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第1課
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学習目標
1.言語体験における葛藤を通じて、ことばと文化・社会との関連性を考える。
2.文体の誤用によりミス・コミュニケーションが生じることを理解する。
読む前に
場面や、話し手と聞き手の関係によって表現は変わります。次のイラストの猫がどんな場面でどんな口調で言っているか、想像してみましょう。
*イラストは『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店、2000)からの引用
筆者紹介
小森陽一(こもりよういち)、1953年東京生まれ。東京大学教授。専門は、日本近現代文学。日本「九条の会」事務局長。少年時代に4年間チェコスロヴァキアで過ごし、ロシア語学校に通っていた。主な著書は『構造としての語り』『「ゆらぎ」の日本文学』など。本文は『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店、2000)からの抜粋。
小森陽一
なぜ「日本語」ではなく「ニホン語」と表記しているかに注意。
私が日本に帰国したのは、小学校六年生の年末だったので、学校へ行き始めたのは三学期がはじまってからでした。最初の違和感は、一日目の帰りに感じました。下駄箱から靴を出していると、ジロジロとこちらを見るみんなの視線に気づきました。はじめは何のことだかよくわかりませんでしたが、みんなが上履きから履きかえている靴は、すべて同じような、いわゆる「運動靴」であるにもかかわらず、私だけが、革靴を履いていたのです。宮沢賢治の『風の又三郎』に出てくる転校生の高田三郎が「赤い革の半靴をはいていた」ことで、「あいつは外国人だな」と言われてしまうのと、同じまなざしが、私を射すくめていたわけです。
三学期:日本の教育制度では、高校までは3つの学期に分けられている。その3番目の学期。
なぜジロジロと見られたのか。
宮沢賢治(みやざわけんじ):1896-1933。詩人、童話作家。
『風の又三郎』(かぜのまたさぶろう):宮沢賢治の短編小説。主人公は、高田三郎(たかださぶろう)。風の又三郎は地元で伝説となっている風の神様の子。神というよりも悪霊に近い存在。作品中では、転校生高田三郎のあだ名である。
それから二週間ほどたつうちに、あることに私は気がつきました。教室で私が何かを言うたびに、まわりの子が笑いをおし殺しているような雰囲気になり、離れたところでは、あからさまなクスクス笑いが起きていたのです。
私は、自分の使用する日本語に、それなりの自信をもっていました。プラハにいる間中、母親は日本語を忘れさせてはならないと、小学校でやるべき全教科についてかなり熱心に教育してくれましたし、私としても教科書に書いてあることは身につけていたつもりでした。また、ときおりやってくる日本からのお客様を迎えたときも、必ずといってもいいほど、私の使う日本語はきれいだとほめられたものでした。ですから、私としては自分が話す日本語に、何か欠陥があるなどとは思ってもみなかったのです。
この「クスクス」はクラスの子たちのどんな気持ちを表しているのか。
プラハ:チェコ共和国の首都。
「身につけていたつもり」と「思ってもみなかった」は作者のどんな心境を表しているのか。
ある日、例のクスクス笑いにがまんならなくなった私は、立ち上がって、みんなにむかって、何がそんなにおかしいのか、という怒りをぶつけました。しかし、かえってきたのは教室全体をゆるがすような大笑い。それは、そのとき私の口をついて出たことばが、「ミナサン、ミナサンハ、イッタイ、ナニガオカシイノデショウカ」という、完全な文章語だったからです。つまり、私は、ずっと教科書にかかれているような、あるいはNHKのアナウンサーのような文章語としての日本語を話していたのであり、そのことを笑われていたわけです(このような話しことばを話す人とこれまでで一人だけ出会うことができました。大江健三郎さんのいくつかの小説に出てくるイーヨー=光さんです)。
