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第一の手記

はじ おお しょう がい おく って ました。

ぶん には、 人間 にんげん 生活 せいかつ というものが、 見当 けんとう つかない [1] のです。 ぶん 東北 とうほく 田舎 いなか うま れましたので、 しゃ をはじめて たのは、よほど おお きくなってからでした。 ぶん てい しゃ じょう のブリッジを、 のぼ って、 りて、そうしてそれが せん をまたぎ えるために つく られたものだという こと には 全然 ぜんぜん づかず、ただそれは てい しゃ じょう 構内 こうない 外国 がいこく ゆう みたいに、 複雑 ふくざつ たの しく、ハイカラ [2] にするためにのみ、 せつ せられてあるものだとばかり おも っていました。しかも、かなり なが あいだ そう おも っていたのです。ブリッジの のぼ ったり りたりは、 ぶん にはむしろ、ずいぶん あか [3] のした ゆう で、それは 鉄道 てつどう のサーヴィスの なか でも、 もっと のきいたサーヴィスの ひと つだと おも っていたのですが、のちにそれはただ りょ かく せん をまたぎ えるための すこぶ じつ てき 階段 かいだん ぎないのを 発見 はっけん して、にわかに きょう めました。

また、 ぶん ども ころ ほん 鉄道 てつどう というものを て、これもやはり、 じつ てき 必要 ひつよう から あん しゅつ せられたものではなく、 じょう くるま るよりは、 くるま ったほうが ふう がわり [4] おも しろ あそ びだから、とばかり おも っていました。

ぶん ども ころ から 病弱 びょうじゃく で、よく みましたが、 ながら、 しき まくら のカヴァ、 かけ とん のカヴァを、つくづく、つまらない 装飾 そうしょく だと おも い、それが 案外 あんがい 実用品 じつようひん だった こと を、 ちかくになってわかって、 人間 にんげん のつましさに 暗然 あんぜん とし、 かな しい おも いをしました。

また、 ぶん は、 空腹 くうふく という こと りませんでした。いや、それは、 ぶん しょく じゅう こま らない いえ そだ ったという ではなく、そんな 鹿 ではなく、 ぶん には「 空腹 くうふく 」という 感覚 かんかく はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな いかたですが、おなかが いていても、 ぶん でそれに がつかないのです。 がっ こう ちゅう がっ こう ぶん 学校 がっこう から かえ って ると、 しゅう ひと たちが、それ、おなかが いたろう、 ぶん たちにも おぼ えがある、 学校 がっこう から かえ って とき 空腹 くうふく まった くひどいからな、 あま なっ とう はどう?カステラも、パンもあるよ、などと って さわ ぎますので、 ぶん まえ [5] のおべっか 精神 せいしん はっ して、おなかが いた、と つぶや いて、 あま なっ とう じゅっ つぶ ばかり くち にほうり むのですが、 空腹感 くうふくかん とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

ぶん だって、それは 勿論 もちろん おお いにものを べますが、しかし、 空腹感 くうふくかん から、ものを べた おく は、ほとんどありません。めずらしいと おも われたものを べます。 ごう おも われたものを べます。また、よそへ って されたものも、 をしてまで、たいてい べます。そうして、 ども ころ ぶん にとって、 もっと つう こく は、 じつ に、 ぶん うち しょく かん でした。

ぶん 田舎 いなか うち では、 じゅう にん くらいの ぞく ぜん 、めいめいのお ぜん [6] れつ むか わせに なら べて、 すえ ぶん は、もちろん いち ばん しも でしたが、その しょく うす ぐら く、 ひる ごはんの とき など、 じゅう いく にん ぞく が、ただ もく もく としてめしを っている 有様 ありさま には、 ぶん はいつも はだ さむ [7] おも いをしました。それに 田舎 いなか むかし 気質 かたぎ うち でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、 ごう なもの、そんなものは のぞ むべくもなかったので、いよいよ ぶん しょく こく きょう しました。 ぶん はその うす ぐら まっ せき に、 さむ さにがたがた ふる える おも いで くち にごはんを 少量 しょうりょう ずつ はこ び、 み、 にん げん は、どうして いち にち さん さん ごはんを べるのだろう、 じつ にみな 厳粛 げんしゅく かお をして べている、これも 一種 いっしゅ しき のようなもので、 ぞく さん さん こく をきめて うす ぐら ひと あつ まり、お ぜん じゅん じょ ただ しく なら べ、 べたくなくても ごん でごはんを かみ ながら、うつむき、 うち じゅう にうごめいている れい たちに いの るためのものかも れない、とさえ かんが えた こと があるくらいでした。

