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西湖の月

それは或る年の秋の末つ方、東京某々新聞の特派員として長らく北京に まって居た私が、或る用務を帯びて久振りに上海の方へ一箇月ほど出張を命じられた時の事であった。十一月の、――何日であったかはハッキリと覚えて居ないが、ちょうど杭州の へ着いて二日目の晩が美しい満月の夜であったから、上海を立ったのは旧暦の十三日か四日の午後であったろう。杭州へ廻ったのは別段用件があった訳ではない。実は此の前一度上海へ来た時分に、蘇州楊州南京の附近は一と通り見て歩いたに拘わらず、杭州へは是非行きたいと思いながら、ついに暇がなくて機会を逸してしまったので、今度の出張を幸いに見物して置こうと思ったのである。

秋の末と云った所で中国の南部ではまだそんなに寒くはない。贅沢を云ったら此の地方の遊びは春に越した事はないのだけれど、よしや の詩の謂わゆる、

というような南国特有の行楽を まにする訳には行かないにしても、路傍の柳の葉はまだ青々と繁って居るし、冬服だと日中は汗を掻くくらいで、ただ朝夕の空気が えと、それも寧ろ快い肌触りを覚えさせる程度に、身に沁み渡るほどの気候である。花はなくても紅葉はちょうど見ごろであるし、空は毎日カラカラに晴れて居るし、おまけに其の日が満月にあたって居るとすれば、西湖の景色は可なり遊子の心を唆るに足るのである。そんな訳で、私は午後二時半に上海の北站から杭州行きの列車に投じたのであった。

「杭州へ行こうと思うのですが、 では何と云う宿屋が一番いいのでしょう。無論西洋人や日本人の宿はありますまいな。」

ない上海語で斯う云いながら、隣りの紳士を顧みると、

「左様」

と、象牙のバイプで紙巻のウエストミンスタアを燻ゆらしていた男は、 に肥満した顔の中にある脹れぼつたい眼を げに きながら、

「西洋人のホテルはないが、中国人の旅館なら清潔で立派なのが沢山あります。西洋のホテルのように出来て居るから、上海から来る西洋人もみんな泊まります。近頃西湖の畔に新しく出来た新々旅館、それから 旅館、此の二つが中でも一番いいでしょう。新々旅館の方が家も大きいし見晴らしもいいのだけれど、停車場から遠いのが不便だかろうな。」

