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第2課
日本語の「ぼかし」表現

学習目標

1.言語現象を客観的に観察する意識を養う。

2.分析的な文章に慣れ、参考文献を引用・紹介しながら、考えをまとめる方法を身につける。

読む前に

次の下線部の表現にどんな特徴があるか考えましょう。

○大学院進学 とか って考えないの?

○お茶 でも 飲みませんか。

○お荷物の ほう 、お預かりします。

○200グラム ほど ください。

筆者紹介

井上優(いのうえまさる)、1962年富山生まれ。麗沢大学教授、言語学者。著書には町田健編集、井上優著『日本語文法のしくみ』(研究社、2002)、小林隆編集、佐々木冠・工藤真由美・日高水穂・渋谷勝己・井上優共著『シリーズ方言学2方言の文法』(岩波書店、2006)などがある。本文は、『相席で黙っていられるか――日中言語行動比較論』(岩波書店、2013)による。

日本語の「ぼかし」表現

井上優

「ぼかし」表現の多用

日本語や日本文化について論ずる際によく言われることの一つに、「日本語ははっきりと言い切らない言い方を好む」ということがある。また、この「はっきりと言い切らない」ということは、「聞き手への配慮」として説明されることが多い。以下の文章もその一つである。

聞き手との関係を大切にする日本人の言語行動では、ものをはっきり言いすぎることを警戒する。あまりに明確な表現は、解釈の幅がないため、相手の判断をあおぐという姿勢に欠ける。つまり、送り手の考えるただ一つの意味を受け手が否応なく認めねばならないような的確な表現は、受け手の自主的な判断の余地を残さないので、相手に強く響くわけだ。そこで、あたりをやわらかくするために、なんらかの《ぼかし》をもうけようとする。

(中村明「日本人の表現――その特殊性の行方を考える」『講座 日本語の表現5日本語のレトリック』筑摩書房、1983年、302ペ ージ)

引用文の出典は、作者、著書名、出版社、出版年、頁数を詳しく示すこと。

この「ぼかし」の例として、次のような表現があげられることがある。

①今日は、西安の名物料理を三つ·ほ·ど紹介したいと思います。

②今日はこの·へ·んでおしまいにしましょう。

③それでしたら、これ·な·ど(これ·な·ん·か)はどうでしょう?

④私が戻ってくるまで、コーヒー·で·も飲んでて。

①~④は、中国語で言うと、どうなるのか。

①では、紹介する料理は「三つ」だが、概数表現「ほど」を用いている。②では、動作のタイミングを点(ここ)ではなく、範囲(このへん)の形で述べている。③の「など(なんか)」は他のものを含む集合を表し、④の「でも」も、「ほかのものでもよいが」のように、他の選択肢の存在を暗示している。これらの表現は、英語などの外国語には訳しにくいこともあり、「他の言語ならはっきり言い切るところで、日本語ははっきりと言い切らない」という話になる。

警戒(けいかい)⓪余地(よち)①⓪集合(しゅうごう)⓪選択肢(せんたくし)④③暗示(あんじ)⓪

なぜ「ぼかす」か

しかし、「受け手の自主的な判断の余地を残し、あたりをやわらかくするためにぼかす」という説明は、必ずしも自然な説明ではないと思う。

まず、①の「ほど」に つい て考えよう。何人かで居酒屋に行って「ビールを三本ほど持って来て」と言うのは おか しくないが、二人で喫茶店に入って「コーヒーを二つほど くだ さい」と言うのはおかしい。「おもしろそうな本、 三冊 ほど買ってきて」とは言うが、「大阪行きの切符、三枚ほど買ってきて」とは言わない。「ほど」が使えるのは、あくまで「どの程度の数量が適当か」を考える余地がある場合に限られる。「ほど」を使うのも、受け手の自主的な判断の余地を残し、あたりをやわらかくするためというよりは、「この辺りが適当な(ほどほどの)線だ」ということを表すためと考えたほうがよい。「三つ」では、「この辺りが適当な線だ」という意味は出ない。

なぜ「大阪行きの切符、三枚ほど買ってきて」とは言わないのか。

②の「へん」も、「この辺りが適当な線だ」ということを表すために使う。②の場合は、「ここで」「このへんで」の違いはさほど感じないが、タクシーを運転していて、客に「このへんで降ろして」と言われるのと、「ここで降ろして」と言われるのではずいぶん違う。「このへんで降ろして」だと、客を降ろすのに適当な場所で車を止めればよいが、「ここ」だと「今この場」で止まらないといけない感じがする。「ここ」はピンポイント的に場所を指す。「この辺りが適当な線だ」ということを表すには、「このへん」と言う必要がある。

