购买
下载掌阅APP,畅读海量书库
立即打开
畅读海量书库
扫码下载掌阅APP

2.「満洲」に関わる战争や植民地の記忆

村上文学において「歴史」が語られる場合、「満洲」という存在が重要な位置を占めている。作中では満鉄、ノモンハン事件、新京動物園、満蒙開拓などの歴史的な事象が次々と語られている。「中国」が「記号」として取り扱われていると言えるのならば、「満洲」は战後の日本人にとってはかない郷愁を伴うこともある一種のトラウマとして描かれていると言えよう。

2.1 『羊をめぐる冒険』

『羊をめぐる冒険』は『群像』1982年8月号に掲載された長编小説である。同年10月、講談社から単行本が刊行され、第4回野間文芸新人賞を受賞している。

本作品の冒頭では、女の子の事故死が描かれる。妻に出ていかれた「僕」は、美しい耳の彼女が告げたとおり、特別な羊を求めて旅をすることになる。手がかりは、行方不明になった親友の「鼠」が送ってきた写真である。僕は会社を辞め、彼女と共に北海道に向かう。札幌を 由し、彼等は「鼠」の父親が買い取った別荘がある内陸部の十二滝町へと至る。そこで突然彼女は去って行き、「羊男」が目の前に現れる。

特に羊博士という登場人物の 歴に、「記忆」の影が反映されている。羊博士は東京帝国大学農学部を卒業後、農林省に入省する。1935年、彼は「満洲」で羊と出会い、体内に入り込まれるという 験をする。帰国後に羊は抜け去ってしまい、その後彼は、北海道で羊飼いになった後、現在は「いるかホテル」の2階に引きこもっている。特別な力を持つ羊は、中国大陸から日本にやってきたことで 々な事件を起こす。

川村湊は北海道と「満洲国」をつなげて解釈している。「この二つの地域が、近代日本の夢見た〈新世界〉幻想の二つのモデル·ケースであったことは明らかだろう。一方は開拓地、一方は植民地といった違いはあったが、(先住アイヌ民族にとっては北海道開拓も、侵略であり植民地的進出にほかならなかったのだが、)〈新世界〉〈新天地〉を目指すという願望は、明治と昭和という時代的な懸隔をも超えて共通しているのは、確かなことなのである」 [3] と指摘している。

村上作品において、「満洲」への意識は初期の『羊をめぐる冒険』からすでに垣間見えるが、後の作品『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』では、「満洲」に関わる「記忆」の叙述が一層濃厚になってくる。

2.2 『ねじまき鳥クロニクル』

『ねじまき鳥クロニクル』ではこれまでにないほど「歴史」が濃密に語られ、対社会意識が強く示されており、多くの評者によって作風の転換点になったと言われている。『ねじまき鳥クロニクル』は第1部「泥棒かささぎ编」(『新潮』1992年10月号—1993年8月号)、第2部「予言する鳥编」(1994年4月、新潮社より書き下ろし刊行)、第3部「鳥刺し男编」(1995年8月、新潮社より書き下ろし刊行)から成る。村上の小説としては、初めて战争という形の暴力が本格的に扱われている。

失業中の「僕」に掛かってきた不思議な電話をきっかけに猫が行方不明となり、近所へ探しに出た先で女子高生と知り合いになり、翌日には奇妙な占い師が訪れる。妻が行方不明となった後、誰かから妻へのプレゼントの痕迹を見つけた「僕」は、彼女を探し出す決意をして、古い井戸の底へと降りていく。

作品中で、「僕」の一つ上の世代の占い師である田中さんは、「僕」とクミコに「満洲」の战場についての話をたくさんする。そして、田中さんが亡くなった後、その战友である間宮中尉という老人が訪ねてきて、战時中の「満洲」での出来事をより詳 に「僕」に聞かせる。それは、ハルハ河のほとりで上官が身体中の皮を剥がされる残忍な殺され方をしたことや、井戸に突き落とされた話などである。このように『ねじまき鳥クロニクル』において入れ子式にノモンハン事件を挿入する構造は、作品に歴史の暗い深みを与えている。このノモンハン事件に関わるエピソードは、『ねじまき鳥クロニクル』の作中では間宮中尉の独白体で、かなりの分量を割いて語られている。

さらに、第3部「鳥刺し男编」の第10章「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」でも、「満洲国」が取り上げられている。この章では、「満洲国」崩壊寸前に、その首都であった「新京」(現·長春)の動物園で、猛獣たちが銃によって虐殺されたという事件に焦点が当てられている。後に作者は、1994年にこの動物園(現在の長春動植物公園)を見学しており、虎の子どもを抱いている写真を旅行記——「ノモンハンの鉄の墓場」に載せている。