めしを べなければ ぬ、という こと は、 ぶん みみ には、ただイヤなおどかしとしか きこ えませんでした。その 迷信 めいしん は、(いまでも ぶん には、 なん だか 迷信 めいしん のように おも われてならないのですが)しかし、いつも ぶん あん きょう あた えました。 にん げん は、めしを べなければ ぬから、そのために はたら いて、めしを べなければならぬ、という こと ほど ぶん にとって 難解 なんかい 晦渋 かいじゅう で、そうして 脅迫 きょうはく めいた ひび きを かん じさせる こと は、 かったのです。

つまり ぶん には、 人間 にんげん いとな みというものが いま だに なに もわかっていない、という こと になりそうです。 ぶん 幸福 こうふく 観念 かんねん と、 のすべての ひと たちの 幸福 こうふく 観念 かんねん とが、まるで いちがっているような あん ぶん はその あん のために よな よな 転輾 てんてん し、 呻吟 しんぎん し、 はっ きょう しかけた こと さえあります。 ぶん は、いったい 幸福 こうふく なのでしょうか。 ぶん ちい さい とき から、 じつ にしばしば、 あわ もの だと ひと われて ましたが、 ぶん ではいつも ごく おも いで、かえって、 ぶん あわ もの だと ったひとたちのほうが、 かく にも なに もならぬくらいずっとずっと 安楽 あんらく なように ぶん には えるのです。

ぶん には、 わざわ いのかたまりが じゅっ あって、その なか いっ でも、 隣人 りんじん ったら、その いっ だけでも 充分 じゅうぶん 隣人 りんじん 生命 いのち りになるのではあるまいかと、 おも った こと さえありました。

つまり、わからないのです。 隣人 りんじん くる しみの てい が、まるで 見当 けんとう つかないのです。プラクテカル [8] くる しみ、ただ、めしを えたらそれで 解決 かいけつ できる くる しみ、しかし、それこそ もっと つよ つう で、 ぶん れい じゅっ わざわ いなど、 んでしまう ほど の、 凄惨 せいさん ごく [9] なのかも れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく さつ もせず、 発狂 はっきょう もせず、 政党 せいとう ろん じ、 絶望 ぜつぼう せず、 くっ せず 生活 せいかつ のたたかいを つづ けて ける、 くる しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを 当然 とうぜん こと 確信 かくしん し、いちども ぶん うたが った こと いんじゃないか? それなら、 らく だ、しかし、 人間 にんげん というものは、 みんな そんなもので、またそれで 満点 まんてん なのではないかしら、わからない、…… よる はぐっすり ねむ り、 あさ 爽快 そうかい なのかしら、どんな ゆめ ているのだろう、 みち ある きながら なに かんが えているのだろう、 かね ?まさか、それだけでも いだろう、 人間 にんげん は、めしを うために きているのだ、という せつ いた こと があるような がするけれども、 かね のために きている、という こと は、 みみ にした こと い、いや、しかし、ことに ると、……いや、それもわからない、… かんが えれば かんが えるほど、 ぶん には、わからなくなり、 ぶん ひとり まった かわ っているような、 あん きょう おそ われるばかりなのです。 ぶん りん じん と、ほとんど かい ません。 なに を、どう ったらいいのか、わからないのです。

そこで かんが したのは、 どう でした。

それは、 ぶん の、 人間 にんげん たい する さい 求愛 きゅうあい でした。 ぶん は、 人間 にんげん きょく おそ れていながら、それでいて、 人間 にんげん を、どうしても おも れなかったらしいのです。そうして ぶん は、この どう 一線 いっせん でわずかに 人間 にんげん につながる こと たのでした。おもてでは、 えず がお をつくりながらも、 内心 ないしん 必死 ひっし の、それこそ せん ばん 一番 いちばん [10] とでもいうべき 危機 きき 一髪 いっぱつ の、 あぶら あせ なが してのサーヴィスでした。

