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促织
促織

蒲松齢
田中貢太郎訳

明(みん)の宣宗(せんそう)の宣徳年間には、宮中で促織(こおろぎ)あわせの遊戯を盛んにやったので、毎年民間から献上さしたが、この促繊は故(もと)は西の方の国にはいないものであった。

華陰(かいん)の令をしている者があって、それが上官に媚(こ)びようと思って一疋(ぴき)の促織を献上した。そこで、試みに闘わしてみると面白いので、いつも催促して献上さした。令はそこでそれをまた里正(りせい)に催促して献上さした。市中の游侠児(あそびにん)は佳(よ)い促織を獲ると篭(かご)に入れて飼い、値をせりあげて金をもうけた。邑宰(むらやくにん)はずるいので、促織の催促に名を仮(か)って村の戸数に割りあてて金を取りたてた。で、一疋の促織を催促するたびに、三、四軒の家の財産がなくなった。

ある村に成(せい)という者があった。子供に学芸を教える役であったが、長いこと教わりに来る者がなかった。その成は生れつきまわりくどいかざりけのない男であったが、ずるい邑宰の申したてによって里正の役にあてられた。成は困っていろいろと工夫して、その役から逃れようとしたが逃れることができなかった。それがために一年たらずですくなかった財産がなくなってしまった。ちょうどその時促織の催促があった。成はおしきって村の家家から金を取りたてもしなければ、それかといって自分で賠償金を出すこともできなかった。成は困りぬいて死のうとした。細君がいった。

「死んで何の益があります。自分でいって捜すがいいじゃありませんか。万一見つからないとも限りませんよ。」

成はなるほどと思って、竹筒と糸の篭を持って朝早く出かけていって日が暮れるまで捜した。塀(へい)の崩(くず)れた処や草原へいって、石の下を探り、穴を掘りかえして、ありとあらゆることをしてやっと二、三疋の促織を捕えたが、皆貧弱なつまらない虫であるから条件にかなわなかった。邑宰は先例に従って厳重に期限を定めて督促した。成はその期限を十日あまりも遅らしたので、その罰で百杖敲(たた)かれて、両股の間が膿(う)みただれ、もういって虫を捉えることもできなくなった。 fa5KC6ruQGHADBvP5ECc6SpgbGVm2SbCce7lDpIeE16Jq7ehJ46IrJpPLD9VwTbQ

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