大江健三郎(おおえけんざぶろう):1935―。愛媛出身。1994年のノーベル文学賞受賞者。いくつかの小説で、知的障害を持つ長男光さんを原型とするイーヨーを登場させている。
運動靴(うんどうぐつ)③視線(しせん)⓪転校(てんこう)⓪文章語(ぶんしょうご)⓪
その日から私は、周囲の友達がどのような話し方をするのかに、注意深く耳を傾けるようになりました。そして、話しことばとしての日本語が、文章語としての日本語とはおよそ異質なことばであることに、毎日毎日気づかされていくことになります。現代の日本語は「口語体」で、話しことばと書きことばが一致した「言文一致体」である、という教科書に記されたウソに、そのとき身をもって気づかされることになったのです。
言文一致:文章の言葉づかいを話し言葉に一致させること。明治以後の試み。
たしかに、プラハにいるときも家の中で、父や母とは日本語で会話をしていましたが、考えてみれば、小学生の男の子が、親とそれほどまとまった話をするわけでもなし、また教科書的な「正しい日本語」をしゃべっていたからといって、親としてとがめる理由もなかったでしょうから、私の教科書的文章語としての話しことばは放置されていたわけです。友達の話しことばを観(聴)察するようになった頃、最も奇妙に思えたのは、日本語の話しことばは、決してそれ自体として完結するような、主語と述語がはっきりしたような言い切りの形をとらない、ということでした。言っていることの半分以上を相手にゆだねるような、微妙な曖昧さの中でことばが交わされている、ということは一つの驚きでした。
なぜ「ウソ」だと思ったのか。
「微妙な曖昧さ」とはどういうことか。
中学校へ入って日本語の使用をめぐるもう一つの困難に直面することになります。小学校のときのクラスの友人たちは、とりあえずチェコスロヴァキアという、ほとんどきいたことのない国、知っているとすれば体操のチャスラフスカ選手ぐらいという、よくわからないところからやってきたへんな転校生であるということを認知してくれていましたから、まあ少しぐらいおかしなことをしても、あいつならしかたがないと思ってくれる寛容さを示してくれていました。けれども中学に入ると、そうはいきません。生徒たちはいくつかの小学校から来るわけで、しかも、同じ小学校でも別のクラスの子とはつきあっていませんでしたから、私の異常行動は、ことあるごとに摘発されることになります。なにしろ、外見は、肌の色も同じ、眼も細く、鼻も低い、まごうことなき日本人なわけですから、そういう奴が、理解しがたいことやみんなと違った行動をとることは、均一であることが好まれるこの国の学校社会では、ことさら目立ってしまったのです。
チャスラフスカ:1964年の東京オリンピックの際に「体操の花」と称えられた、プラハ出身の女性体操選手。
「そうはいきません」とはどういうことか。
口語体(こうごたい)⓪一致(いっち)⓪完結(かんけつ)⓪主語(しゅご)①体操(たいそう)⓪認知(にんち)①⓪寛容(かんよう)⓪
日本の中学校での不幸の一つは、ロシア語学校に通い、とりわけ他の社会と比べて濃密なロシア人同士の身体的接触をめぐる生活習慣を内面化してしまっていたところにあります。ロシア人は、出会った人に親しさを表明するために、男性同士でも、女性同士でも、そして男性と女性であっても、正面から肩を抱き合い、頬にキスしたり、頬を接触させたりします。小学校六年の三学期のときは、ものおじしてもいましたし、自分の話しことばの異様さをめぐって先制パンチを受けていますから、あまり身体的な生活慣習は出ていなかったようです。けれども、親しくなった友人からは、事後的に、つまり中学での私の異常行為が問題視されたさいに、「オレもコモリに抱きつかれてキモチワルカッタよ」という告白をうけました。そう、私は、友だちを増やしたい一心で、少し言葉をかわすようになった男の子にも女の子にも、握手を求め、抱きつき、あまつさえキスをしようとしていたわけです。
「先制パンチを受ける」とはどういうことか。
「異常行為」とは何か。