ぶん ども ころ から、 ぶん ぞく もの たちに たい してさえ、 かれ がどんなに くる しく、またどんな こと かんが えて きているのか、まるでちっとも 見当 けんとう つかず、ただおそろしく、その まずさに える こと ず、 すで どう じょう になっていました。つまり、 ぶん は、いつのまにやら、 一言 ひとこと 本当 ほんとう こと わない になっていたのです。

その ころ の、 ぞく たちと いっ しょ にうつした しゃ しん などを ると、 ほか もの たちは みな まじめな かお をしているのに、 ぶん ひとり、 かなら みょう かお をゆがめて わら っているのです。これもまた、 ぶん おさな かな しい どう 一種 いっしゅ でした。

また ぶん は、 肉親 にくしん たちに なに われて、 くち ごたえ した こと はいちども りませんでした。そのわずかなおこごと [11] は、 ぶん には 霹靂 へきれき ごと つよ かん ぜられ、 くる うみたいになり、 口応 くちごた えどころか、そのおこごとこそ、 わば 万世一系 ばんせいいっけい 人間 にんげん の「 しん 」とかいうものに ちが いない、 ぶん にはその しん おこな ちから いのだから、もはや 人間 にんげん 一緒 いっしょ めないのではないかしら、と おも んでしまうのでした。だから ぶん には、 あらそ いも 弁解 べんかい ないのでした。 ひと から わる われると、いかにも、もっとも、 ぶん がひどい おも ちが いをしているような がして て、いつもその 攻撃 こうげき だま して け、 内心 ないしん くる うほどの きょう かん じました。

それは だれ でも、 ひと から なん せられたり、 おこ られたりしていい もち がするものでは いかも れませんが、 ぶん おこ っている 人間 にんげん かお に、 よりも わに よりも りゅう よりも、もっとおそろしい 動物 どうぶつ 本性 ほんしょう るのです。ふだんは、その 本性 ほんしょう をかくしているようですけれども、 なに かの かい に、たとえば、 うし 草原 そうげん でおっとりした かたち ていて、 とつ じょ 尻尾 しっぽ でピシッと はら あぶ ころ すみたいに、 人間 にんげん のおそろしい 正体 しょうたい を、 いか りに って ばく する よう て、 ぶん はいつも かみ さか つほどの 戦慄 せんりつ おぼ え、この 本性 ほんしょう もまた 人間 にんげん きて かく ひと つなのかも れないと おも えば、ほとんど ぶん ぜつ ぼう かん じるのでした。

人間 にんげん たい して、いつも きょう ふる いおののき、また、 人間 にんげん としての ぶん 言動 げんどう に、みじんも [12] しん てず、そうして ぶん ひとりの 懊悩 おうのう むね なか ばこ め、その 憂鬱 ゆううつ 、ナアヴァスネスを、ひたかくしに かく して、ひたすら じゃ 楽天 らくてん せい よそお い、 ぶん はお どう たお 変人 へんじん として、 だい 完成 かんせい されて きました。

なん でもいいから、 わら わせておればいいのだ、そうすると、 人間 にんげん たちは、 ぶん かれ 所謂 いわゆる 生活 せいかつ 」の そと にいても、あまりそれを にしないのではないかしら、とにかく、 かれ 人間 にんげん たちの ざわ りになってはいけない、 ぶん だ、 かぜ だ、 そら だ、というような おも いばかりが つの り、 ぶん はお どう って ぞく わら わせ、また、 ぞく よりも、もっと かい でおそろしい なん じょ にまで、 必死 ひっし のお どう のサーヴィスをしたのです。

ぶん なつ に、 浴衣 ゆかた した あか いと のセエターを ろう ある き、 うち じゅう もの わら わせました。めったに わら わない ちょう けい も、それを し、「それあ、 よう ちゃん、 わない」と、 わい くてたまらないような 調 ちょう いました。なに、 ぶん だって、 なつ いと のセエターを ある くほど、いくら なん でも、そんな、 あつ さむ さを らぬお 変人 へんじん ではありません。 あね 脚絆 レギンス りょう うで にはめて、 かた そで ぐち から のぞ かせ、 ってセエターを ているように せかけていたのです。