と云って、不愛想な眼つきでじろりと私に一瞥をくれた後、又悠々と煙草を吸って居る。人と話をするのが如何にも大儀だと云う風に見える。

「あなたは何処までお出でですか。」

と、私が無遠慮に追究すると、彼はもう一遍じろりと此方へ を与えて、

まで」

と云ったきり、すうっと窓の方を向いてしまった。

多分此の男は嘉興の商人なのだろう。でっぷりして大柄な体につやつやしい黒繻子の服を纏うた風采がやや傲慢に見えるくらい堂々として居て、 の生えた口元や顔の輪郭が何処となく前大総統の黎元洪氏に髣髴として居る。私の向い側には五十恰好の品のいい痩せた紳士が、隣りに腰かけた夫人を相手に茶をがぶがぶと啜りながら何か頻りにペらペら話し合って居る。話の合間に夫人は真鍮の煙管からガポガポと鈍い音を立てて水煙草を吸う。亭主も茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸ってはカーアツと喉を鳴らして床の上へ痰を吐き散らす。それから又ぺちゃくちゃと話が始まる。此の夫婦の娘と見えて夫人の側に十八九と十五六になる女の児が、向い合って座を占めて居る。十八九の方は のような血の気の失せた顔色をした女だけれど、しかし其の目鼻立ちは木彫りの如く堅くキッチリと整って居る。四つか五つ位になる幼児を抱いて居るのだが、その児の服装は眼が醒めるようにゲバゲバしい。真っ紅な繻子に青い糸で龍だか麒麟だかの刺繡を施した上衣の下へ、 のようにぎらぎらと光る濃い草色のズボンを穿いて居るのである。十五六の娘の方は手に菊の造花を持って、それを振りながら幼児をあやして居る。派手な紫地の、 かと思われる上衣に共色の帽子を被っている彼女の容貌は、姉娘とは反対にふっくらとした のような色つやをした円顔である。そうして其の柔かそうな豊頬から長い頸の周りを、真っ白な羊の毛皮の裏の着いた上衣の襟に包んでいるのが、何とも云えず優雅に見える。私と共に以上六人の人数が一つのテエプルに向い合って居るのだから、( って置くが中国の汽車にはベンチとベンチとの間にテエプルを据えてあるのが多い。)椅子はぎっしりと身動きもならない程に詰まって居るのである。勿論私たちの席ばかりでなく、車内は何処も彼処も満員であった。此のくらいなら一等へ乗れば好かったけれど、二等でなければ斯うまで中国人のいろいろな風俗を観察する便宜はなかったかも知れない。何しろ此の車内に溢れている客の様子を見ただけでも、南方が北方に比べて如何に富んでいるかと云う事は明かである。京奉線や京漢線の二等室を見馴れた眼で見ると、ベンチの蓐に張ってあるアンペラの色なども汚れ目がなく、ボーイの身なりにしても、テエブル・クロースにしても、万事が小ざっぱりして居て、室内の掃除がよく行き届いて居るらしい。それに、土曜日とは云え二等室がこんなに混雑して居る様子では、此の近辺の中流階級は一般に景気がいいのだろう。第一北方の汽車などとはまるで客種が違って居る。此の辺の二等室のお客は、北方なら一等室でなければ出遇はないような立派な服装をした連中ばかりである。のみならず婦人の乗客が多いと云うこともたしかに顕著な現象である。北方では女の 歩きは稀であるのに、南へ来ると は勿論夫人でも令嬢でも男と手を携えて盛んに遊び歩いて居る。恐らく上海と云う欧羅巴風の大都会を控えて居る影響なのだろう。私が先刻この室内へ足を運び込んだ時にも、何より先に感じたのは乗客の色彩が非常に花やかであると云う一事であった。日本なら、四月頃のうらうらとした日光が、ひろびろと窓外に打ち展けている江蘇の沃野を照らして、その強い反射が室内をパツと明るくして居るせいもあろうけれど、座席の半分以上を占めて居る婦人や小児の派手な衣裳が、此処の空気を一層きらびやかにして居る事は争うを いない。云うまでもなく彼等の服装も亦、北方に比べれば濃厚で絢爛である。金魚が游いで居るような、と云う形容詞はよく聞く言葉だが、彼等の服装は全く金魚だ。金魚がぎらぎらと鱗を水に光らせつつ游いで居るのだ。おまけに中国では体格の小柄な女を貴しとする風があって、婦人は一体に 人形の如くチョコチョコした小さいのが多いのだから、尚更金魚と云う形容が当てはまる訳だ。ずっと果てから果てを見渡した所、中には随分美人のお客も交って居るらしい。江蘇浙江は古来美人の産地と歌われて居る位だから、大概の女は十人並みの顔立ちを持って居るけれど、恰度私の席から ばかり隔たった前方の椅子に、後向きに腰かけて居る令嬢風の女の横顔は、一と際目立って美しく感じられる。背丈は外の女より少し高いようだが、私の趣味から云えば却って此のくらいの方がすっきりと華著な姿に見える。そうして服装の好みが馬鹿に気持がいい。毒々しく燃え立ったような衣裳の中に、その女だけはたった一人瀟洒とした薄い青磁色の上衣を着けて、白繻子の靴を穿いて居るのが、金魚の中に変り色の緋鯉が一尾交ったようなすがすがしい感じを与える。皮膚は手の先でも頬の上でも西洋紙のようにすべすべと目が んで居て、やや卵黄色を帯びた冷めたい青白い色をして居る。混血児などに屢々あるような肌の色だと私は思った。日本の女の指に比較すると、中国の女の指は一層デリケエトであるけれど、分けても此の女の指は繊細を極めて居る。しかし中指と薬指とに篏めて居る金の指環は、日本の女に批評させたら或は太過ぎると云うかも知れない。太いばかりでなく、その指環には可愛い可愛い豆粒よりも小さな位な黄金の鈴が五六箇も附いて居て、指を動かす度毎にチャラチャラと揺れてぶら下がって居るのである。余計な事を云うようだが一体日本の女の装飾品に対する趣味は、あまりに島国的にコセコセといじけて居るようである。このくらいなデリケエトな指には、寧ろ此の程度の毒々しさを持つ指環の方が配合がいいように考えられる。それからもう一人、彼女と差し向いに色の浅黒い円顔の女が腰かけて居る。此れも相当の美人で、背は小さいが前の令嬢よりも二つか三つ の、髪の結び方から察するに大方好い所の奥様であろう。金の鎖の端にハート形の翡翠の下った耳環を附けて、黒繻子の服を纏って、テエブルに肘をつきながら毛糸の編み物をして居る。して居ると云うよりは、ピカピカと銀色に光る二本の長い針を弄びながら、編み物をいじくって居ると云った方が適当かも知れない。笑おうとして笑わずに居るような、妙な媚と愛嬌とが目元と口元に漂って居る。以前の令嬢は折々肘をくの字なりに突っ張って、上衣の下から紫の絹のハンカチを摘まみ出して、それを鼻先へ持って行ったり両手で顔の前へ幕を張ったり、何と云う事もなく にして居るらしい。或はハンケチに滲み込ませてある香水の匂いでも嗅いで居るのだろう。彼女の薄い はその紫の絹のハンケチと軽さを争うように柔らかくひらひらして居る。

松江の鉄橋にさしかかった時、首を出して見ると水は のように青く青く澄んで透き徹って居た。中国へ来てからこんな綺麗な川の水に遇ったのは今日が始めてである。濁っているので有名な黄河は云わずもがな、白河にしても揚子江にしても中国の川と云う川は皆 のように汚い。南方の蘇州の運河はそれほど汚くはないけれど、とても此の松江の水とは比較にならない。いつぞや汽車で朝鮮を通った時、あの近辺の川の水は悉く清洌だと思ったが、此れなら朝鮮の川に比べても劣りはしなかろう。兎に角中国も南と北とでは川の水からして既に斯くの如く違って居るのである。蘇州の水は南京の水よりも清らかに、杭州の水は更に蘇州の水よりも清らかに、南へ南へ行くに従って支那はだんだん美しくなるのではあるまいか。現に窓外に連なって居る豊饒な田園の趣にしても、直隷河南あたりの たる原野の風物とは雲泥の相違である。絶え間なく打ち続く緑の桑畑や、桃の林や、楊柳の並樹や、その間を する水溜りには数十羽の が群がって泳いで居るかと思うと、忽ちにして夥しい の穂が日にきらきらと輝いて居る丘陵がある。丘陵の蔭から高い塔が えて来たり、町の城壁の古びた煉瓦塀が蜿蜒とうねって現われたりする。此の景色を前にして、停車場ごとに出たり這入ったりする美しい女たちの風俗を眺めて居ると、私の夢はひとりでに楊鉄崖や高青邱や王漁洋の詩の世界に迷い込んで行くような心地になる。