橋本牧子は、1990年代に行われた〈歴史〉を巡る議論を踏まえ、テクストにおける「満洲」という出来事が、日本という共同体のトラウマの記忆であり、その暴力によるトラウマから回復するために、登場人物による語りと聴取の行為により〈歴史物語〉の「再構成」が行われたと評価している。 また、平居謙は『1Q84』との関連性について、「見えない暴力と権力者の威圧、その中での純愛という背景を見れば、『ダンス·ダンス·ダンス』の延長 にあり、後に『1Q84』に繋がっていく作品であると位置付けることも可能なのである」 と論じている。村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』で、「現在」の出来事と「記忆」の世界、現实の世界と异世界という重層的な世界を創り上げた。『ねじまき鳥クロニクル』では、種々の暴力によるトラウマを克服するために、コミュニケーションの回復を図ろうとする物語を み取ることができる。その回復を求めるプロセス中で、战争の記忆の獲得、世代間における記忆の引き继ぎの問題が前面化してくる。村上は第一部で描いた記忆の場に赴き、「歴史」を实体験で検证してみたことがある。紀行文「ノモンハンの鉄の墓場」(1998年)は、雑 『マルコポーロ』の勧めで現地訪問して執筆したものである。村上は、1994年6月に中国側とモンゴル側の両方からノモンハンを訪れた。紀行文の中では、大連、長春(かつての新京)、新京動物園と国境両側のノモンハンの風景が描写されている。村上は第一部では未体験者として「学習」で得た歴史知識で脚色したノモンハンを描いたが、その後、战場の風化した焼け迹、さらには移り変わった長春動植物園(かつての新京動植物園)を目にするという实体験を て、第三部でさらなる暴力を構想したと考えられる。

2.3 『1Q84』

『1Q84』は、2009年5月にBOOK1とBOOK2、その後、2010年4月にBOOK3が書き下ろしで新潮社から順次刊行された。文庫本は2012年6月に新潮文庫より、BOOK1、BOOK2、BOOK3をそれぞれ前编と後编に分け、全6冊で出版された。この作品は出版不振と 書離れの中でのベストセラーとなり、社会的現象として各界で話題となったことは記忆に新しい。海外でも好評であり、 国、ロシア、中国、ヨーロッパなど各言語で翻 されている。『1Q84』は、『ねじまき鳥クロニクル』と比べると、植民地や战争の歴史に関する記述はそれほど濃密ではないが、村上自身の「記忆」への意識は依然として認められ、战前の「記忆」が散在する形で組み込まれている。父子関係は物語のメインの筋の一つであるが、父親の開拓民としての「満洲」体験は、彼の望んだ通りには息子に伝えられなかった。

主人公である天吾にとって、父親との思い出は苦渋に満ちている。本作において父が初めて登場するのは、天吾の不幸な子供時代が語られるシーンにおいてである。そこで語り手は、父親の「満洲国」時代から战後NHK集金人になるまでの閲歴を詳しく説明する。この個人的体験談を通して、その背景に潜む大きな歴史を浮かび上がらせる語りとなっている。父の「満洲」体験は「語り手」により、次のように記述される。

天吾の父親は 战の年に、満州から無一文で引き揚げてきた。東北の農家の三男に生まれ、同郷の仲間たちとともに満蒙開拓团に入り満州に渡った。満州は王道楽土で、土地は広く肥沃で、そこに行けば豊かな暮らしを送れるという政府の宣伝を鵜呑みにしたわけではない。王道楽土なんてものがどこにもないことくらい、最初からわかっていた。ただ彼らは貧しく、飢えていた。田舎に留まっていても餓死寸前の暮らししかできなかったし、世の中はひどい不景気で失業者が溢れていた。都会に出たところでまともな仕事が見つかるあてもない。となれば満州に渡るくらいしか生き延びる道はなかった。有事の際は銃をとれる開拓農民として基礎訓練を受け、満州の農業事情についてのまにあわせの知識を与えられ、万歳三唱に送られて故郷をあとにし、大連から汽車で満蒙国境近くに連れていかれた。そこで耕地と農具と小銃を与えられ、仲間たちとともに農業を営んだ。石ころだらけのやせた土地で、冬には何もかもが凍り付いた。食べるものがないので野犬まで食べた。それでも最初の数年は政府からの援助もあり、なんとかそこで生き延びることはできた。

ここで描かれた「父」の 験は、まず世代間の段差を表す単純なものであるが、同時に世代と「記忆」という作品のモチーフにも深く関連する。引用したように東北地方の貧農として生まれ、満蒙開拓团に参加した父親は、ソビエト連邦の「満洲」侵攻を事前に察知し、侵攻と同時に日本に逃げ帰る。この「満洲」体験は決して楽な 験ではないが、他の開拓民より一足先に、あまりにも順調に日本に ることができたのは、幸運だったともいえ、父親が天吾に聞かせる際には自慢話のようなものになる。このような、きわめて私的な体験さえも、個人が属するさまざまな集团の内部におけるコミュニケーションや関係性に影響し けることで、記忆は再構築され、固定され、維持される。したがって、ここで共有された記忆はある種の集合的記忆として描かれたものと考えられるだろう。しかし、父親が語る「満洲」体験には、当然存在していたであろう現地の日本人以外の人々の姿が欠如している。この天吾の父親と、「トニー滝谷」の滝谷省三郎という二つの父親像には類似するところが見られる。すなわち、二人とも、中国に渡った 験を持つが、「歴史に対する意志とか省察とかいったようなもの」 が見られないのである。 VD+KGpL4WbWQONXsccylwikE43KDCPZ+0i7I/SZv+E05qW6aW65FocSgx+hIq36s

点击中间区域
呼出菜单
上一章
目录
下一章
×