歴史と社会に対する高い責任感を持つ勇士に変身したことを意味する。」 [16] と『ねじまき鳥クロニクル』における歴史認識に共鳴し、高く評価した。

また、李国磊は『中国行きのスロウ·ボート』、『羊をめぐる冒険』、『アンダーグランド』、『ねじまき鳥クロニクル』を対象に、作品中における「中国」と歴史の記述に焦点を当て、次のように分析する。「村上春樹は現在の日本への問いかけを通して、日本の現状と将来への心配を表している。これも彼の歴史への追求のもう一つの意味である。〈中国行きのスロウ·ボート〉から〈僕〉の原罪意識を引き出し、このスロウ·ボートに乗ったからこそ、村上は、あの遠ざかる昔の歴史をふり返り、〈编年史〉(クロニクル)のようにあの歴史の罪の根源を追求し、日本に隠れている暴力の傾向と体制を批判し、罪悪の意志に直面することができた。これは村上自身が触れた中国の要素に起因し、中国と中国人に対する罪悪感と〈原罪〉意識にも起因するであろう」 [17] と論じている。

謝端平は、「村上春樹の軽率」『文学報』(2014年5月8日、第023版、新批評)という文章において、次のように書いた。

私は日本の中央大学教授·宇佐美毅の見方に賛成します。村上春樹の小説の最大の欠陥は強烈なテーマと目的に欠けているのです。『海辺のカフカ』では、最初から最後まで父親の罪を明らかにしていない。父親の姿は曖昧模糊として、確定していない。カフカは無意識の中で、父親を殺したあと、母親を誘惑して、ずばりと「佐伯さん、寝てもいい?」と尋ねます。(中略)「二重の意味」で不倫の物語を作り出しているのです。 [18]

劉研の論文 では、「战争の記忆がアイデンティティーに対して重要性を有していることを主張」するという考察を、多くの頁を費やして肯定的に論じているが、 論のところで、補足として、「記忆に対する批判的な意識を構築したとは言いがたい」と指摘しており、それと同時に中国側の研究者は战争の记忆についての探求を深あるべきだと主张(ている)。

尚一鴎は大岡昇平の『野火』に言及しながら、『ねじまき鳥クロニクル』の限界性を指摘している。

山本らがハルハ河の辺りに現れたことは、日本側が战争を起こしたことを暗示しているかもしれない。 部の表現にせよ、主旨との関連にせよ、『ねじまき鳥』に見られる皮剥ぎの場面は、大岡昇平の『野火』に見られる人肉を食う場面の残忍性より格調が高いとは考えられない。その理由を考えると、二作品とも战争が日本軍人あるいは日本人に与える被害を表した点は共通しているが、村上の『ねじまき鳥クロニクル』はせいぜい『野火』の舞台となったフィリピンの谷に飛びつこうとしたが、それを越える姿を見せることはできなかった、という点にあるだろう。 [19]

中国の研究者のなかではあまり見られない厳しい批判である。「格調が高いと考えられない」というのは、個人的な感情の込められた論じ方である。「日本人に与える被害を表した」というのは、中国人への傷害(身体の傷害のみではなく)を充分には表していないということを意味するのであろう。中国の研究者には、村上文学における战争記忆の描き方に共鳴する人が多いが、上記のように、鋭く批判する声もある。その批判の声には、学問的批判のみではなく、複雑な民族感情も んでいると言える。

3.3 一般 者が見た村上春樹文学

村上文学は中国では多くの 者に愛 されている。王海藍 [20] は中国の3000人の学生を対象として行ったアンケート調査の 果を分析して、彼らが村上作品から「孤独感と喪失感」及び「性描写」、「デタッチメント」を受け取っていることを明らかにしたが、『ねじまき鳥クロニクル』については言及していない。このアンケート 果によると、『ノルウェイの森』を んだことのある人数は1325人で、圧倒的な多数を占めている。第二位から第四位までは、『海辺のカフカ』432人、『風の歌を聴け』368人、『ダンス·ダンス·ダンス』301人である。また、原作のコピーや、インターネットからのダウンロードで んだ人数は254人もいる。

村上文学の流行はインターネットの普及と深く関わっている。2000年以後のインターネットの急速な拡大は、村上ブームを促進したと言える。中国の若者にとって、情報収集の主な媒体は、もはや伝 的なメディアであるテレビや新聞ではなく、インターネットとなっている。中国の 者たちは掲示板で意見を交わしたり、ブログで感想を書いたり、ソーシャルネットワーキングサービスのグループで検討したりしている。バーチャルの世界といえども、現实世界と深く繋がり、影響し合っている。したがって、一般 者の受容を考察する場合、インターネットは無限の1次資料を提供してくれる。ネット上の評論や感想は莫大な数に及んでいるが、ここでその特徴的で代表的な評論をだけ取り出して分析する。