ちゃりん、ちゃりんと銀貨を転がす音がするので、振り返って見ると今しも松江の停車場から乗り込んだ四五人づれの紳士の一団が、とあるテエブルに陣取るや否や、トランプで賭博を始めたのである。明治初年の一円銀貨よりも大きいくらいな の銀貨をざらりざらりと卓上に掻き集めながら、汽車に乗った事も打ち忘れた如く、いずれも熱心に手の中の骨牌を睨み詰めて居る。其のまん中に居るのは色の白い口の大きい、金縁の眼鏡をかけた、だだつ児のような円い顔をした、三十五六のだらしのない眼つきの男で、何となく親分株のように見える。車内で をするのはちと乱暴のようだけれど誰もなんとも云う者はない。だだつ児先生以外の男は大抵四十から五十恰好の分別盛りの顔つきをした、品の好い身なりの連中であるが、人前を恥じる様子もなく夢中になって大声を出したり銭の取り遣りをやって居る。 しこんなのが中国のデカダンの標本なのだろう。

松江と云えば元末の詩人楊鉄崖が嘗て乱を此の地に避けた事を憶い出す。草枝、柳枝、桃枝、 と呼ぶ四人の妾を従えて、彼が日夕 の遊びを恣まにしたのは、思うに私の汽車が今通り過ぎつつある此の近辺なのであろう。近代中国の詩人墨客が多く南から輩出したのも、斯うして此の土地の風光や習俗に接すれば、あながち偶然ではないのだと頷かれる。戯曲家の なども、浙江の生れであると云うから、あの十種曲の中に現われて来る場面や人物は、此の窓の外を走って居る山や、川や、都会や、街道や、此の室内に座を占めて居るような佳人才子の間から、さまざまな生きた材料を得た事であろうと想像される。実際、こう云う美しい国土と住民との間に生れれば、笠翁の詩劇にあるような縹渺とした空想が まれるのも無理はあるまい。十種曲の中にある蜃中楼伝奇を読むと、東海の浜辺へ遊びに行った柳士肩と云う青年が、海上の蜃気楼へ渡って青龍王の娘の舜華と結婚する怪しい物語が書かれて居るが、そのローマンスの舞台となった東海と云うのは、恐らく此の附近、――江蘇浙江あたりの海岸であったろうかと推測される。それから又女優の と稀世の才人の譚楚玉とが相抱いて川へ身を投げた後、可憐な二匹の と化して厳陵地方へ流れて行ったと云う の物語も、日常お のような山水や楼閣や人物を目にして居るうちに、自然と笠翁の頭の中に醸された幻想の一つではないだろうか。――こう考えて来ると、南国の此の地方に生れた人間は誰でも詩人にならずには居られないように感じられる。日本を東洋の詩の国だなどと己惚れて居る人たちに、私は一と目でも此の附近の風景なり人情なりを見せてやりたいくらいに思った。

汽車が嘉興を過ぎたのは夕方の五時々分であったろう。食堂車のまずい洋食で飢を いで、しょざいなさに携えて来た石印の西湖佳話を読んで居るうちに、戸外は真っ暗になってしまった。黒い窓ガラスに私の顔がぼんやりと、その向うには例の婦人たちの赤や青や濃い黄色の派手な服装が、ちらちらと映って居る。そのぼやけに輪郭を見るともなしに眺め続けて居たら、何だか斯う遠い昔の夢にでも出遇ったような心地になった。私は急に、一昨年の夏以来帰らずに居る故国のこと、東京の小石川の家庭のことなどを想い出した。知らぬ外国の土地へ来て、たった一人で夜汽車に揺られて居る時ぐらい、物悲しい、うら淋しい気分に襲われることはあるまい。……