もちろん、数回にわたる、異なった相手からの強い拒絶反応によって、日本人は、そのようなことはしないのだということをいやというほど思い知らされましたが、時すでに遅しで、私のまわりには、「抱きつき魔」、「キス男」といった罵倒のことばが飛び交い、「スケベ」、「エッチ」という当時の私には意味のわからぬことばを投げかけられるようになってしまいました。日本における通常の人間関係では、身体的な接触は、ただちに性的な意味を持ってしまうこと、さらには性をいやらしいこと、下品なことと感じている人が多いということをつくづく思い知らされました。これはもう、自分の文化的身体をまるごと封印するしかありません。
時すでに遅し:気が付いた時にはもう取り返しがつかないこと。
「自分の文化的身体」とは何を意味しているのか
けれども、それだけでは済みませんでした。異文化としての自分の身体を封印した私は、それなりに操ることができるようになった日本語のことばに頼って友人をつくろうとしましたが、ここでも大きな過ちを犯したようです。
異常(いじょう)⓪均一(きんいつ)⓪不幸(ふこう)②異様(いよう)⓪告白(こくはく)⓪数回(すうかい)⓪握手(あくしゅ)①拒絶(きょぜつ)⓪通常(つうじょう)⓪
私の通っていたロシア語学校のクラスには、ロシア人以外の子供が必ずいました。多くはかつての東欧圏の子どもたちでしたが、アフリカ圏やアジア圏の子どもたちもいました。それぞれの国の文化的事情の違いがかなりある時代でしたから(いまの世界的な文化の均質性こそ異常だと思いますが)、生活習慣のレヴェルでお互いに感じる違和感については、きちんと言語化して、お互いに納得しておかないと友達にはなれません。
どのような文化的事情の違いがあったのか。
つまり、おまえのこういうところは好きだからおまえと友達になりたいが、おまえのこういうところはいやだ、というふうに、相手の好きなところときらいなところを明確にしたうえで友達づきあいを始めていくわけです。同じことを日本の中学で、とくに女の子に対しやってしまったことを想像してみてください。一学期の終わる最後のホームルームは「親も言わないようなひどいことを言うコモリクン」についての話し合い(糾弾集会)になりました。友達になることができなかったばかりでなく、平気で面と向かって人の悪口を言う思いやりのない奴だ、ということになってしまったのです。
ホームルーム:中学校・高等学校で、担任の先生と生徒が、いろいろな問題を話しあうこと。その時間。
中学一年生の夏休みが始まる頃には、自分は日本の文化と社会的生活慣習から、完全に浮き上がっていることを自覚しました。その夏休みに、私は読書感想文を書くために、夏目漱石の『吾輩は猫である』を読みました。抱腹絶倒のユーモア小説というふれこみだったので、少しは暗い気分が晴れるかと思っての選択でした。しかし、逆効果で、読みはじめた瞬間から涙が止まらなくなりました。なぜなら、「このネコはボクだ!」と思わざるをえなかったからです。
夏目漱石(なつめそうせき):1867-1916。小説家、評論家。
『吾輩は猫である』(わがはいはねこである):1905年に発表される長編小説。猫の目を通して人間世界を諷刺している。
生まれた直後に、人間という異種によって親や兄弟から引き離され、たった一匹で苦沙弥先生のところに迷い込み、人間のことばはわかるが、こちらからは人間に何も伝えることができず、一度も食べたことのなかったモチを喉につまらせ生き死にの境でもがいているのに、人間たちは「ネコジャ踊り」だと大笑いする、誰一人として自分のことをわかってくれない、そんな物語に読めてしまったのです。
苦沙弥(くしゃみ)先生:『吾輩は猫である』に登場する英語教師。猫の飼い主。
その意味で、「吾輩」が人間世界に対して徹底して批判的になるのもよくわかりました。あいつらが、常識だと思い込んで、あたりまえのこととしてやっているふるまいは、相当におかしなことなんだ、と訴えてくる「吾輩」に、十三歳の私はいちいち同意することができました。人間世界に対する「吾輩」の違和感は、そのまま日本人が自明化している文化的・社会的な暗黙の了解事項に対する私の違和感と重なっていきました。でもそれは決して笑えるような類の同意ではなく、悲惨な状況を愚痴る情なさにおける共感だったのです。もちろん、そのような思いを綴った読書感想文が、どのような末路をたどったかはおわかりでしょう。以来、私は「国語」という教科を呪うようになります。