本論では、一般 者の受容を有効に把握するために、「パーソナルメディア」とも言われる「新浪微博」のコメントを対象として調査を行う。『ねじまき鳥クロニクル』などの作品の み方には若者の特徴的な意識が見られるので、本書では一般 者がなぜこの作品に充分注目しなかったのか、そして んだ後のイメージはどのようなものなのかを検討する。

村上文学が中国で流行した原因を探求するためには、現代中国語特有の新語である「小資」を抜きにしては語れない。陸楊は、「小資」を定義して「まず、生活の品位と文化の情趣。次に、ロマンへの憧憬、これは都市化へのロマンである。最後に、〈小資〉はある種の情調として、ある種の境地として、文化の品位を体現する以上、ひいては金銭と関係がなくても、中産階级、大ブルジョアジーから、一般の百姓まで、全部含まれるわけである」 [21] と、三つの特徴を説明している。2000年以後、中国大陸では都市化が進み、 済発展が急速に進むなかで、資本主義の消費文化はグローバル化の一部となった。香港·台湾では1980—90年代に村上ブームが起こったのに比べ、中国大陸でのブームは遅れたが、2000年以後、村上文学を広く受け入れる社会環境がだんだん整えられてきた。社会階级の再構成が急速に進み、〈小資文化〉という中国特有の文化現象が現れてくる。村上文学の高度資本主義の消費文化としての特徴は、この時期の中国社会の需要を満たすものであった。村上文学における登場人物たちは、一所懸命に働かなくても普通に生活できて、ジャズやロックを聴いたり、洋食を食べたり、感傷的なムードに沈んだりする。中国では、特に学生たちと新興ホワイトカラー階级がこのような描写に共鳴した。都市部の人々にとって、生活の上では物質的余裕が少しずつ出てくるとともに、モダン都市=東京への憧れが生じており、また、精神面では村上文学における「喪失感」にも違和感を持たなくなっている。中国の 者は、村上春樹文学における、60年代の学生闘争に対する挫折感や喪失感を充分には理解できない。受容側が村上文学の中でもっとも関心を持つのは、資本主義消費文化のライフスタイルやムードである。

このようななかで、村上春樹文学を一般 者に绍介するガイドブックも出てきた。稻草人编著『遇见100%的村上春树』(当代世界出版社、2001年)は、村上作品に登場するロックやジャズの音楽史を ったり、ビールやパスタを绍介したり、「村上春樹式」のライフスタイルを推賞したりする、村上ファンの関心を引く「事典」のような本である。苏静、江江编著『嗨,村上春树』(朝华出版社、2005年)は、村上春樹作品に対する感想をまとめたエッセー集である。

者の林少華は、中国の村上ブームの原因について、自らの体験や考察をもとに、 者からの手纸に書かれた感想や見方を加えた上で、次のように指摘している。

中国人が日本の作家の作品を み始めて最初に感じるのは、いま んでいるのは他人のことであり、日本人のことであり、つまり自分とは無関係の人間や事柄について んでいるのだ、ということだ。しかし村上作品を むと、自分のことを んでいると感じ、自分の精神世界と心の天地の中を遊び回って、ついに自分自身を見つけたと感じるのだ。

一言で言えば、村上文学は、中国の都市に住む青年男女の心の共鳴を引き起こした。これがまさに、村上春樹の小説が中国で長くブームを け、衰えを見せないもっとも根本的な原因である。 [22]

この評論からもかわるように、林少華は、中国での主な 者層は「都市に住む青年男女」だと指摘し、 者たちが精神面で村上文学に共鳴することを察知し、さらにこの特性が村上文学の人気の原因となっている、と指摘している。

「豆瓣」とは、文学や映画の愛好者が大勢集まる、非常に人気のあるサイトである。「豆瓣」の掲示板では、まれに真剣な みが見られる。次に一例を挙げて見よう。

【原文】 《奇鸟形状录》:井,青痣与拧发条鸟 2010年05月23日 22:02:36(前略)这两个意象,将1930年代的满洲、外蒙和1980年代的日本连接起来。将往事从历史的灰尘堆里扒拉了出来。历史是不能被忘记的。它又出现在人们的生活里,甚至连形式都充满了巧合。也许不这样写,就无法提醒人们历史不能被忘记。历史总是惊人的巧合,一再重复的发生。这是我们从冈田的故事中感受到的。(後略)