* * *

ゆうべはおそく西湖の水に臨んだ亭子湾内のホテルへやって来た。汽車が杭州へ着いたのは七時少し過ぎだったから、ステエション前のホテルに泊まればよかったものを、私は是非とも西湖のほとりまで行きたかったので、不案内の土地を俥に乗って、湧金門外の清泰第二ホテルまで走らせたのである。ホテルまで二十銭と云う約束で乗ったところが、車夫がたちの悪い奴だったと見えて、城内の淋しい横町へ挽き込むや否や、そこでびたりと止めてしまって「もう十銭増してくれなければ御免蒙る。」と云う。ぐずぐずすれば脅迫もしかねまじき様子である。暫くの間押しも問答をしたけれど、荷物はあるし、道は分からないし、此処で放り出されたら動きが取れないので仕方なしに承知すると、今度は「前金でよこせ。」と云う。忌ま忌ましいには違いないが、上海の車夫などは追い剝ぎを働くくらいだから、此奴も悪くするとどんな悪党かも知れないと思って云うなり次第に金を渡してやった。幸い月夜だったからいいようなものの、暗い晩だったら或はあれだけでは済まなかったかも知れない。そんな出来事の為めに暇を潰して、宿屋の門を潜ったのは九時半頃であった。西湖を見るのは始めてでも湖畔の地理は詩や小説でたびたびお馴染みになって居るから、大凡そ見当が附かない事はない。ホテルの建って居る場所は湧金路の左側にあって、表門は西湖鳳舞台と云う劇場に向い合って居る。その裏門の方は即ち渺茫たる月下の湖水に面して居るのであった。ベランダに立って眺めると、遠く湖の彼方に呉山の山影が、空の色よりは幾分か濃いくらいな程度に、ほんのりと靄の如く棚引いて居た。有名な雷峰塔は多分その少し右の方に見えなければならない筈であるが、いかに冴え返った月夜でもさすが其れだけは夜霧の底に隠れて居るかして、残念ながら眼には止まらなかった。が、遥かな湖の果ての方に、向う岸に淡く連なって居る山よりは稍稍くっきりと水面に黒い樹立ちの群がって居るのが、かねがね憧れて居た か湖心亭の島影であろうと思った時、私は何だか恋人にでも逢ったような嬉しさを感じた。白楽天が築いたと云う伝説のある や、孤山の麓にあると云う の放鶴亭や、文世高と秀英小姐との恋物語で名高い断橋の情蹟や、宝石山の保叔塔などはつい此のホテルの後に近くにあるのだろうけれど、ベランダからはまるっきり望む事は出来なかった。今夜のうちに船を出して蘇堤の六橋あたりまで行って見たいとは思ったが、何分時刻が遅いので、明日の晩ゆっくりと月を賞しながら画紡を浮かべることにきめた。

汽車の中の商人が教えてくれた通り、中国人の経営して居る旅館にしては万事清潔で気が利いて居る。建物も全部西洋風で、ベランダの片側に列んで居る十ばかりの客室の入り口には、一つ一つ鉢植えの菊が飾ってあって、室内の装置も整って居るし、寝台の工合などはなかなか気持が好い。ボーイも先の車夫とは反対に人の好さそうな男で、片言まじりの英語を心得て居る。ただ一つ困った事には、浴室の設備がない。仕方がないからぶらりと戸外へ出て、迎紫路の角にある銭湯に漬かった後、ついでに近所の料理屋へ上って晩飯を喰った。料理の中に と云うのがあった。昔西湖の山水を愛惜して長く杭州に逗まって居た蘇東坡が、好んで作らせた料理であるが故に東坡肉と云うのだそうな。西洋料理にシャトオブリアンがあるのと正に好一対である。ねっとりとしたセピア色の脂っこいソップで、豆腐のように柔かい豚の白味を煮込んだもので、蘇東坡と云うと何だかひどく脱俗超凡の詩人のように聞えるけれど、あの濃厚な肉を肴に酒を飲みながら、朝な夕なお気に入りの妾の朝雲を相手に船遊びをして居たのかと思うと、中国人の趣味と云うものが大概分るような心地がする。晩飯を済ましてホテルへ帰って来たのは十時半ごろであった。あまり月が美しいので暫くベランダの藤椅子に靠れつつ湖面の景色を眺めて居た私は、その時ふと、隣りの部屋のドオアの前に、二人の女がテエブルに相対して腰かけて居るのに心づいた。欄干の影が鮮やかに落ちて居る廊下の板の間には、青白い明るさが霜のように冴えて居るので、二人の服装や顔だちは朧ろげながら判じられる。彼等は紛ふべくもなく汽車の中で見覚えのある美人の令嬢と其の姉らしい婦人とであった。大方私と同じように上海から西湖見物に来たのであろう。それにしても女二人きりなのは変であるが、或は部屋の中に連れの男が居るのかも知れない。などと考えて居るうちに、二人は私に遠慮をしたのか、こそこそとドオアの中へ這入ってしまった。