「あいつら」は誰を指すか、筆者のどんな気持ちを表しているのか。
どんな末路だったか、想像せよ。
徹底(てってい)⓪
下駄箱(げたばこ)⓪ <名> はきものを収納するための家具。
ジロジロ① <副> 目を離さず無遠慮に見つめるさま。
上履き(うわばき)⓪ <名> 廊下や板の間など、屋内で用いる履き物。
履きかえる(はきかえる)④③ <他Ⅱ> 履いていたものを脱いで別のものを履く。
革靴(かわぐつ)⓪ <名> 皮革で作った靴。
転校生(てんこうせい)③ <名> 入学の時期以外に、他校から移ってきた生徒。
半靴(はんぐつ)⓪ <名> 浅い洋風の靴。短靴。
まなざし(眼差し)⓪ <名> 物に視線を向けるときの目の様子。
射すくめる(いすくめる)④⓪ <他Ⅱ> 相手を見据えてこわがらせ、身が縮むようにする。
おし殺す(押し殺す・おしころす)④ <他Ⅰ> 笑い、声、感情などの勢いをおさえる。こらえる。
クスクス① <副> しのび笑いをするさま。
全教科(ぜんきょうか)③ <名> 国語・社会・理科・算数などを含むあらゆる学校教育の学習内容。
ときおり(時折)⓪ <副> ときどき。ときたま。たまに。
欠陥(けっかん)⓪ <名> 欠けて足りないもの。また、不備な点。
がまんならない(我慢ならない)①-② 感情や欲望のままに行動するのをこれ以上抑えられない。
立ち上がる(たちあがる)⓪④ <自Ⅰ> 座ったり腰かけたりしていた人が立つ。
向かう(むかう)⓪ <自Ⅰ> 自分の体の前面をある物・人に向ける。
怒り(いかり)③ <名> いかること。おこること。腹立ち。立腹。
ゆるがす(揺るがす)③⓪ <他Ⅰ> ゆり動かす。ゆする。
大笑い(おおわらい)③ <名・自Ⅲ・形Ⅱ> 大きな声を出して笑うこと。
悲惨(ひさん)⓪
口をつく⓪-① 言わなくてよいことを思わず喋る。
アナウンサー(announcer)③ <名> テレビやラジオ放送で、ニュースを報じたり、司会・実況放送することを職とする人。競技場・ 劇場・駅などの告知係をもいう。放送係。放送員。アナ。
話しことば(話し言葉・はなしことば)④ <名> 話す時に主として用いる言葉。口語。口頭語。
注意深い(ちゅういぶかい)⑤ <形Ⅰ> 注意する度合が深いさま。
耳を傾ける(みみをかたむける)②-④ 熱心に聞く。傾聴する。
およそ(凡そ)⓪ <名・副> (主に否定的な表現を伴って)まったく。
書きことば(書き言葉・かきことば)③ <名> 文字を媒介とする言葉。文章として書き、読む言葉。文字言語。また、文章に用いる言 葉。文語。文章語。
まとまる(纏まる)⓪ <自Ⅰ> 細かい物が集まって、意味のあるものになる。
しゃべる(喋る)② <自他Ⅰ> 話す。ものを言う。
とがめる(咎める)③ <自他Ⅱ> 悪いこと・望ましくないこととして、注意したり 責めたりする。なじる。非難する。
放置(ほうち)① <名・他Ⅲ> ほうったままにしておくこと。また、置きっぱな しにしておくこと。
聴察(ちょうさつ)⓪ <名・他Ⅲ> 物事の状態や変化を客観的に注意深く聞くこと。
述語(じゅつご)⓪ <名> 文の成分の一。主語について、その動作・作用・性質・状態などを叙述するもの。
言い切り(いいきり)⓪ <名> 末尾に用言・助詞・助動詞などがきて文が完結すること。文の終止。
ゆだねる(委ねる)③ <他Ⅱ> 一切を他人にまかせる。
交わす(かわす)⓪ <他Ⅰ> 互いにやったり受けたりする。
とりあえず③④ <副> いろいろしなければならないものの中でも第一に。さしあたって。まずはじめに。
チェコスロヴァキア(Czech and Slovakia)⑤ <固名> チェコ共和国及びスロバキア共 和国により構成され、1992年まで存在した欧州の国。
生徒(せいと)① <名> 学校や塾などで教えを受ける者。特に、中学校・中等教育学校・高等学校で教育を受ける人。
摘発(てきはつ)⓪ <名・他Ⅲ> 隠されている悪事などを暴いて、公にすること。
まごう② <自Ⅰ> 他のものとよく似ていてとりちがえる。もとは、 紛う(まがう)。
奴(やつ)① <名> 人(物・事)を、第三者的に突っぱなして言う言葉。