「へん」については、次のようなエピソードもある。買ってきたキャベツを冷蔵庫に入れようとしたら、野菜室はすでにいっぱいだった。洗濯をしている妻に、「キャベツ、入らないんだけど、どこに置いとけばいい?」と聞くと、妻は洗濯をしながら「そこに置いといて」と言った。「そこ」と言われても、私がいるのは冷蔵庫の前だ。冷蔵庫付近にキャベツを置けそうな場所はない。「そこってどこ?」と聞き返すと、妻は「そこでいいから」と答える。どうも話がかみあわない。後で聞いたら、妻は「キッチンのどこかキャベツ

「へん」についてのエピソードは、何を示しているのか。

筆者の妻は中国出身。

なぜ「話がかみあわない」のか。

が置ける場所に置いといて」というつもりで言っていたら····しい。私の感覚では、それなら「そのへんに置いといて」と言ってほしい。中国語では「放那児」 (そこに置いて)でよいようだが、日本語の「そこ」はやはりピンポイント的である。「そのへん」と言わないと、「どこか適当な場所」という意味は出ない。

数量(すうりょう)③

③、④の「など(なんか)」「でも」も、「この場で考えられる一つの例」をあげていることを明確にするために使われている。「これなど(これなんか)はどう?」、「コーヒーでも飲んでて」と言うと、「これ/コーヒーを飲む」は可能な一つの例であり、それ以外の可能性を排除していない。「これはどう?」では、「例えば」という気持ちは出ないし、「コーヒーを飲んでて」では、「コーヒーを飲む」以外の可能性を排除してしまう。これは話し手が言いたいこととは違う。「これは」「コーヒーを」では限定が強すぎるから、「など(なんか)」「でも」をつけて範囲を広げるのである。

「明確に言う」ではなく「ぼかさなくてもよい」

日本語では、「この辺りが適当な線だ」、「この場で考えられる一つの例」という意味を表すには、「ぼかし」表現を用いる必要がある。しかし、他の言語ではそこまで厳密にやる必要はないようだ。

中国語の「放那児」 (そこに置いて)、「在那児等着我啊」 (あ そこで私を待ってて)は、「そのへんに置いといて」、「あのへんで待ってて」くらいの気持ちで言うことも多い。中国語の「那児」 (あそこ・そこ)は、日本語の「あそこ・そこ」よりも意味的な限定が弱いようだ。「這個怎麼樣?」 (これはどう?)も、特に「這個」 (これ)以外のものを排除しているわけではない。

次の例も、「そのこと」とthatとで限定の強さが異なることを示している。

①彼が最初に大きなショックを受けたのは、ベルギー王レオポルドが5月29日に降伏した時であった。 そん なこと (×そのこと)はこの前の大戦では起きなかった、そして それが 彼の気持ちを動揺させた。

ベルギー:ヨーロッパ北西部、北海に面する立憲王国。

レオポルド:ベルギーの国王。

②He got his first great shock when Leopold,King of the Belgians,laid down his arms upon the 29th May. That had not happened in the last war,and it upsethim.

厳密(げんみつ)⓪動揺(どうよう)⓪

(羽柴正市『英語の語法 表現篇2性・人称・代示表記』研究社出版、1968年、40~41ページ。「(×そのこと)」は井上が追加)

②が原文、①がその日本語訳である。第二文冒頭のthatを日本語に訳す場合、「そのこと」ではなく、「そんなこと(そのようなこと)」と訳す必要がある。「そんなこと」と言えば、「「ベルギー王の降伏ということ」は、この前の大戦では起きなかった」という意味の文になる。しかし、「そのこと」と言うと、「第二次世界大戦中の1940年5月29日にベルギー王レオポルドが降伏したこと」は、第一次世界大戦のときには起きなかった」という無意味な文になる。

「そんなこと」と「そのこと」とは、どう違うのか。

②のthatは、特定の時空間で起きた個別の事件を指すわけではなく、時空間の限定を除いた「ベルギー王の降伏ということ」という内容を指している。日本語では、時空間の限定があるかないかで、「そのこと」と「そんなこと(そのようなこと)」を使い分ける必要がある。「個」と「類」の区別に敏感だと言ってもよい。

なぜ「個」と「類」の区別に敏感だと言えるのか。

次の例も同じである。

ある女優の紹介記事で、

She can marry her young man tomorro w if she likes.