今朝八時ごろに床を離れて、朝飯の代りに杭州名産の をおかずにして を喰ってから、ベランダを行ったり来たりして居ると、隣室のドオアが明け放しになって居る様子である。何と云う事もなく昨夜の女たちが気にかかったので、そっと其の前を通り過ぎながら私は部屋の中を覗いて見た。果して二人の外にもう一人の男の連れがある。姉の婦人の亭主なのであろう、三十前後の、面長な、背のひょろ長い痩せた紳士である。女たちは今しも起きて顔を洗ったばかりの所らしく、鏡に向って腰かけて居る令嬢の後に立って、姉は妹の髪を ってやって居る。間もなく三人はベランダへ出て来て、ゆうべと同じ場所のテエブルを囲みながら雑談に耽り始めたが、年上の婦人は相変らず例の毛糸の編み物を手から放さない。紳士の容貌と令嬢のそれとが似通って居る点から推し測るのに、彼女は彼の実の妹であって、年上の婦人は の関係にあるのかも知れないと、私は其の折考えたのであった。令嬢の顔が、きのう汽車の中で見た時より一層美しく感じられたのも事実である。それは或は、欄干の外に のような柔かい波を颤わせて居る浅黄色の西湖の水と、爽やかな秋の朝の外気とが、あるエッフェクトを其の容貌の上に加えて居たせいでもあろう。彼女の着けて居る青磁色の上衣とズボンとは、斯う云う時と所とにいかにもふさわしい好みであって、彼女はことさら自分の姿を湖山の風光の画面の中へ容れんが為めに、数ある衣裳のうちから此の一揃いを り抜いて、身に纏って来たのかとも疑われる。その地質は下品でない底光りを持った、猫柳のようにつやつやとした繻子で、昨日は気が付かなかったけれど、青磁の面には孔雀の尾にある斑紋の如き模様が同じ色で飛び飛びに織り出されて居る。そうして上衣とズボンの縁は、薄い石竹色の絹糸でヘりを取ってある。一体に中国の女の脛と足とは西洋の婦人に比べても劣らないほどすっきりとして居るが、椅子に腰かけてテエブルの横木の上に出して居る彼女の両脚の線は、ズボンの先から淡いクリーム色の になるに従い、次第に細く細く のあたりで殆ど骨ばかりかと思われる様に まった後、再びなだらかに肉を盛り上げて、その尖端に、やっと爪先が隠れるくらいな浅い白繻子の靴を穿って居るのである。何となく鹿の脚のような、優雅な楚々とした感じがある。勿論脚ばかりでなく、金の腕時計を篏めて居る手頸なども、それと同じようにきゃしゃであった。どちらかと云えば稍稍面長の、希臘風の秀でた鼻と小さく切れた肉の厚い唇を持った、それで居て何処やらに子供らしいぼんやりさを備えた顔だちには、高貴の家の生れではないかと せられるような上品さがある代りに、その表情には病人じみた、元気の らない、ぐったりと疲れたような趣のある事も否まれなかった。黒眼がちの大きな瞳にも生き生きとした潤おいがないし、紅かるべき唇も茶色を帯びてくすんで居る。血色も青白いと云うよりは、青さが濃いために少し ずんで居るくらいで、 の細かい肌が のような冷え冷えとした堅さを持ち、ちょいと見たところでは玲瓏と澄み切って居ながら、底の方を掻き廻すと澱んだ濁り水がぶくぶくと湧き上って来る古沼のような感じを与える。にも拘わらず、此の令嬢の風情が昨日にも増して私の心を惹いたのは、大方其の全身に現われて居る病的な美の為めであったのだろう。尤も、女と云えば神韻縹渺として風に吹かれて消えてしまいそうな、弱々しい柳腰花顔の姿態を有難がる中国人に見せたら、或はこんなのが真の東洋的、――中国式美人の典型かも分らない。前にも云ったように中国婦人は凡べて小柄で童顔なのが多いから、夫人と云わず娘と云わず年齢を てるのはなかなかむずかしいが、此の令嬢などは若し其の髪を娘風に結って居なかったら、そうして目鼻立ちの或る部分にぼうっとしたあどけなさがなかったら、彫刻的な均斉を持った立派な容貌の為めに、実際よりはずっと大人に見られるかも知れない。先ず若くて十六七、取って居てもよもや十九にはならないだろうと私は想像した。

一週間ほど滞在する予定であったから、細かい名所旧蹟はいずれゆっくり見て廻る積りで、先ず大体の地勢を探るべく朝から を雇って湖畔をぐるりと一と周りした私は、くたびれ切って夕方の四時過ぎにホテルへ帰って来た。今夜は湖上で心ゆくばかり月夜の景色を眺めようと思って、昨夜のうちに画肪を頼んで置いたようなものの、あまりくたびれたせいか体を動かす勇気がない。又ぞろベランダの藤椅子に靠れながら暫くの間茫然と黄昏の湖山の風致に見惚れる。ゆうべは夜ではっきりと分らなかったけれど、ベランダの下は庭になって居て、蓮池の周囲に柳、椿、楓などが植わって居る。汀にささやかな六角の亭がある。亭の階段から の床の上に夥しい菊の鉢が列べてある。庭を って居る白壁の土塀には蔦が一面に絡み着いて居る。塀外の往来に群衆がうようよと寄って、人垣を作って居るので、何かと思ったら大道藝人が剣を振って居合い抜きのような事をやって居るらしい。水滸伝中に豪傑どもが町のまん中で棒を使ったり槍を振ったりする光景が描かれて居るのは、蓋しこう云う先生をモデルにしたのかも知れない。其処は延齢路の広い四つ辻で、そぞろ歩きの連中が可なり賑やかに往き来して居る。 の甘蔗を売り歩く商人なども交って居る。此の では甘蔗が駄菓子の役を勤めて居て、大人でも子供でも其れを買ってはガリガリと るのである。四つ辻の右の方は湖水に面する石垣で、岸辺の には数艘の画紡が繋がり、銀の鈴に赤い房を垂らした美しい轎が其の傍に五六台憩って居る。