ぶん ちち は、 東京 とうきょう よう おお いひとでしたので、 うえ さくら ちょう 別荘 べっそう っていて、 つき 大半 たいはん 東京 とうきょう のその 別荘 べっそう らしていました。そうして かえ るときには ぞく もの たち、また 親戚 しんせき もの たちにまで、 じつ におびただしくお 土産 みやげ って るのが、まあ、 ちち しゅ みたいなものでした。

いつかの ちち 上京 じょうきょう ぜん ちち ども たちを 客間 きゃくま あつ め、こんど かえ とき には、どんなお 土産 みやげ がいいか、 一人 ひとり 々々 ひとり わら いながら たず ね、それに たい する ども たちの こたえ をいちいち ちょう きとめるのでした。 ちち が、こんなに ども たちと した しくするのは、めずらしい こと でした。

よう ぞう は?」

かれて、 ぶん は、 くち ごもってしまいました。

なに しいと かれると、とたんに、 なに しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ ぶん たの しくさせてくれるものなんか いんだという おも いが、ちらと うご くのです。と、 どう に、 ひと から あた えられるものを、どんなに ぶん この みに わなくても、それを こば こと ませんでした。イヤな こと を、イヤと えず、また、 きな こと も、おずおず [13] ぬす むように、 きわ めてにがく あじ わい、そうして れぬ きょう かん にもだえるのでした。つまり、 ぶん には、 しゃ せん いつ ちから さえ かったのです。これが、 後年 こうねん いた り、いよいよ ぶん 所謂 いわゆる はじ おお 生涯 しょうがい 」の、 じゅう だい 原因 げんいん ともなる 性癖 せいへき ひと つだったように おも われます。

ぶん だま って、もじもじしているので、 ちち はちょっと げん かお になり、

「やはり、 ほん か。 浅草 あさくさ 仲店 なかみせ にお しょう がつ いのお ども がかぶって あそ ぶのには ごろ おお きさのが っていたけど、 しくないか」

しくないか、と われると、もうダメなんです。お どう へん なに やしないんです。お どう やく しゃ は、 完全 かんぜん 落第 らくだい でした。

ほん が、いいでしょう」

ちょう けい は、まじめな かお をして いました。

「そうか」

ちち は、 きょう [14] がお ちょう きとめもせず、パチと ちょう じました。

なん という 失敗 しっぱい ぶん ちち おこ らせた、 ちち ふく しゅう は、きっと、おそるべきものに ちが いない、いまのうちに なん とかして りかえしのつかぬものか、とその よる とん なか でがたがた ふる えながら かんが え、そっと きて きゃく き、 ちち 先刻 さっき ちょう をしまい んだ はず つくえ しをあけて、 ちょう げ、パラパラめくって、お 土産 みやげ 注文 ちゅうもん にゅう しょ つけ、 ちょう 鉛筆 えんぴつ をなめて、シシマイ、と いて ました。 ぶん はその いのお を、ちっとも しくは かったのです。かえって、 ほん のほうがいいくらいでした。けれども、 ぶん は、 ちち がそのお ぶん って あた えたいのだという こと がつき、 ちち のその こう げい ごう して、 ちち げん なお したいばかりに、 しん きゃく しの むという 冒険 ぼうけん を、 えておかしたのでした。

そうして、この ぶん じょう しゅ だん は、 はた して おも いどおりの だい 成功 せいこう もっ むく いられました。やがて、 ちち とう きょう から かえ って て、 はは 大声 おおごえ っているのを、 ぶん ども いていました。

仲店 なかみせ のおもちゃ で、この ちょう ひら いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と いてある。これは、 わたし ではない。はてな? と くび をかしげて、 おも あた りました。これは、 よう ぞう のいたずらですよ。あいつは、 わたし いた とき には、にやにやして だま っていたが、あとで、どうしてもお しくてたまらなくなったんだね。 なん せ、どうも、あれは、 かわ った ぼう ですからね。 らん りして、ちゃんと いている。そんなに しかったのなら、そう えばよいのに。 わたし は、おもちゃ 店先 みせさき わら いましたよ。 よう ぞう はや くここへ びなさい」