ことさら(殊更)⓪ <副・形Ⅱ> とりたてて。とりわけ。特に。格別。
とりわけ⓪ <副> 特に。ことに。とりわけて。
濃密(のうみつ)⓪ <名・形Ⅱ> 密度がこいこと(さま)。
内面化(ないめんか)⓪ <名・他Ⅲ> その社会が有する価値と規範を、自分の価値と規範として、受け入れること。
頬(ほお)① <名> 顔の一部、鼻と口との両側の、耳にいたるまでの 部分。
キス(kiss)① <名・自Ⅲ> 接吻(せっぷん)。口づけ。
ものおじ(物怖じ)⓪ <名・自Ⅲ> 臆病(おくびょう)で、何かにつけてこわがること。
先制パンチ(せんせいpunch)⑤ <名> ボクシングで、相手よりも先に放つ有効なパンチ。転じて、機先を制するための攻撃。
事後的(じごてき)⓪ <形Ⅱ> すでに実現した、ないしは確定したさま。
一心(いっしん)③ <名> 一つの物事に集中した心。専心。
抱きつく(だきつく)③ <自Ⅰ> 両腕でかかえるように相手に取りつく。
あまつさえ②③ 〈副〉 (古風な言い方で)おまけに、その上。普通、よくないことに使う。
いやというほど これ以上はがまんできないというほど。
思い知らす(おもいしらす)⑤ <他Ⅰ> 「思い知らせる」と同じ。相手の誤りや思い上が りなどを身にしみてわからせる。
罵倒(ばとう)⓪ <名・他Ⅲ> 口ぎたなくののしること。また、その言葉。
飛び交う(とびかう)③ <自Ⅰ> 入り乱れて飛ぶ。互いに飛びちがう。
スケベ② <名・形Ⅱ> 「す(好)き」の変化した「すけ」を擬人化したもの。助平。「すけべい」に同じ。好色なこと(さま)。そのような人にもいう。
エッチ① <名・形Ⅱ> 「変態」のローマ字書き「hentai」の頭文字から。性的にいやらしいさま。また、そういう人。
投げかける(なげかける)④⓪ <他Ⅱ> 言葉や視線を相手に届かせる。
性的(せいてき)⓪ <形Ⅱ> 男女の性に関するさま。また、性欲に関するさま。
いやらしい(嫌らしい)④ <形Ⅰ> 性的に露骨で不潔な感じだ。
下品(げひん)② <名・形Ⅱ> 品格・品性が劣ること。卑しいこと。またそのさま。
まるごと(丸ごと)⓪ <副> 切り分けたり一部を除いたりしない、もとの形のまま全部。
封印(ふういん)⓪ <名・自他Ⅲ> その物の使用や開閉を禁ずるために、封じ目に印を押したり証紙を貼りつけること。
操る(あやつる)③ <他Ⅰ> 道具などをうまく使う。巧みに操作する。
過ち(あやまち)⓪③④ <名> やりそこなうこと。間違い。失敗。過失。あやまり。
犯す(おかす)②⓪ <他Ⅰ> 法律・規則・道徳などにそむくことをする。
均質性(きんしつせい)⓪ <名> ある物質のどの部分をとってもむらがなく、性質・状態が同じであること。また、その度合い。
レヴェル(level)① <名> 「レベル」と同じ。価値づけや評価をする場合の標準。全体の水準。程度。
友達づきあい(ともだちづきあい)⑤ <名> 友達とまじわること。友達との交際。
糾弾集会(きゅうだんしゅうかい)⑤ <名> 罪状や責任を問いただして、とがめるための集会。
悪口(わるくち)② <名> 人を悪く言うこと。また、その言葉。
思いやり(おもいやり)⓪ <名> 他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。
浮き上がる(うきあがる)④ <自Ⅰ> ほかのものとのつながりがなくなり離れる。
抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)⓪ <名・自Ⅲ> 腹をかかえてひっくり返るほど大笑いすること。
ユーモア(humor)① <名> 思わず微笑させるような、上品で機知に富んだしゃれ。
ふれこみ(触れ込み)⓪ <名> ふれこむこと。前宣伝。
逆効果(ぎゃくこうか)③ <名> 期待したのとは反対の効果。
異種(いしゅ)① <名> 種類が異なること。
迷い込む(まよいこむ)④ <自Ⅰ> まぎれて、進むべき道や方向がわからなくなる。
モチ(餅)⓪ <名> もち米を蒸してついた食品。
つまる(詰まる)② <自Ⅰ> 管や通路などの途中に物がつかえて通じなくなる。
生き死に(いきしに)② <名> 生きることと死ぬこと。生きるか死ぬか。