町の向うの湖へ眼を転じると、夕日は今や呉山の後に として連なって居る慧日峰と秦望山との間に、睡い眼瞼た。きのう見る事の出来なかった雷峰塔は、呉山からものの一尺ばかり離れたあたりに、こんもりとした南屏山の きんでて聳えて居る。今から千年近くも前の遠い五代の世に建てられたと云う塔は、幾何学的の直線がぼろぼろに壊れて の頭のようになって居ながら、それでも煉瓦の色だけは未だ悉くは褪せてしまわずに、斜陽を浴びて一層あかあかと反射して居る。私は此処で図らずも西湖十景の一つに数えられて居る「雷峰夕照」を見たのである。塔より更に右へ寄った遥かな湖上の島影は、ゆうべ推察した通り三潭印月であった。島の東側の緑樹の間に白い物がちらちらするのは、恐らく退省庵の壁であろう。湖心亭のある小島は其れから又ずっと右の方の、私の眼界が限られるあたりのひろびろと拡がった湖の中央に、漫々たる波に包まれて捨てられた如く置かれて居るのである。ふと見ると、一艘の が、杭州城の清波門のほとりにある楊柳の影から、一直線に雷峰塔の下を目がけて漕いで行く。水の面があまり穏やかに船があまり小さいので、畳の上を一匹の蟻が這って行くようにも見える。直ぐ眼の前の亭子湾からも一艘の扁舟が仙楽園の岬の方へ漕ぎ出した様子である。その船にはたった一人の船頭が中央に腰をかけて、手と足とで二梃のを を動かしながら進んで行くらしい。いつの間にやら日は全く沈んでしまった。そうして、西の山の端の後の空は、暗くなるよりは寧ろ明るく、次第次第にの の色に燃え上って、遂には湖の半面が赤いインキを流したように染まって行った。

例の美人の姉妹たちは見物に出かけたきりまだ帰って来ないのだろう。今朝彼女たちが占領して居たベランダのテエブルには、荒い弁慶縞の羅紗の上衣をどてらのようにだぶだぶに着込んで居る太った西洋人の女が、独りぼつ と頬杖をついている。何の気なしに私が其の前を通りかかると、

「あなたは東京から来ましたか。」

と、突然日本語で話しかけた。

「いや、東京からではない、北京から来たんです。あなたは東京に居たことがあるのですか。」

「ええ、東京にも、大阪にも、コオビ(神戸)にも居ました。そして日本語を少し覚えました。」

きっと上海あたりから張りに来た淫売だろうと思ったので、

「どうです、あなた一人なら私と散歩に出かけませんか。」

こう云って誘いをかけると、

「いいえ、私一人ではありません。旦那と一緒に来て居るのです。」

と云う。旦那が一緒ではどうも仕方がない。 んどころなく此方も一人で、今夜も亦迎紫路の銭湯へ這入りに出かける。

* * *

夕食を済ませた後、ホテルの後の碼頭から画舫に乗って出たのは其の晩の九時頃であったろう。東岸に沿って湧金門から の方へ漕いで行かせながら、私は に座を占めて一点の曇りもない大空の月の光を満身に浴びて居た。いかに隈なく晴れ渡った宵であったかと云う事は、湖を取り巻いて居る四方の山々や、汀に近く女の洗い髪のように れて居る楊柳や、稀には岸辺の楼閣などまでが、一つ一つ其の影を水面に落して居たのでも大凡そ想像することが出来よう。嘗て潯陽江辺の の月を観た時に、雄大な盧山の山容が水にくっきりと映って居るのを眺めた覚えはあるけれど、今夜の月はあの時にも増して朗らかである上に、湖の広さも亦甘棠湖よりは遥かに大きい。水の面と云うものは其れでなくても斯う云う晩には実際よりひろびろと見えるものだが、船がだんだん陸を離れるにつれて私の行く手に湛えられている湖の水は腹が膨らがるように底の方から盛り上って来て、次第に岸を遠くの方へ追いやってしまうのである。ここでちょいと断って置きたいのは、西湖の風景が美しいのは主として其の湖水の面積が、洞庭湖や のような馬鹿馬鹿しい大きさでなく、一と目で見渡される範囲に於て蒼茫とした広さを持ち、優しい姿をした周囲の山や丘陵と極めて適当な調和を保って居る点にあるのだと思う。雄大だと思えば雄大のようにも見え、箱庭のようだと思えば箱庭のようにも見え、その間に入り江があり、長堤があり、 があり、鼓橋があって、変化はありながら一枚の絵を拡げた如く凡べてが同時に双の眸に這入って来るのが、此の湖の特長である。今夜にしても船が進むに随って、無限に大きく大きく開いて行くように覚えながらも陸は決して地平線の向うへは隠れてしまわない。が、その実岸辺の山だの森だのは、地平線より却ってずっと遠くにあるもののように感じられる。首を挙げて四方の陸をぐるりと眺め廻した後、今度はそろそろと眼を下の方に向けると、私の視野に這入るものはやがてただ一面の波ばかりになってしまって、何だか船が水の上を渡って居るのではなく、水の底に沈みつつあるような心地がする。もし人間がほんとうに斯う云うような心持で、静かに静かに船に揺られながら、うとうとと水の底へ沈んで行く事が出来たなら、溺れて死ぬのも苦しくはなかろうし、身を投げるのも悲しくはあるまい。おまけに此の湖の水は、月明りのせいもあろうけれど、さながら深い山奥の霊泉のように透き徹って居るので、鏡にも似た其の表面に船の影が倒まに映っていなかったら、殆ど何処から空気の世界になり何処から水の世界になるのだか区別が附かないほど、底の方まではっきりと見えて居るのである。 の浅い、草履のように薄っぺらな船の上に横たわって、水と空気との相触れる平面を滑らかに進んで行く私の体は、ただ濡れて居ないのが不思議なだけで、時には全く水の世界に潜入したと云ってもいいくらいである。舷に顔を出して底を視極めると、深さは う二三尺か四五尺よりない。林和靖が「 」と云ったのは思うに此の湖のことであろうが、「水清浅」の意味と美しさとは、こうしてこの底を眺める時に、始めて することが出来る。私は先、深山の霊泉のように透き徹って居ると云ったけれども、ただ其れだけでは、到底此の時の感じを云い現わすには物足りない。なぜかと云うのに、此処に湛えられて居る三四尺の深さの水は、霊泉の如く清洌なばかりでなく、一種異様な、例えばとろろのような重みのある滑かさと飴のような粘りとを持って居るからである。此の水の数滴を んで暫く空中に曝して置いたなら、冷ややかな月の光を受け留めて水晶の如く凝り固まってしまうだろう。私の船の櫓はそのねっとりとした重い水を、すらりすらりと切って進むのではなく、ぬらぬらと捏ね返すようにして操って行くのである。おりおり櫓が水面を離れると、水は青白く光りながら、一枚の のように其れへべったりと纏わり着く。水に繊維があると云ってはおかしいけれど、全く此の湖の水は、蜘蛛の糸よりも微かな、そうして妙に執拗な弾力のある繊維から成り立って居るようにも感じられる。兎に角にも綺麗に澄んだ水ではあるが、軽快ではなく寧ろ鈍重な気分を含んだ水なのである。そんな感じがするのは、一つには其の のような細かい藻草が密生して居て、柔かい の床の如く暗緑色の光沢を反射して居るせいでもあろう。実際其れは、非常に精巧な、驚くほど美しいつやと潤おいとを持った天鵞絨と云うより外に適当な言葉を知らない。そうして大空の月の女神は其の天鵞絨の地質を一層つやつやと光らせる為めに、無数の長い銀の糸で蛇のうねりの如き波紋を一面に縫い取って居るのである。こんな美しい織物が人間の世界にあったなら、東京に居る私の大好きな女優のK子の肌に着せてやりたいと思ったくらいだった。若し此の湖に仙女が居るならば、彼女の纏うべきマントの色は、必ず此の天鵞絨であるに違いない。底が余りに浅い為めに、どうかすると櫓は心なくも其の天鵞絨の面を掻き乱す。ぱっと砂埃が風に舞い上るように、濁った泥が円い輪を描いて煙の如く水中に浮かび上る。