文】 『ねじまき鳥クロニクル』:井戸、痣とねじまき鳥

(前略)この二つの表象は1930年代の満洲とモンゴルを1980年代の日本につなげている。かつての出来事を歴史の塵埃から引っぱり出している。歴史は忘却されるべきではない。それは再び人々の生活に現れ、形さえ偶然性に満ちている。このように書かないと、歴史が忘却されるべきではないことをリマインドすることもできなくなるだろう。歴史の出来事はいつも偶然に一致し、反復する。これは私が岡田の物語から感じたものである。(後略)

この書評は、「歴史は忘却されるべきではないことをリマインドする」と解 し、『ねじまき鳥クロニクル』における「記忆」の描写の意味に共鳴する。ところが、このような み方は、一般 者のなかではかなり少数であり、「歴史」を大きく取り扱った『ねじまき鳥クロニクル』についても、「歴史」に注目しない み方のほうが多数である。次に「歴史」に注目しない、あるいは注目する気のない感想の例を挙げる。

また、2014年10月28日の時点で、『新浪微博』で「奇鸟行状录」(『ねじまき鳥クロニクル』)をキーワードとして検索すると、10326本の「評」が出ている。それとは対照的に、「挪威的森林」(『ノルウェイの森』)をキーワードとして検索すると、420354本の短い評論やつぶやきが出ている。村上文学の注目度を事实通りに反映し、あえて数量的に言えば、40倍の差が見られる。次に特徴的な評論を取り出して、分析する。なお、個人情報を尊重するため、ユーザ名は省略した。

①【原文】 村上之所以无法感动诺奖评委,或许是因为他尚未有他们偏好的“大时代”、“史诗式”的大气作品吧?其实《1Q84》《海边的卡夫卡》《发条鸟年代记》等都有看似不经意的重要历史、社会背景的植入,但被他的村上式琐碎描写和各种令人困惑的暗喻几乎淹没了,小说一如他笔下的主角,努力地平淡和迷惘着……(2012年10月27日 21:11)

文】 村上がノーベル賞の選考委員を感動させなかったのは、彼の作品群には彼等の好む「大きな時代」、「叙事詩的」な大作がないからではないか?实は、『1Q84』『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』などにはすべて、無意識に重要な歴史と社会背景が移入されているように見える。しかし、それは村上式の煩わしい描写と種々の人を困惑させる暗喩に埋もれてしまっている。小説は作中の主人公と同じように、懸命に淡々として困惑している……

この 者は『1Q84』、『海辺のカフカ』、『ねじまき鳥クロニクル』の社会性に注目しているものの、暗喩の難解さを否定的に見ている。

②【原文】 看到09年杂志的某篇文章,让我联想到我最喜欢的两个作家村上春树和余华,他们都有一段暴力的写作状态,村上春树的《发条鸟年代记》,余华的《梅花血案》、《现实一种》……比直接看到血腥的场面还让人战栗。(2013年2月23日 12:47)

文】 2009年の雑 のある文章を んで、最も好きな二人の作家村上春樹と余華のことを思い出した。二人とも暴力的な創作の状態があった。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』、余華の『梅花殺人事件』、『現实一種』……血なまぐさい場面を直接に見るよりも人を战慄させる。

この 者は余華の作品を連想して、『ねじまき鳥クロニクル』における暴力の描写に注目している。

③【原文】 今天中午看完《奇鸟形状录》以后睡了一觉。醒来后还在回味小说的结尾。真希望笠原May能和冈田在一起,我太喜欢她了。天分这东西太让人嫉妒,村上春树能写出甚至能想出来这种故事,我太惊叹了。这是他的最巅峰了——在我看来。(2010年7月24日 21:00)

文】 今日の昼間に『ねじまき鳥クロニクル』を わって、昼寝をした。目を覚まして、まだ 末を噛み締めていた。笠原メイと岡田は恋人同士になってほしい。私は本当に笠原メイのことが大好きだ。才能というものは人を嫉妬させるものだ。村上春樹がこんな物語を想像し、書き出したことに感嘆する。これは彼の最高傑作だ——私にとっては。

この 者は『ねじまき鳥クロニクル』が村上の最高傑作だと高く評価しているが、その理由を明言していない。この 者はやはり『ねじまき鳥クロニクル』を恋愛小説のように もうとしており、笠原メイと岡田が恋人同士になることを期待している。このような み方が生じた原因は、『ノルウェイの森』がもたらしたイメージの慣性であろう。