もがく(踠く)② <自Ⅰ> もだえ苦しんで手足をしきりに動かす。
おかし② <形Ⅱ> (連体形「おかしな」の形だけが用いられる)おかしいさま。こっけいなさま。
訴える(うったえる)④③⓪ <他Ⅱ> 不満や苦痛などを告げる。気持ちを強く述べる。
いちいち(一々)② <副> 一つ一つのこと。
自明化(じめいか)⓪ <名・自Ⅲ> 証明したり説明したりしなくても、すでにそれ自体ではっきりしているようになること。
暗黙(あんもく)⓪ <名> 口に出しては言わないこと。黙っていること。
重なる(かさなる)⓪ <自Ⅰ> 積もる。加わる。
類(たぐい)⓪①② <名> 性質の似たもの。同じ種類のもの。仲間。
愚痴る(ぐちる)② <他Ⅰ> ぐちをこぼす。不平を言う。
綴る(つづる)⓪② <他Ⅰ> つなぎあわせる。
呪う(のろう)② <他Ⅰ> 激しく恨み、悪く言う。
1.『風の又三郎』について
『風の又三郎』は、宮沢賢治の没した1933年の翌1934年に発表された作品で、賢治の童話作品においても魅力的かつ異色な存在である。
岩手県江刺市米里種山ヶ原「星座の森」にある「風の又三郎」像
物語は、学期が始まる9月1日から始まる。登校する村の子どもたちの前に変わった姿の転校生高田三郎が現れた。高田三郎は次のように描かれている(傍点は編集者)。
ぜんたい その形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て 、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革の半靴をはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんご のよう、ことに目はまん丸 でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないような ので一郎も全 く困ってしまいました。
「あいづは外国人だな。」
髪の色も服装も、言葉遣いもそのふるまいも高田三郎は村の子どもたちとかけ離れているため、伝説の風の精霊の名前「風の又三郎」で呼ばれる。三郎のことを、村の子どもたちは違和感を覚えているが、三郎は最初から子どもたちの仲間に飛び込み、元気に遊んでいる。ようやく友情が芽生える頃、9月12日にまた転校して学校から去っていった。
2.大江健三郎さんの小説に登場するイーヨー=光さんについて
「イーヨー」は、大江健三郎が自分の息子大江光をモデルにした小説の主人公で、脳に障害があり絶対音感を持ち、音楽才能に長けるが、誰にむかっても丁寧な、正しい文章語を話す。
イーヨーは、大江健三郎の次のような小説に登場している。
①『個人的体験』新潮社1964
②『新しい人よ眼ざめよ』講談社1983
③『静かな生活』文藝春秋1990、4
④「『罪のゆるし』のあお草」(『いかに木を殺すか』)文藝春秋1984
⑤『僕が本当に若かった頃』(「僕の長男」として登場)講談社1996
⑥『キルプの軍団』(「兄」として登場)岩波書店1988
⑦『人生の親戚』(「僕の長男」として登場)『新潮』1989、1
1.~にもかかわらず<转折>
「にもかかわらず」接在名词、Ⅱ类形容词词干或简体句子后面,表示主从句意义的转折,意为虽然是这样的情况,但仍然出现了主句叙述的出乎意料的结果。含有说话人意外、吃惊等语气。为书面语。相当于汉语的“虽然……,但是……”。
(1)みんなが上履きから履きかえている靴は、すべて同じような、いわゆる「運動靴」である にもかかわらず 、私だけが、革靴を履いていたのです。
(2)大会はあいにくの雨 にもかかわらず 、多くの来場者があり、盛大に開催された。
(3)今回は初めて参加した にもかかわらず 、温かく迎えていただきありがとうございました。
(4)交通が不便 にもかかわらず 、東京、九州をはじめ全国より大会にご参加いただきましたみなさまに御礼申し上げます。
2.能动态形式表达的自发含义
部分表达感情、思考、理解等意义的动词的能动态,如「読める」「泣ける」「笑える」「思える」等,可以用于表示该感情、思考等自然而然发生,与动作主体的意图无关。
(1)友達の話しことばを観(聴)察するようになった頃、最も奇妙に 思えた のは……