また 一方 いっぽう ぶん は、 なん じょ たちを 洋室 ようしつ あつ めて、 なん のひとりに ちゃ ちゃ にピアノのキイをたたかせ、( 田舎 いなか ではありましたが、その いえ には、たいていのものが、そろっていました) ぶん はその たら きょく わせて、インデヤンの おど りを おど って せて、 みな おお わら いさせました。 けい は、フラッシュを いて、 ぶん のインデヤン おど りを 撮影 さつえい して、その しゃ しん たのを ると、 ぶん こし ぬの (それは さら [15] しき でした)の あわ から、 ちい さいおチンポが えていたので、これがまた うち じゅう おお わら いでした。 ぶん にとって、これまた がい 成功 せいこう というべきものだったかも れません。

ぶん 毎月 まいつき 新刊 しんかん 少年 しょうねん 雑誌 ざっし じゅっ さつ じょう も、とっていて、またその ほか にも、さまざまの ほん とう きょう から せて だま って んでいましたので、メチャラクチャラ 博士 はかせ だの、また、ナンジャモンジャ 博士 はかせ などとは、たいへんな 馴染 なじみ で、また、 怪談 かいだん 講談 こうだん らく ばなし などの たぐい にも、かなり つう じていましたから、 ひょう きん こと をまじめな かお をして って、 うち もの たちを わら わせるのには こと きませんでした。

しかし、 学校 がっこう

ぶん は、そこでは、 尊敬 そんけい されかけていたのです。 尊敬 そんけい されるという 観念 かんねん もまた、 はなはだ ぶん を、おびえさせました。ほとんど 完全 かんぜん ちか ひと をだまして、そうして、 るひとりの ぜん ぜん のう もの やぶ られ、 みじんにやられて、 ぬる じょう あか はじ をかかせられる、それが、「 尊敬 そんけい される」という じょう たい ぶん てい でありました。 人間 にんげん をだまして、「 尊敬 そんけい され」ても、 だれ かひとりが っている、そうして、 人間 にんげん たちも、やがて、そのひとりから おし えられて、だまされた こと づいた とき 、その とき 人間 にんげん たちの いか り、 ふく しゅう は、いったい、まあ、どんなでしょうか。 そう ぞう してさえ、 がよだつ 心地 ここち がするのです。

ぶん は、 かね ちの いえ まれたという こと よりも、 ぞく にいう「できる」 こと って、 学校 がっこう じゅう 尊敬 そんけい そうになりました。 ぶん は、 ども ころ から 病弱 びょうじゃく で、よく ひと つき ふた つき、また いち 学年 がくねん ちかくも んで 学校 がっこう やす んだ こと さえあったのですが、それでも、 がり [16] のからだで じん りき しゃ って 学校 がっこう き、 学年末 がくねんまつ けん けてみると、クラスの だれ よりも 所謂 いわゆる 「できて」いるようでした。からだ あい のよい とき でも、 ぶん は、さっぱり 勉強 べんきょう せず、 学校 がっこう っても じゅ ぎょう かん まん などを き、 休憩 きゅうけい かん にはそれをクラスの もの たちに 説明 せつめい して かせて、 わら わせてやりました。また、 つづ かた [17] には、 滑稽噺 こっけいばなし ばかり き、 先生 せんせい から ちゅう されても、しかし、 ぶん は、やめませんでした。 先生 せんせい は、 じつ はこっそり ぶん のその 滑稽噺 こっけいばなし たの しみにしている こと ぶん は、 っていたからでした。 ぶん は、れいに って、 ぶん はは れられて 上京 じょうきょう ちゅう しゃ で、おしっこを きゃく しゃ つう にある 痰壺 たんつぼ にしてしまった しっ ぱい だん (しかし、その 上京 じょうきょう とき に、 ぶん 痰壺 たんつぼ らずにしたのではありませんでした。 ども じゃ をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに かな しそうな 筆致 ひっち えが いて てい しゅつ し、 先生 せんせい は、きっと わら うという しん がありましたので、 しょく いん しつ げて 先生 せんせい のあとを、そっとつけて きましたら、 先生 せんせい は、 きょう しつ るとすぐ、 ぶん のその つづ かた を、 ほか のクラスの もの たちの つづ かた なか から えら し、 ろう ある きながら みはじめて、クスクス わら い、やがて しょく いん しつ はい って えたのか、 かお まっ にして 大声 おおごえ げて わら い、 ほか 先生 せんせい に、さっそくそれを ませているのを とどけ、 ぶん は、たいへん まん ぞく でした。