(彼女がそうしたければ、明日にでも彼と結婚できる。)というのがあった。これも、日本語では、「あした」でなく、「あしたにでも」となるところであろう。

つまり、Xをあげて、Xを含む集合S全体を漠然と指し、別にXでなくてもいい、要するに「S→P」を言いたいのが本旨だ、ということは、日本語でも英語でもあることだといえるのではないか。違うのは、日本語では、そのような本旨を「デモ」という形式で暗示するのに対し、英語ではXをあげることでその本旨を状況からの聞き手の判断にゆだねる、という点が違うというふうにいえそうである。

以下は寺村秀夫からの引用。

(寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味Ⅲ』くろしお出版、1991年、134ページ。英文の日本語訳は井上が追加)

原文(げんぶん)⓪敏感(びんかん)⓪漠然(ばくぜん)⓪

「明日にでも結婚できる」と言うと、「明日以降の適当な時期(集合S)、早ければ明日(X)でも結婚できる(P)」という意味になる。この場合、「明日」は「明日以降の適当な時期」の一例(この場合は最も早い例)である。「明日結婚できる」と言うと、「明日」以外の日は問題にしていないことになる。英語では、名詞レベルではtomorrowでよく、can(可能)やif(仮定)を用いることにより、文全体としては、「明日」は可能な一つの例ということになるが、日本語では、名詞レベルで可能な一つの例であることを示す必要がある。

「明日にでも結婚できる」は、中国語ではどう言うか。

日本語は「ぼかした表現」を好み、英語や中国語は「明確な表現」を好むという説明は、一見分かりやすい。しかし、この説明は表面的な違いを強調しすぎていると思う。実際は、(ⅰ)日本語は、名詞だけを言うと限定が強すぎ、適度にぼかす必要が生ずることがある。(ⅱ)英語や中国語は、名詞だけを言ってもさほど限定が強くなく、名詞レベルで特にぼかす必要はない、という辺りが穏当な見方だと思う。

なぜ、筆者はここで、「辺り」の語を使っているのか。

新出単語

言い切る(いいきる)③ <他Ⅰ> きっぱりと言う。断言する。

論ずる(ろんずる)⓪③ <他Ⅲ> 筋道を立てて述べる。

あおぐ(仰ぐ)② <他Ⅰ> 尊敬する。教え・判断などを求める。

欠ける(かける)⓪③ <自Ⅱ> なすべきことをしていない。おろそかになる。

否応なく(いやおうなく)⑤ 承知も不承知もない様子。有無を言わせない様子。

名物料理(めいぶつりょうり)⑤ <名> その土地での人気料理、名高いレシピ。

名物(めいぶつ)① <名> その土地で名高い産物。名産。

含む(ふくむ)② <他Ⅰ> 中に入っている。成分・要素・性質としてもつ。

さほど⓪ <副> (多くは、あとに打消しの語を伴って用いる)それ ほど。たいして。

ピンポイント(pinpoint)③ <名> ピンの先。また、ピンの先ほどに正確に目標を定めること。極小のねらい目。

エピソード(episode)①③ <名> 物事や事件の本筋の間に挿入する小話。

聞き返す(ききかえす)③ <他Ⅰ> 繰り返し質問する。聞きなおす。

かみあう(噛み合う)③⓪ <自Ⅰ>それぞれ違う内容をもつもの同士がしっくりと合って、うまく事が進む。

仮定(かてい)⓪表面的(ひょうめんてき)⓪強調(きょうちょう)⓪適度(てきど)①穏当(おんとう)⓪

時空間(じくうかん)② <名> 時間と空間。

降伏(こうふく)⓪ <名・自Ⅲ> 戦いに負けたことを認めて、相手に従うこと。降参。

冒頭(ぼうとう)⓪ <名> 文章・談話のはじめの部分。

無意味(むいみ)② <名・形Ⅱ> 意味のないこと。価値なく、つまらないこと。また、そのさま。

除く(のぞく)⓪ <他Ⅰ> 取ってなくする。取りのける。除去する。

本旨(ほんし)① <名> 本来の趣旨。本来の目的。

ポイント解説

「ぼかし」表現について

人間関係を重視し、常に円滑にコミュニケーションを図り、直接的表現を避けることを美徳とする日本では、「配慮表現」は見落とすことのできない言語現象の一つである。「ぼかし」表現を「配慮表現」の一つとし、「話し手」が「聞き手」のことを配慮して、明確な表現をぼかしてしまうと解釈されることが多い。これについて、作者は「表面的な違いを強調しすぎている」「必ずしも自然な説明ではない」と指摘し、具体的な例を挙げながら自説を展開している。すなわち、同じ名詞でありながら、日本語と英語・中国語とでは、限定の仕方が異なるというのが作者の主張である。