(2)子供はときどき突拍子もない 笑える ことを言う。
(3)久しぶりにその歌を聞いたら、いろんな気持ちがこみ上げてきて 泣けて しまった。
(4)この記事の見出しを見て、一瞬、全く逆の意味に 読み取れて しまった。
(5)このように、田舎で穏やかな毎日を過ごしていると、あの時の事件がまるで嘘のように 思えて くる。
3.~ごとに<间隔;频率>
「ごとに」接在名词或动词词典形后面,表示时间间隔或动作的频率。相当于汉语的“每隔……”、“每次……”。
(1)私の異常行動は、ことある ごとに 摘発されることになります。
(2)同じ干支は12年 ごとに 巡ってくる。
(3)日記のページをめくる ごとに 記憶がよみがえってくる。
(4)本を一冊読む ごとに 、ブログに感想を書いている。
(5)同じことを会う人 ごとに 説明するのもさすがに疲れてきた。
「ごとに」还可以接在名词后面,表示同类事物间的区分。相当于汉语的“每……”。
(6)今度の文化祭ではクラス ごとに 劇をやることになっている。
(7)図書館の本はテーマ ごとに 分類されている。
4.Vるしかない<唯一手段>
「しかない」接在动词词典形后面,表示只能这样做,别无他法。相当于汉语的“只能……”。
(1)これはもう、自分の文化的身体をまるごと封印する しかありません 。
(2)だれかに話したくても、初めての外国での一人暮らしでは我慢する しかない 。
(3)納得いかないけど、この痛々しい現実を受け止める しかない 。
(4)二人は、止むを得ない事情で別れる しかなかった 。
5.~うえで/~うえでの<动作的前提>
「うえで」接在“动作性名词+の”或动词「た」形的后面,表示在完成该动作的基础上,再进行后项动作。修饰名词时,使用「~うえでのN」的形式。相当于汉语的“……之后”、“……的基础上”。
(1)相手の好きなところときらいなところを明確にした うえで 友達づきあいを始めていくわけです。
(2)よく考えた うえで 出した結論であれば、胸を張って主張すべきだ。
(3)どんな記事でも、事実を確認した うえで 書くのが記者のイロハである。
(4)参加申し込み後の参加費の払い戻しは致しかねます。参加にあたり、十分ご検討の うえで お申込みください。
(5)先輩からの、経験を踏まえた うえでの アドバイスが、とてもありがたかった。
6.~ばかりで(は)なく<递进>
「ばかりで(は)なく」接在名词或动词、形容词连体形的后面,表示递进的关系,即不仅如此,还存在更高程度的事项。相当于汉语的“不仅……而且……”。
(1)友達になることができなかった ばかりでなく 、平気で面と向かって人の悪口を言う思いやりのない奴だ、ということになってしまったのです。
(2)事件は当事者 ばかりではなく 、周囲の人にも波及する結果となった。
(3)この製品を使っていれば、地球にやさしい ばかりでなく 、家計費の節減にもつながる。
(4)大会は、年を追うごとに参加人数が増えている ばかりでなく 、参加する若者の割合が増加している。
(5)後悔することは、時間が無駄な ばかりでなく 、感情を悪くさせ、仕事や人間関係にも悪影響を及ぼすだけで、よいことは何一つない。
7.V(さ)せる<表责任、原因的使动句>
使动句中,除了表达强制、许可、诱使等意义的使动句外,还存在非自主性使动句。该类使动句中的动词多为非自主动词,当使动句的主语为人时,多表达主语对事态的发生负有直接或间接的责任;当主语为某一事物时,该事物一般为引发事态发生的原因。
(1)一度も食べたことのなかったモチを喉に つまらせ 、生き死にの境でもがいているのに、……
(2)私の不注意で、子供にけがを させて しまった。
(3)彼は息子を戦争で 死なせて しまった。
(4)あの大臣の無責任な発言が世間を 騒がせた 。
(5)そうした保守的な考え方が、行政改革を 遅れさせる 原因になっている。
次の()の中の言葉を正しい順番に並べ替えて、文を完成させよ。
1.~にもかかわらず
(1)(悪天候・「一般公開」は・にもかかわらず・平成25年度の)
_______________、多くの来場者を迎えて盛況のうちに終了しました。
(2)(出した・転居届を・にもかかわらず)