ちゃ [18]

ぶん は、 所謂 いわゆる ちゃ にみられる こと 成功 せいこう しました。 尊敬 そんけい される こと から、のがれる こと 成功 せいこう しました。 つう しん 簿 ぜん 学科 がっか とも じゅっ てん でしたが、 操行 そうこう というものだけは、 なな てん だったり、 ろく てん だったりして、それもまた うち じゅう おお わら いの たね でした。

けれども ぶん 本性 ほんしょう は、そんなお ちゃ さんなどとは、 およ 対蹠 たいせき てき [19] なものでした。その ころ すで ぶん は、 じょ ちゅう なん から、 かな しい こと おし えられ、 おか されていました。 よう しょう もの たい して、そのような こと おこな うのは、 人間 にんげん おこな 犯罪 はんざい なか もっと しゅう あく とう で、 残酷 ざんこく 犯罪 はんざい だと、 ぶん はいまでは おも っています。しかし、 ぶん は、 しの びました。これでまた一つ、 人間 にんげん 特質 とくしつ たというような もち さえして、そうして、 ちから わら っていました。もし ぶん に、 本当 ほんとう こと 習慣 しゅうかん がついていたなら、 わる びれず、 かれ らの 犯罪 はんざい ちち はは うった える こと たのかも れませんが、しかし、 ぶん は、その ちち はは をも ぜん かい する こと なかったのです。 人間 にんげん うった える、 ぶん は、その しゅ だん には すこ しも たい できませんでした。 ちち うった えても、 はは うった えても、お まわ りに うった えても、 せい うった えても、 結局 けっきょく わた りに つよ ひと の、 けん とお りのいい いぶんに いまく [20] られるだけの こと では いかしら。

かなら かた おち [21] のあるのが、わかり っている、 しょ せん 人間 にんげん うった えるのは である、 ぶん はやはり、 本当 ほんとう こと なに わず、 しの んで、そうしてお どう をつづけているより ほか もち なのでした。

なんだ、 人間 にんげん への しん っているのか?へえ?お まえ はいつクリスチャンになったんだい、と 嘲笑 ちょうしょう する ひと ある いはあるかも れませんが、しかし、 人間 にんげん への しん は、 かなら ずしもすぐに 宗教 しゅうきょう みち つう じているとは かぎ らないと、 ぶん には おも われるのですけど。 げん にその 嘲笑 ちょうしょう する ひと をも ふく めて、 人間 にんげん は、お たが いの しん なか で、エホバも なに 念頭 ねんとう かず、 へい きているではありませんか。やはり、 ぶん 幼少 ようしょう ころ こと でありましたが、 ちち ぞく していた 政党 せいとう 有名人 ゆうめいじん が、この まち 演説 えんぜつ て、 ぶん なん たちに れられて げき じょう きに きました。 演説 えんぜつ で、そうして、この まち とく ちち した しくしている ひと たちの かお みな えて、 おお いに はく しゅ などしていました。 演説 えんぜつ がすんで、 ちょう しゅう ゆき みち さん さん かたまって いえ につき、クソミソに こん 演説 えんぜつ かい 悪口 わるぐち っているのでした。 なか には、 ちち とく した しい ひと こえ もまじっていました。 ちち 開会 かいかい 、れいの 有名人 ゆうめいじん 演説 えんぜつ なに なに やら、わけがわからぬ、とその 所謂 いわゆる ちち の「 どう たち」が せい 調 ちょう っているのです。そうしてそのひとたちは、 ぶん いえ って きゃく のぼ み、 こん 演説 えんぜつ かい だい 成功 せいこう だったと、しんから うれ しそうな かお をして ちち っていました。 なん たちまで、 こん 演説 えんぜつ かい はどうだったと はは かれ、とても 面白 おもしろ かった、と ってけろり [22] としているのです。 演説 えんぜつ かい ほど 面白 おもしろ くないものはない、と かえ 途々 みちみち なん たちが なげ っていたのです。