柳浪聞鶯の前を通り過ぎた船は、今度は進路を西に取って湖の中心へ漕いで行った。左岸に黒くかたまって居る背の低い一とむらの林は、恐らく桑畑か何かであろう。右岸はと見ると、――船が私の知らぬ間にぐるりと方向を一転したので、何だか斯う、急に眼が廻るように周囲が濶然と打ち開け、宝石山の保叔塔が波に没しかかった帆柱のように、遥かな空にぼうっと淡く霞んで居る。その左の葛嶺の山の裾に、灯がちらちらと いて居るのは新々旅館だろう。此処から眺め渡した様子では、向う岸までは非常に遥かで、西湖は海の如くひろがって居る。しかし海にしては水面が穏やか過ぎて殆ど波らしいものは眼に止まらない。私の体が虫けらのような小さなもので、偉大な大理石の円盤の中に置かれて居るのかとも想像される。子供の時分に野原のまん中などで、眼を ってぐるぐる廻った後で又ぱっと眼を開くと、よくこんなひろびろとした、気が遠くなるような天地の大いさを感じた覚えがある。だが其れよりも尚不思議なのは、そんなに広々として居ながら、何処まで行っても水は依然として三尺の――或はせいぜい人間の胸のあたりまで漬かるくらいな深さしかない。西湖は湖ではなくて恐ろしく大きな池であるかの如くに、その時しみじみと感じられたのであった。巨人が箱庭を作るとしたら、きっと此の西湖のようなものが出来るに違いない。此の湖が此のように静かなのは、そうして其の面にあらゆる物象が鮮やかな影を印して居るのは、畢竟水底が斯くの如く浅い為めに波らしい波が立たない結果なのであろう。 の中にも山の影は映るように、たとい二三尺の深さでも水はやっぱり水である。正面に鬱蒼と く盛り上って居る孤山の翠嵐を始めとして、その左に低く長く、女性的な優雅な曲線を起伏させて居る天竺山、 、南高峯、北高峯の山々が、月の光に融けてしまいそうに朦朧と消えかかりながらも、猶その影を一つ一つ倒まに映して居る荘厳な姿に接した時、どうして此の湖の水底の浅さに考え及ぶ余裕があろう。

「おい、暫く此処で船を停めてくれ。」

ちょうど湖心亭から七八丁手前まで漕いで来た折に、私は不意に斯う云ったのである。船頭は何の訳やら分らずに操って居た櫓を置いて、 の方に腰をおろす。画舫は舵を失った捨て小舟も同然に、湖上に緩慢な を描きながら波のまにまに放ちやられて漂って居る。左舷に近く、雷峰塔の長い形が水に落ちて鰻の如くゆらゆらと れて居る。その外に動いて居る物は一つもない。若しあったとすれば、其れは塔の左側の高い空から少しずつ右の方へ移りつつあるまんまるな月の影であったろう。遥かな孤山の麓の、文瀾閣のあたりかと思われる方角で篝火を焚いて居るのが赤くちらちらと見える。じいッと耳を澄まして居ると、死んだような寂寞の底に、何処からともなく笛の音が微かに聞えて居る。……