_______________、郵便物等が旧住所に送られている。
(3)(あった・要請が・にもかかわらず)
問題の野菜は県から自粛の____________、出荷されていた。
2.~ごとに
(1)(段落・基本的なルール・改行する・のが・ごとに)
日本語の文章では、____________となっています。
(2)(日・寒く・ごとに・なって)
_________________________________きた。
(3)(を・ごとに・写真・季節・撮っている)
道端に咲いている草花の可憐な姿に魅せられて、___________。
3.Vるしかない
(1)(脳を鍛える・しかない・には・運動する)
_______________________________。
(2)(悪い・謝る・と・叱られたら・しかない)
行儀が________________________。
(3)(削る・睡眠・しかない・時間を)
締め切りに追われて、_______________________。
4.~うえで/うえでの
(1)(うえで・じっくり・決めます・話し合った)
研究テーマは、入学後指導教官と___________________。
(2)(確認した・スケジュールを・うえで)
来週の_________________、改めてご連絡差し上げます。
(3)(ご意見・うえで・を・取り組んで・踏まえた)
皆様からいただいた貴重な____________いきたいと思います。
5.~ばかりで(は)なく
(1)(走る・考える・立ち止まって・ばかりでなく・ことも)
人生は短いですが、_____________________大事です。
(2)(喫煙者本人・周囲の人の・健康・ばかりでなく・にも)
喫煙は、____________________悪影響を与えています。
(3)(高める・を・身体能力・ばかりでなく)
スポーツは、_________、コミュニケーション能力の育成もできる。
6.V(さ)せる
(1)(親の・子どもの・やる気を・干渉が・失わせる)
__________________________。
(2)(やけどを・飲ませて・赤ちゃんに・させてしまった)
不注意から、熱いミルクを、_____________________。
(3)(責任を・死なせてしまった・感じて・ミスで・ことに・人を)
自分の_____________________、男は拳銃で自殺した。
1.「日本人が自明化している文化的・社会的な暗黙の了解事項」とあるが、その「暗黙の了解事項」とは、具体的にどんなものがあるか、本文中から抜き出しなさい。さらに本文以外の例を挙げながら説明しなさい。
2.作者と『吾輩は猫である』に出てくる猫の共通点を整理し、作者にとって「ニホン語」との出会いがどのような経験であったか、考えなさい。
3.筆者は、なぜ「国語」という教科を呪うようになったか、考えなさい。
4.本文を通じて、筆者は何を言おうとしているか、まとめて説明しなさい。
1.日本語の勉強を通して日本の文化や社会への理解が深まったと思いますか。例をあげて話しなさい。
2.日本語の誤用によるミス・コミュニケーションについて話しなさい。
言葉を通して人は自分と他者とをつなぐ。言葉は人と人をつなぐ重要なコミュニケーション・ツールである。同時に、言霊(ことだま)という言葉もあるとおり、言葉にはその人の魂、心が込められている。「ニホン語に出会う」と合わせて、大岡信の「言葉の力」を読んで、言葉と人間とのかかわりについてもっと考えよう。
大岡 信
人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。
私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裏にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。
考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。
このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
(中学校『国語2』、光村図書出版)