しかし、こんなのは、ほんのささやかな 一例 いちれい ぎません。 たが いにあざむき って、しかもいずれも なん きず もつかず、あざむき っている こと にさえ がついていないみたいな、 じつ にあざやかな、それこそ きよ あか るくほがらかな しん れい が、 人間 にんげん 生活 せいかつ 充満 じゅうまん しているように おも われます。けれども、 ぶん には、あざむき っているという こと には、さして [23] 特別 とくべつ きょう もありません。 ぶん だって、お どう って、 あさ から ばん まで 人間 にんげん をあざむいているのです。 ぶん は、 しゅう しん 教科書 きょうかしょ てき せい とか なん とかいう 道徳 どうとく には、あまり 関心 かんしん てないのです。 ぶん には、あざむき っていながら、 きよ あか るく ほが らかに きている、 ある いは しん っているみたいな にん げん なん かい なのです。 人間 にんげん は、ついに ぶん にその みょう てい おし えてはくれませんでした。それさえわかったら、 ぶん は、 人間 にんげん をこんなに きょう し、また、 ひっ のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。 人間 にんげん 生活 せいかつ 対立 たいりつ してしまって、 よな よな ごく のこれほどの くる しみを めずにすんだのでしょう。つまり、 ぶん なん じょ たちの にく むべきあの 犯罪 はんざい をさえ、 だれ にも うった えなかったのは、 人間 にんげん への しん からではなく、また 勿論 もちろん クリスト しゅ のためでもなく、 人間 にんげん が、 よう ぞう という ぶん たい して 信用 しんよう から かた じていたからだったと おも います。 でさえ、 ぶん にとって 難解 なんかい なものを、 時折 ときおり せる こと があったのですから。

そうして、その、 だれ にも うった えない、 ぶん どく にお いが、 おお くの じょ せい に、 本能 ほんのう って てられ、 後年 こうねん さまざま、 ぶん がつけ まれる ゆう いん ひと つになったような もするのです。

つまり、 ぶん は、 じょ せい にとって、 こい みつ まも れる おとこ であったというわけなのでした。

[1] 見当 けんとう つかない:没有目标,没有头绪

[2] ハイカラ 【名·形2】:时髦(的人),洋气(的人)

[3] あか 【名】:不土气;俏皮

[4] ふう がわり 【名·形2】:与众不同;古怪

[5] まえ 【名】:天性,秉性;天生

[6] ぜん 【名】:食案,小饭桌

[7] はだ さむ 【形1】:凉飕飕的,有凉意的

[8] プラクテカル(プラクティカル) 【形2】:实际上的,应用的

[9] ごく 【名】:出自梵语,八大地狱之一,也称“无间地狱”

[10] せん ばん いち ばん い:尝试一千次也未必成功一次的程度,形容极其困难

[11] こごと 【名·动3】:申诉;责备;怨言

[12] みじんも 【副】:一点儿也……,丝毫也……

[13] おずおず 【副】:胆怯;害怕

[14] きょう ざめ 【形2】:扫兴,败兴,兴致全无

[15] さら 【名】:印花的布

[16] がり 【名】:病后,病好(的人)

[17] つづ がた 【名】:作文,造句

[18] ちゃ 【名·形2】:爱开玩笑(的人);恶作剧(的人)

[19] たい せき てき 【形2】:正相反的

[20] いまくる 【动1】:驳倒,反驳;大谈特谈,大说一通

[21] かた 【名·形2】:不公平,偏向

[22] けろり 【副】:若无其事;漫不经心

[23] さして 【副】:并(不)…… /9wbK+dRvV1TPV/25nm09hmvOCPj7VAAqyUXu+fUialDLvFIYG6vRd+6vl2zV6BY

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