王子服(おうしふく)はの羅店(らてん)の人であった。早くから父親を失っていたが、はなはだ聡明で十四で学校に入った。母親がひどく可愛がって、ふだんには郊外へ遊びにゆくようなこともさせなかった。蕭(しょう)という姓の家から女(むすめ)をもらって結婚させることにしてあったが、まだ嫁入って来ないうちに没(な)くなったので、代りに細君となるべき女を探していたが、まだ纏(まと)まっていなかった。
そのうちに上元(じょうげん)の節となった。母方の従兄弟(いとこ)に呉(ご)という者があって、それが迎いに来たので一緒に遊びに出て、村はずれまでいった時、呉の家の僕(げなん)が呉を呼びに来て伴(つ)れていった。王は野に出て遊んでいる女の多いのを見て、興にまかせて独りで遊び歩いた。
一人の女(むすめ)が婢(じょちゅう)を伴(つ)れて、枝に着いた梅の花をいじりながら歩いていた。それは珍らしい佳(い)い容色(きりょう)で、その笑うさまは手に掬(すく)ってとりたいほどであった。王はじっと見詰めて、相手から厭(いや)がられるということも忘れていた。女は二足三足ゆき過ぎてから婢を振りかえって、
「この人の眼は、ぎょろぎょろしてて、盗賊(どろぼう)みたいね。」
といって、花を地べたに打っちゃり、笑いながらいってしまった。王はその花を拾ったが悲しくて泣きたいような気になって立っていた。そして魂のぬけた人のようになって怏怏(おうおう)として帰ったが、家へ帰ると花を枕の底にしまって、うつぶしになって寝たきりものもいわなければ食事もしなかった。
母親は心配して祈祷(きとう)したりまじないをしたりしたが、王の容態はますます悪くなるばかりで、体もげっそり瘠(や)せてしまった。医師が診察して薬を飲まして病気を外に発散させると、ぼんやりとして物に迷ったようになった。母親はその理由(わけ)を聞こうと思って、
「お前、どうしたの。お母さんには遠慮がいらないから、いってごらんよ。お前の良いようにしてあげるから。」
といって優しく訊(き)いても黙って返事をしなかった。そこへ呉が遊びに来た。母親は呉に悴(せがれ)の秘密をそっと聞いてくれと頼んだ。そこで呉は王の室へ入っていった。王は呉が寝台の前に来ると涙を流した。呉は寝台に寄り添うて慰めながら、
「君は何か苦しいことがあるようだが、僕にだけいってくれたまえ。力になるよ。」
といって訊いた。王はそこで、
「君と散歩に出た日にね。」
というようなことを前おきにして、精(くわ)しく事実を話して、
「どうか心配してくれたまえ。」
といった。呉は笑って、
「君も馬鹿だなあ、そんなことはなんでもないじゃないか。僕が代って探してみよう。野を歩いている女だから、きっと家柄の女じゃないよ。もし、まだ許嫁(いいなづけ)がなかったなら、なんでもないし、許嫁があるにしても、たくさん賄賂をつかえば、はかりごとは遂(と)げられるよ。まァそれよりか病気をなおしたまえ、この事は僕がきっと良いようにして見せるから。」
といった。王はこれを聞くと口を開けて笑った。
呉はそこで王の室を出て母親に知らせた。母親は呉と相談して女の居所を探したが、名もわからなければ家もわからないので、その年恰好の容色の佳い女のいそうな家を聞きあわして、それからそれと索(さが)してもどうしても解らなかった。母親はそれを心配したがどうすることもできなかった。
そして王の方は、呉が帰ってから顔色が晴ばれとして来て、食事もやっとできるようになった。
二、三日して呉が再び来た。王は待ちかねていたのですぐ問うた。
「君、あの事はどうだったかね。」
呉はほんとうの事がいえないので、でたらめをいった。
「よかったよ。僕はまただれかと思ったら、僕の姑(おば)の女(むすめ)さ、すなわち君の従妹じゃないか。ちょうどもらい手を探していたところだよ。身内で結婚する嫌いはあるが、わけをいえば纏(まと)まらないことはないよ。」
王は喜びを顔にあらわして訊いた。
「家はどこだろう。」
呉はまた口から出まかせにいった。
「西南の山の中だよ。ここから三十里あまりだ。」
王はまたそこで呉に幾度も幾度も頼んだ。
「ほんとに頼むよ。いいかね。」
「いいとも。僕が引き受けた。」
呉はそういって帰っていった。王はそれから食事が次第に多くなって、日に日に癒(なお)っていった。そして思いだしては枕の底を探して彼(か)の梅の花を出した。花は萎(しお)れていたけれどもまだ散っていなかった。王は彼の女のことを考えながら、それが彼の女でもあるようにその花をいじった。
王は呉の返事を待っていたが呉が来ないので、ふしんに思って手紙を出した。呉は用事にかこつけて来なかった。王は怒って悶えていた。母親はまた病気になられては大変だと思ったので、急に他から嫁をもらうことにして、それをちょっと相談したが、王は首を振って振りむかなかった。そして、ただ毎日呉の来るのを待っていたが、どうしても呉が来ないので、王はたちまち怒って呉を怨んだが、ふと思いなおして、三十里はたいした道でもない、他人に頼む必要がないといって、彼の梅の花を袖に入れて、気を張って出かけていった。家の人はそれを知らなかった。