④【原文】 《奇鸟形状录》野心很大,洋洋洒洒60多万字,超现实批判眼光,从行文结构、角色设置和长度各个方面都算是《1Q84》的原型,可惜我并非喜欢这本。在我看来,若把战争那条线拿掉会精简得多,叙述的啰嗦复杂减少了不少阅读快感。村上春树的写法和视角比较主观,一直觉得他不适合写30万字以上的小说。(2012年7月31日 10:56)

文】 『ねじまき鳥クロニクル』は野心的な作品だ。60万字にものぼり、超現实的で批判的な眼差しを持っている。構造面でも、登場人物の設定でも、長さでも、いずれも『1Q84』の原型となっている。ところが、私はこの作品を好まない。私の見るところでは、战争という筋立てを取り除けばもっと簡潔になるだろう。くどくて複雑な叙述は みの快さを減らしてしまっている。村上春樹の書き方や視点は主観的だから、彼は30万字以上の小説に向いていないとずっと思っている。

「战争という筋立てを取り除けばもっと簡潔になるだろう」という記述から見れば、この 者は、战争の記忆の描写に共鳴していない。实際にこの小説から战争の要素を取り除けば、残りの物語は夫婦愛の小説になるし、男性の主人公と女性たちの出会いの物語になってしまうであろう。明らかに、この 者は、村上文学に対社会的意識を求めようとしていない。

⑤【原文】 重读《奇鸟行状录》,明显的头重脚轻,诺门坎及其后的西伯利亚集中营的段落很精彩,若把剖皮那一段细致的描写扩充一下,不知道能不能爆了《檀香刑》——冈田梦境中的酒店总让我想起《闪灵》……其实我更喜欢村上云淡风轻的出世之感,这种担负起历史和社会责任的入世作品,固然让人敬重,但少了一些感觉……(2014年10月27日 00:19)

文】 『ねじまき鳥クロニクル』を再 して、明らかに「頭が重くて足が軽い」と感じる。ノモンハン及びシベリア強制収容所の描写は素晴らしい、もし皮剝の段落の緻密な描写を膨らませたら、『檀香刑』(引用者注:莫言の小説、日本語 題『白檀の刑』)を越えるかどうかはわからないが。岡田の夢のなかのホテルは『シャイニング』(引用者注:スタンリー·キューブリックの映画、原作はスティーヴン·キングの小説)を連想させた…实は、私は世間から距離をとった雰囲気の方が好きで、このような歴史や社会責任を背負う社会関心の作品は、もちろん尊敬するけど、何か心に通じるものが少なくなってきた…

引用文からわかるように、この 者が期待しているのは、村上文学の対社会意識というより、むしろ、センチメンタルな雰囲気のようなものである。

村上文学におけるセンチメンタルな雰囲気、孤独感や喪失感に共鳴する若い 者が少なくない。彼らは、高度資本主義社会のライフスタイルに憧れており、村上文学の社会性を重視するのではなく、自らその社会性を排除しようという傾向すら見られる。それは、都市化が急速に進展し、社会構造が変化し けるという発展段階に応じて生じた社会現象である。都市部の青年男女は、村上文学を「小資」のモデルとして受け止めて、村上文学を通して心の体験、治愈的な体験をする。劉研は「〈小資〉に耽っている村上の 者たちは、村上文学の豊富さを無視するのみではなく、村上文学の複雑性を自覚的に意識することもできない」 [23] 者受容の問題点を指摘している。中国の 者は『ノルウェイの森』で受け取った都会的な「小資文化」のイメージ、センチメンタルな雰囲気、孤独感等を村上春樹の文学像として保持し けている傾向が見られる。従って、多くの 者の期待の地平には、そもそも『ねじまき鳥クロニクル』のような战争や植民地の記忆は含まれていないと言える。

しかし、村上春樹文学にたびたび現れる「中国」は、やはり战争·植民地という歴史と びついており、この記忆の問題を み解くことは、若い世代の村上ファンにとっても重要なテーマであると考えられる。そして、この問題を扱うためには、1980年代以降活発になり 々な分野に広がりを見せていった記忆研究の方法を用いることが有効である。そして、この方法を用いて多 な記忆と みを伝えようとする本書は、中国の人文科学研究にとっても有益であると考える。以下、本論が研究方法とする記忆研究について述べる。 AbzzUEVMJQqz5PvHFBqs3AYqChiYRgFQEI0vhGqISvzxLE1mgE/jGq7FR2t0WCc0

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