本研究は例(1)~(6)に提示した日本語の授受動詞構文、即ち「授受本動詞構文」[例(1)、(3)](以下「本動詞構文」と簡称する場合がある)と、「動詞+テクレル·テヤル·テモラウ」によって構成される「授受補助動詞構文」[例(2)、(4)、(5)、(6)](以下「補助動詞構文」と簡称する場合がある)の両者を考察の対象とする。因みに、本研究では、補助動詞構文に現れる動詞を「前接動詞」と称する。
なお、以下に提示した授受表現に関わる形式は、本研究の考察対象から除外する。
本研究では授受動詞構文の談話論的機能は考察の対象としないため、授受動詞構文の待遇形式には言及していない。そこで、日本語授受動詞構文の所謂3系列7形式である「(テ)クレル·(テ)クダサル·(テ)ヤル·(テ)アゲル·(テ)サシアゲル·(テ)モラウ·(テ)イタダク」の中で待遇形式とされている「(テ)クダサル·(テ)アゲル·(テ)サシアゲル·(テ)イタダク」の四つは考察の対象から除外し、3系列の基本形式である「(テ)クレル·(テ)ヤル·(テ)モラウ」を考察の対象とした。
日本語授受動詞構文の用法には、以下のような擬古的用法がある。
(7)「あの男もあの男なら、六左衛門も六左衛門だ。そんなところへ娘を くれた ところで何が面白かろう。これから東京へでも出掛けた時と言って、吹聴する積りなんだろうが、あまり寝覚の好い話でも無かろう。虚栄心にも程が有るさ。ちったあ娘のことも考えそうなものだがなあ」
(『破戒』)
(8)こういう中にも、唯一つ、あの省吾に くれたい と思って、用意したものを持って来ることだけは忘れなかった。昼休みには、高等科から尋常科までの生徒が学校の内で飛んだり跳ねたりして騒いだ。なかには広い運動場に出て、雪投げをして遊ぶものもあった。
(『破戒』)
(9)格子戸の填った、玄関のところに小泉商店とした看板の掛けてある家の奥で、実は狭い庭の盆栽に水を くれた。 以前の失敗に懲りて、いかなる場合にも着物は木綿で通すという主義であった。彼の胸には種々なことがある。
[『家』(上巻)]
(10)も、物の怪っ。 退治してくれる 。とり囲め-っ。
(山田,2004)
(11)出道前の奥の深さをとくと 味わわせてくれよう。
(山田,2004)
(12)翔平「組の連中が、明日宿に来るんやぞ……おれがいないと、どう思うか分からへん」小夜子「カンカンに怒って、玉 つぶしてくれる わよ」
(山田,2004)
例(7)~(12)はいずれも現代語の(テ)ヤル用法にあたり、歴史的な残存物としての擬古的用法と言うことができる。例(7)~(9)は本動詞用法であり、例(10)~(12)は補助動詞用法である。本研究は、共時的用法を考察対象とするため、データ調査の関係で言及することはあるが、考察の対象からは除外することとした 。
授受表現には授受補助動詞が、二重、三重に、さらにそれ以上組み合わさった表現が存在する。これらの表現を、松下(1928)は「利益態の連続」、宮地(1965)は「補助動詞の組み合わせ」、紙谷(1975)は補助動詞の「相互承接」と称している。
(13)その人が貴方に英語を習いたいと申しますからどうぞ「 教えて遣って下さい 」。
(14)先生、私の子供の復習を して遣って戴きたい ですが如何でしょう。
(15)彼の人が御自慢の料理法を是非貴方に御伝授致したいそうですが、御面倒でも「 教えて貰って上げてください 」。
(松下,1923,p.402)
(16)「 書いてもらってくれる 」
「 書いてやってくれる 」
「 書いてもらってやる 」
「 書いてやってもらう 」
(宮地,1965,p.30)
(17)「 書いてもらってやってくれませんか 」
「 書いてやってもらってくれませんか 」
「 書いてやってあげてくれませんか 」
(紙谷,1975,pp.8~9)
これらの例に現れる補助動詞の二重、三重の組み合わせは、宮地(1965)が述べているように、「はなはだ日本的な配慮の表現らしく思われる」表現である。紙谷(1975)は敬語との関連性、特にそれによって表される多様な恩恵の授受関係との関連性について分析し、構文上、一つの単文に、この多様な恩恵の授受関係を明示するための格助詞、またはそれに相当するような標識が存在しないために、特に文章語では、二重、三重の連結は用いられることが少ないことを指摘している。本研究では、このような多重的授受動詞構文は考察の対象から除外することとした。
本研究では以下のような慣用句的用法について、データ調査の関係で言及することはあっても、深く立ち入って考察することはしない。
(18)目も くれない
(19)拳骨を くれる
(20)病気を もらう
(21)喧嘩を もらう
なお、授受動詞の多義性用法についても基本的には考察の対象外とするが、第1章ではヤルの多義性の意味拡張のメカニズムについて考察を試みている。ただし、ヤルの用法の中で、例えば「何もヤルことがありません」のような用法については、本研究で取り上げる授受動詞の用法ではないため、データ調査の範囲からも、考察の対象からも除外することとした。