私はふっと、 を垂れて水の面に眺め入った。どう云う加減か、あれ程はっきり透き徹って居た水底は、表面がガラスのように光っているのでもう見えなくなって居る。が、猶も一心に瞳を凝らして視詰めると、そよとの風も吹かないのに、恰も溜まり水が地震で揺れて居るような工合に、湖上にはちりめんの如き細かな波が極めて神経質にあたふたと打ち顫えて居るのであった。

私の船が再びゆるゆると動き出したのは、其れから三十分ばかり過ぎた時分であったろう。湖心亭と三潭印月との間を通り、 の小さな島を右に見て、湖を東西に中断して居る蘇堤の方へ漕ぎ寄せる。長い長い堤の上にはところどころに桑畑があり、その間を点綴する楊柳の並木が、びっしょりと濡れたようななまめかしい枝を繁らせて居る。蘇東坡が築いたと伝えられる所謂蘇堤の六橋のうち、左から数えて第一の映波橋と第二の鎖瀾橋とは樹陰に隠れて居るけれども、第三の望山橋と第四の圧堤橋とは私の船の行く手にあたって弓の如く って居るのである。

「おい、あの望山橋の下をくぐって向う側の湖水へ漕いで行ってくれ。」

へ行ったって何も見る物はありません。それに向う側は水が浅くって底の方に草が一杯生えて居るので、船を入れるには都合が悪いんです。」

船頭はちょいと当惑したような顔つきをする。

「都合が悪くっても構わない。まあ行けるところまで行って見てくれ。」

私がこう云って促すと、彼は不承不承に舳を望山橋の方角に向ける。

蔦かずらの絡み着いた古い石造の鼓橋が、円い弧の形を共のまま水面に映して居るので、船は完き の中を貫いて行くのである。橋の下を半ば潜り抜けたかと思う頃、俄かに船底がガサガサと騒々しい音を立て始める。成る程船頭が云った通り、其の辺には長い藻がどっさり繁茂して居て、風に揉まれる薄のようにゆらゆらと靡きながら、船の底を熊手で触るように荒々しく引っ掻いて居るのである。が、ものの十間も漕いで行くと藻はだんだん疎らになって水が又少し深くなったようであった。ちょうど其の時、私の船から五六尺離れた水中に何か白い物がふわふわして居るらしいので、側近く漕ぎ寄せて行くと、其処には一筒の女の屍骸が藻を蓐にして横たわって居た。仰向けに寝て居る顔の上にはガラスよりも薄いくらいな浅い水がひたひたと打ち寄せては居るもの、月の光は其れを して却って空気の中よりも明かに、若々しい屍骸の容貌に焦点を作って居るのである。女は昨日以来汽車の中で、清泰ホテルのベランダで、たびたび会った事のある美しい令嬢に紛れもない。両眼を閉じて、両手を胸の上に組んで、安らかに身を横えて居る様子から判断するのに、恐らくは覚悟の自殺であろう。それにしても其の表情に微塵も苦闘の痕を留めて居ないのは、どう云う死に方をしたのであろうか?ひょっとしたら死んだのではなく、すやすやと眠って居るのかと思われるほど、その顔は穏やかに且 々しく輝いて居る。私は舷から出来るだけ外へ半身を乗り出して、屍骸の首の上へ自分の顔を持って行った。彼女の高い鼻は殆ど水面と擦れ擦れになり、何だか息が私の襟元へ懸かるようにも感じられる。あまりに彫刻的で堅過ぎる憾みがあった其の輪郭は、濡れて って居る為めに却って人間らしい柔かみを持ち、黒味がかつて居るほど青かった血色さえも、垢を洗い落したように白く冴え返って居る。そうして、上衣の繻子の青磁色は、朗々とした月の光に其の青みを奪い取られて、 の鱗の如く銀色に光って居たのである。

ふと気が付くと、胸の上に載って居る彼女の左の手頸には、今朝も私の眼についたあの小さな金の腕時計が、十時三十一分を示しつつ未だに生きて時を刻んで居た。そのささやかな微かな針のチョキチョキと動いて行くのが、水の中に やかに見えたくらいだから、どんなに晴れ渡った月夜であったかは読者にも想像が出来るであろう。……

* * *

其の夜のうちに掬い上げられた彼女の屍骸は、明くる日の朝取り敢えず清泰ホテルの一室に安置せられた。彼女は名前を と云って、上海のミッション・スクールを卒業した今年十八になる少女であった。兄と嫂の話に依ると、小姐は近頃不幸にも肺結核に感染したので、保養かたがた宝石山の肺病院へ入院する為めに、二人に連れられて杭州へ来たのだそうである。が、気の弱い彼女は、恐らく不治の難病にかかったものとあきらめて、此の世を なんだのでもあろう。ゆうべ密かに二人の目を偸んで阿片を嚥んだ上に、望山橋のほとりから毒に痺れた体を清い水底へ沈めたのだそうな。

私は其の話を聞いて、図らずも彼女と同じく此の湖の畔でみまかった六朝の名妓蘇小々の事を想い出した。蘇の墓は今もなお西冷橋の にあって、墓を蔽って居る慕才亭の四本の石の柱には、薄命の佳人を悼むさまざまな詩の文句が、次のように刻まれて居るのである。

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