中国語を母語とする日本語学習者や日本語教育者は日本語の授受表現について、少なくとも次の二つの問題に関心を抱かせられる。
①「物の授受」事象に対して、例えば例(1)の「次郎が太郎に切手を与えた」と、例(2)の「次郎が太郎に切手を売った」という事態を、日本語では述語の選択によって、三つの異なる形式で表現することができるのに対して、中国語では通常一つの述語“给”を用いて表現する。
(1)a次郎が太郎に切手を くれた 。/次郎给了太郎一枚邮票。
b次郎が太郎に切手を やった 。/次郎给了太郎一枚邮票。
c太郎が次郎に切手を もらった 。
/太郎得到次郎给的邮票(太郎要了次郎一枚邮票)。
(2)a次郎が太郎に珍しい切手を 売ってくれた 。/次郎卖给了太郎一枚稀有的邮票。
b次郎が太郎に珍しい切手を 売ってやった。
/次郎卖给了太郎一枚稀有的邮票。
c太郎が次郎に珍しい切手を 売ってもらった 。
/太郎让次郎把一枚稀有的邮票卖给了他(次郎把一枚稀有的邮票卖给了太郎)。
②このように、中国語と日本語とは、構文上アンバランスの対応関係ではあるものの、例(3)~(6)に示すように、意味的には然るべき対応関係を見てとることができる。
(3)a次郎 给 了太郎一枚邮票。
次郎が太郎 に 切手を くれた。
a’ 次郎が太郎 に 切手 をやった。
太郎が次郎 に 切手 をもらった。
(4)a次郎 卖给 了太郎一枚稀有的邮票。
次郎が太郎 に 珍しい切手を 売ってくれた。
a’ 次郎が太郎 に 珍しい切手を 売ってやった。
太郎が次郎 に 珍しい切手を 売ってもらった。
(5)a次郎 为(给) 太郎搜集到了一枚稀有的邮票。
次郎が太郎 のために(に) 珍しい切手を 見つけてくれた。
a’ 次郎が太郎 のために(に) 珍しい切手を 見つけてやった。
太郎が次郎に珍しい切手を 見つけてもらった。
(6)a次郎 替 (手不方便的)太郎贴上了邮票。
次郎が(手の不自由な)太郎 のために 切手を 貼ってくれた。
a’ 次郎が(手の不自由な)太郎 のために 切手を 貼ってやった。
(手の不自由な)太郎が次郎に切手を 貼ってもらった。
例(3)~(6)から明らかであるように、中国語と日本語は、まず構文形式の上では、一対三の対応可能性を有している。一方、意味的対応関係から見ても、基本的に中国語では“给”を用いた構文で対応できる。しかし、このような対応可能性は例(3)~(5)には見られるものの、例(6)には見られない。この言語事実は、両言語の授受動詞構文における構文と意味の対応の限界性を示唆している。
このように、①からは両言語における授受動詞構文の体系上の相違が、②からは両言語の授受動詞構文の意味的対応性、とりわけその対応のズレ、ないしはある種の限界性の示唆されていることを見てとることができる。特に②の意味的対応のズレから、両者の授受事象の表出には何らかの差異の存在していることを窺い知る。
①の日本語授受動詞構文3系列体系の特徴については、従来数多くの先行研究によって論及されてきている。また、中国語との体系上の共通性や相違性についても、わずかながら言及されてはいる。しかし、②の授受事象の表出に見られる差異については、管見の限り、それに言及した先行研究は少ない。
本研究はこのように、中国語母語話者の立場から、日本語と中国語とは、授受動詞構文の構文上·意味上において、それぞれ対応性を有しながらも、それが一対一で対応しないのは何故であり、さらに両者の対応性にどのような要素が関与しているのか、何故にその対応に限界性が現れるのかについて究明し、それを通して、日本語授受動詞構文の構文と意味の関係、とりわけ日本語授受動詞構文の意味を総合的、且つ体系的に記述することを目的とするものである。