配慮表現には背景となる社会的、文化的さらに歴史的に固有のルールが多く、どこまで、どう「配慮」するか、その判断は、外国人日本語学習者にとっては至難の業である。そのため、日本語は「はっきりと言い切らない言い方を好む」、日本語は「曖昧なことばである」といった類の結論に帰されてしまいがちで、場合によっては、「曖昧な日本人・日本語」のような国民性論にまで発展してしまうことさえある。

文法解説

1.Nに欠ける<不足>

「に欠ける」多接在抽象名词后面,用于评价,意为理应具有的东西不足、缺失。带有说话人遗憾、不满的语气。相当于汉语的“缺乏……”。

(1)あまりに明確な表現は、解釈の幅がないため、相手の判断をあおぐという姿勢 に欠ける

(2)連絡もなしに欠席するなんて、社会人として常識 に欠ける 行為だ。

(3)今回の計画の失敗は、優柔不断で決断力 に欠けた 上司の責任にほかならない。

(4)あの人は、生真面目で努力家ではあったが、面白み に欠けている ように感じる。

2.‐返す<重复;恢复;翻转>

「返す」为后项动词构成的复合动词,多表示三种含义。①重复、反复做前项动作。如(1)(2)(3);②通过做前项动作使某物或某人回到原来的状态,或回敬、反击对方,如(4)(5);③通过做前项动作使某物翻转,如(6)(7)。

(1)「そこってどこ?」と 聞き返す と、妻は「そこでいいから」と答える。

(2)2年前の日記を 読み返したら 、涙が止まらなくなった。

(3)学生時代を 思い返す と後悔ばかりが募る。あの時もっと努力していれば人生は大きく変わっていたと強く思う。

(4)昨日の雨で畑の草木は息を 吹き返した ように元気になっている。

(5)中学生時代はいじめられていたが、 やり返す 勇気もなく泣いてばかりいた。

(6)市内では、最近地下鉄の工事のため、あちこちで道路が 掘り返されている

(7)仕事帰りに、いきなりバケツを ひっくり返した ような雨がザーッと降ってきた。

練習

文法練習

次の()の中の言葉を正しい順番に並べ替えて、文を完成させよ。

1.Nに欠ける

(1)(長期的・に欠けている・ビジョン)

首相の行動は行き当たりばったりになっており、____________。

(2)(目標と・強く・信念に・欠ける・依頼心が)

最近、_______________________若者が少なくない。

(3)(優柔不断で・欠けている・あの人は・実行力に)

______________________。

2.‐返す

(1)(何を・お前に・言い返す・言われても)

親として失格だから、_________________ことはできない。

(2)(みる・思い返して・と)

_________________、あの時大切なものを見失っていたようにも思える。

(3)(聞き返した・思わず・信じられなくて)

聞こえてきた言葉が________________________。

読解練習

1.日本語ではどのような場合に「ぼかし」表現を用いるか、本文に即して答えなさい。

2.本文では日本語が「ぼかし」表現を多用するのに対して英語や中国語は「ぼかさない」と言っているが、その理由を文中から探してまとめなさい。

タスク

1.日本語の「ぼかし」表現として、ほかにどんなものがあるか、例文を挙げなさい。その場合はなぜぼかすのかについても考えて、ペアで話しなさい。

2.本文は、先行資料を引用しながら、それに反論する形で成り立っているが、引用するときの注意事項を調べてまとめなさい。

さらに知るための手がかり

「国語に関する世論調査」に見られる「ぼかし」表現

日本の文化庁は、1995年(平成7年度)から、国語施策の参考とするため、「現代の社会状況の変化に伴う、日本人の国語意識の現状」について、毎年「国語に関する世論調査」を実施している。2005年(平成16年度)の世論調査では、「ぼかす言い方」が取り上げられ、普段の会話で時々聞かれる六つの言い方について調査を行い、以下のような結果が得られている。(「分からない」は省略。)なお、(1)~(3)は平成11年度調査でも調査しているので、併せて示した。

(1)の「わたし的にはそう思います」は、「ある」の割合が平成11年度調査と比べて、増加している。(2)の「話とかしていました」、(3)の「とても良かったかな、みたいな……」は、平成11年度調査と比べて、大きな変化は見られない。

平成11年度調査にはなかった設問のうち、(5)の「微妙」は、「ある」の割合が6割近くになっている。

(数字は%)

(続表)

*平成11年度調査にはなかった設問。

言い方をすることが「ある」と答えた人の割合(性・年齢別、数字は%)

※表中の()内の数字は平成11年度調査の結果。

(文化庁「平成16年度「国語に関する世論調査」の結果について」による) HWlV4L6vCJsA9QL2blWznz7cn033FGp74TfNN0SkVL32LxrS2GOKHOHUZh8gBPwb

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